341.舞踊
「どこに行くんだよ」
手を引かれながら少女が文句を言う。
「そりゃあ、稼ぎやすいところさ」
そういって、ユイノは目抜き通りを歩いて、踊りを披露できそうな場所をさがす。
「アキオ、この通りを、ギオルを連れたノランが歩いたんだろう」
少女の何気ない言葉に道行く人々が反応する。
彼らにとってみれば、まだ一年あまり前の出来事に過ぎないのだ。
「ここだ」
多くの国の王都に違わず、オルトでも、目抜き通りのところどころに円形広場が設けられている。
ユイノが脚を止めたのは、広い広場の真ん中に、美しい噴水が作られた公園だった。
好天の下、人々は噴水の周りに座り、にこやかに会話を交わしている。
噴水の前には、踊るのに充分な空間があった。
「さあ、エシャ。ここで、あんたとあたしが踊って金を稼ぐんだ」
「え、でも、あたしは踊れるっていっても、ジュライアしか――」
「へぇ、ジュライアが踊れるのかい。なら充分だ」
ジュライア、それがどういうものかアキオは知らないが、踊りに関しては、ユイノに任せておけば間違いはない。
「いいかい、あたしの方が背が高いし、あんたは女役でしか踊ったことがないだろう」
「う、うん」
「だから、あたしが男役をやるよ。あんたは普通にジュライアを踊ってくれればいい。あたしに合わす必要は全くないよ。どんな踊りをしても、かならずあたしがあんたに合わせる。あたしの足を踏む心配もいらない。絶対にあんたはあたしの足を踏めないから――思い切って踊るんだ」
「こ、こんなたくさんの人の前で踊ったことないよ」
「大丈夫」
舞姫は、輝くような笑顔で断言する。
「あんたは知らないだけさ。観客が多いほどダンスは楽しい。そうだ。ひとつだけ気をつけるのは、指先」
「指先」
「指先とつま先さ。それを意識すれば、踊りは人を惹きつける」
そういうと、ユイノは、手を打ち鳴らし始めた。
小柄な少女の小さな手から、考えられないほど大きな音が鳴る。
その秘密はアキオにも分からない。
広場と通りを行く人々が一斉にユイノを見た。
「今日は良い天気だね。通りの店はにぎわってるし、この広場もきれいだ。そこで――」
ユイノは、エシャの帽子を取り上げる。
「いまから、あたしとこの子が、素晴らしい街の廿日市を祝ってダンスを踊るよ。気に入ったら、この帽子にあんたたちの気持ちを入れておくれよ」
そう言って帽子を石畳にそっと置く。
アキオは――その様子をじっと見ていた。
普段はあれほど恥ずかしがりのユイノが、衆人の目を引き、堂々と口上を述べる姿は、彼が初めて目にするもので――途方もなく鮮やかで新鮮に感じられる。
「さあ、始めるよ。いいかい、ジュライアだね。左から入って――あとは好きに踊るんだ」
少女にだけ聞こえるように小さくいうと、エシャの背中に手を回しホールドして――恥じらうように踏み出す、少女の控えめな最初のステップに合わせて、紅髪のダンサーは踊り始めた。
アキオの見るところ、ジュライアというのは、普段アキオが少女たちと踊るダンスを、多少変拍子にして、回転と移動を多めにした踊りのようだった。
少女をリードしてユイノが広場を大きく使い、胸を張って素早く回転する。
何度も彼女と踊っているアキオにはわかる。
おそらく、少女は、自分があまりに、突然にダンスがうまくなったことに驚いていることだろう。
ユイノのリードは――彼女とのダンスは、踊ることでパートナーの能力を引き出し、教育し、矯正するのだ。
いつのまにか、大勢の人々が広場をとり囲み、手拍子を始めている。
男たちは、指笛を吹き、足を踏み鳴らし始めた。
少しずつ、エシャの帽子に小銭が投げ込まれていく。
少女は――エシャは、最初のステップこそ小さく不安げであったが、いまや、全身を使って踊る喜びを表現していた。
その情熱が伝わって、多くの人々が熱狂的に手を叩き、足を踏み鳴らしているのだ。
少女たちは踊り続ける。
広場の空間を一杯に使って、全身で喜びを表現しながら。
やがて、エシャの身体が軽くふらついた。
まだ、踊りに支障がでるほどではないが、それがサインだった。
もう20分近く踊り続けているのだ。
少女には限界だろう。
問題なのは、精神の高揚とユイノの巧みなリードによって、本人が疲れを自覚していないことだ。
華麗で美しく、楽し気に見えても、肉体は全力疾走を続けるほど酷使され続けているのだ。
「アキオ!」
ユイノが叫んだ。
彼は――広場の中央で少女を優しく回転させながら手を離すユイノに向けて走った。
エシャを受け取り、抱き上げると回転しながら膝をつき、そっと石畳に座らせる。
素早く立ち上がると、旋回を繰り返すユイノに近づいて、彼女の手を取った。
ダンサーを独りにしておくわけにはいかない。
彼に手を握られた瞬間、ダンスにおける男女の役割が逆転した。
そのまま、女性となったユイノをアキオがリードして踊り始める。
王都における真の伝説がはじまったのだった。
踊り自体はこれまでと変わらない。
ただ、アキオが男として入り、ユイノが女性パートになったことで劇的に変わったことがあった。
ステップの一歩一歩の距離が長くなり――回転の速さと正確さが段違いに向上したのだ。
本来、身長差のあるカップルは、シルエットの美しさとして不利となるが、ユイノの手足の長さとダイナミックな身体の動き、そして素晴らしい身体能力の高さが、観客に実際の身長差を感じさせない。
実のところ、アキオ自身は、踊りが特に好きでも嫌いでもない。
彼にとっては、ただの肉体的な運動のひとつにすぎないからだ。
無論、身体を動かすのは嫌いではないから、苦痛ではない。
人に見られることも、恥ずかしいとは思わない。
そもそも、隠密行動でなく、乱戦の戦場で一騎駆けを行えば、すべての兵の注目を集めるのは必定だからだ。
ただ――真剣な瞳で、激しく高揚した、輝くばかりに生気にあふれた少女の姿と躍動をすぐ近くで見られることが、彼の、踊りに対するなによりの報酬だった。
ユイノの踊る姿なら、いつまでも見ていられると彼は思っている。
彼らの踊りが始まってしばらくすると、観客たちは、それまで激しく行っていた手拍子と足拍子をしなくなった。
ふたりの踊りの素晴らしさが、人々に、それらの反応を忘れさせていたのだ。
が、やがて誰始めるともなく手拍子と足拍子が再開すると、それらは彼らの踊りに合わせて、熱狂的に強く激しく、速くなっていった。
それに合わせて、ふたりの踊りも速くなる。
どんどん速くなる手拍子、ステップ、回転――しかし、躍り手は、疲れも見せずに軽やかに踊り続ける。
それは、普段彼らが眼にする、型にはまった踊りではなく、臨機応変、水が流れるように、風が渦巻くように、時々刻々、生々流転、まるでふたりの気持ちを表すかのように動きを変えて続くダンスだ。
「アキオ――最後にアレをやっていいかい。恋月祭の時の踊り……」
ユイノが口を動かさずに彼の耳元で言う。
それだけで、彼女の考えを察したアキオが彼女の背に回した手の指先で肯定を伝えた。
「じゃあ、やるよ、カウント5で切り替えるからね」
アキオはうなずき、目に付かないよう、アームバンドに触れる。
――やがて、際限なく速くなる踊りに熱狂する人々は、その眼に信じられないものを見た。
回転するふたりの手が離れたのだ。
「えっ!」
「ああっ!」
観客の間から悲鳴が上がった。
疲れのため、彼らが踊りをしくじったと思ったのだ。
しかし、いつの間にか広場から溢れんばかりに膨れ上がった観衆は、その場で、さらなる奇跡を眼にしたのだった。
回転したまま離れた二人は、足を止めたまま、手を広げて石畳を滑り始めたのだ。
紅髪の少女は、後ろに滑りながら、なだらかな円弧を描いて観衆のすぐ傍で向きを変え、高く飛んで、素早く身体を回転させた。
少女が着地した瞬間に、大きく円を描いて回り込んで来たアッシュグレーの髪の男がその手をとって、二人そろって、広場を縦横無尽に凄まじい速さで移動し始める。
見たことのない動き、踊りに、人々は手拍子すら忘れ、ふたりの動きに魅了された。
ふたりが行っているのは、アイス・スケーティングの一種、フィギュア・スケーティングだ。
氷上にスケートで図形を描くことから発展したこの競技は、残念ながら、アラント大陸には存在していなかった。
つまり、エストラの、オルトの街の人々は、この世界で初めてフィギュア・スケーティングを目撃したことになる。
氷もないのに石畳の上を滑るのは、もちろん、ナノ・テクノロジーを用いて、選択的に摩擦の向きを制御しているからだ。
要は、ナノ・ブーツの中央に、縦長のブレードを作り、その上で、前後方向にだけ摩擦を軽減し、衝撃吸収するようにナノ・マシンを調整して配置してあるのだ。
灰色の拡散以前に、ミーナからフィギュア・スケーティングの話を聞いたユイノにねだられ、ナノ・ブーツにその機能をつけて踊ったことがあったが、彼自身、そのことをすっかり忘れていたのだった。
しかし、記憶では忘れていても、身体は覚えていたようだ。
ふたり揃って信じられない高さに跳びあがり、空中で回転して同時に着地し、さらに後ろ向きに蛇行しながら再びジャンプ、回転を行う。
アキオにしろ、ユイノにしろ、正しくフィギュア・スケーティングを学んだわけではないから、それがどのような技であるかは知らない。
ただ、映像で見た競技者の動きを、ナノ強化された身体で、さらに難易度高く再現しているだけだ。
アキオの手を離れ、ユイノが独り旋回を始める。
片足で回転しながら、背後から上げた足のブレードを持って、頭と胸を反らし、足と手と胸で涙滴形を作り、そのまま、残像が残るほどの速さで回転する。
長い手足と柔らかい身体が相まって、完全な涙滴形が空中に浮かび上がり、女性の観客からため息が漏れる。
ユイノが完全なポジションから足を離し、両足で回転を続けると、そこへアキオが近づいて、今度はフィニッシュへ向けて、ふたり揃って素早く回転を始めた。
アッシュグレイ・ヘアと真紅の髪がめまぐるしく回転し、あたかも石炭と火炎のように見え――
完全なタイミングで二人は静止した。
そのまま、見つめ合う。
拍手喝采は――起こらなかった。
指笛も鳴らされない。
誰もが、今、目にした演技の素晴らしさに言葉と反応を忘れていたのだ。
三拍ほどおいて、大歓声が巻き起こった。
皆、興奮のあまり、涙を流さんばかりに手を叩き、叫んでいる。
「いいんじゃないかね」
身を起こし、黙って観衆を見るアキオの横で、ユイノはそう言って、何度も大きく感謝のお辞儀を繰り返す――
エシャの帽子は、高額貨幣の山で見えなくなっていた。