034.舞踏
「どうだ?」
野外に作った簡易のテーブルで揃って朝食をとったあとで、少女たちが馬車の炊事場へ食器を運んでいくと、アキオは尋ねた。
「そうだねぇ、ふたりとも、すっかり明るくなったみたいだし、危険な事態は乗り越えたと思うね」
「ユイノの計画どおりにか?」
アキオの追求するような口調に、ああ、と空を見上げたユイノは答える。
「昨夜はごめんよ、アキオ。突然、あの娘たちを押しつけちゃって。先に謝っとくよ」
「俺が対応を間違ったらどうするつもりだったんだ」
「それはないね」
ユイノは胸を張る。
「どう転んだって、悪くはならないさ」
「訳がわからない」
「昨夜のあの娘たちの状態を考えてごらんよ。身体は何ともない、でも、酷いことをされた記憶はある。このまま、何もなかったことにしてもいいのか?いや、そのつもりでいて、もし身体に変調があったら……」
「……」
「だから、あたしは、あんたに任せたんだよ。アキオなら、あの娘たちに起こった悲劇を、虫に刺されでもしたかのように受け流すだろうからね。心底、そう思っていないといけないんだ。気を使うとバレる。敏感になってるからね。あたしじゃ駄目なんだ。それが、身体に傷がないことを知った彼女たちが一番望んでいることなんだから」
「そう言われても、わからない」
「わかってないから良いんだ。さすがアキオだよ。それともう一つ」
「まだあるのか?」
「これは、あたしが自分で経験したことだから、はっきり言えるけど――」
そういって、ユイノは、今まで胸を張って言い切っていた態度から一転、モジモジしながら続ける。
「誰かとの恋で傷ついた心は、新しい恋心でないと癒せないのさ」
「わからないな」
「つまりだよ、話して分かったんだけど、あの娘たちは、典型的な英雄崇拝主義の乙女なんだよ」
「それはわかる」
昨夜も、アキオのことを何としても英雄に祭り上げたそうにしていた。
「いつか、英雄のように素晴らしい男性と巡り会ってすべてを捧げる、可愛いじゃないか、そういう夢をもって大きくなっていたんだね。二人とも」
アキオは首をひねる。
「ミストラはわからないが、ヴァイユは、あのダンクの娘だろう?」
ダンクはギャングだ。
「親は関係ないよ。っていうより、ああいう親の方が、娘を壊れ物みたいに大事に扱って、ヴァイユみたいな娘ができあがってしまうもんなのさ」
アキオはユイノを改めて見つめた。
その視線に小柄なダンサーは少し引く。
「なんだい?その目は」
「いや、風呂での恥じらいぶりから考えると、ギャップのありすぎる大人のユイノを見直しているんだ」
「馬鹿にしてるね。ともかくさ、それを知ったあたしは、あの娘たちに、新しい英雄に恋してもらうことにしたのさ。純潔なんてモノに何の意義も感じていない英雄さまにね」
「ちょっと待て、ユイノ――」
「もう謝らないよ。先に謝っといたからね。あんたも先にあたしに謝ってから、あたしの体を好きにしただろう?」
いや、時系列で考えたら、好きにしてから謝ったんだ、と思ったアキオは、別に好きにしたわけでないことに思い至り――
「この後、どうするつもりだ?」
「どうもしないよ。あの娘たちは、想像上の英雄さまからアキオに乗り換えただけだから。そして災難を乗り越えた。また時が過ぎれば、新しい英雄に心を移すさ」
「つまり、一過性のものということだな」
「それだよ」
アキオはうなずき、
「では、そろそろガルを飛ばしてもいいな」
「そうだね。あんまり待たせると、ダンクも心配のあまり病気になっちまうだろうしね」
「それはない」
アキオが断言する。
「あ、まさか、アキオ、ダンクの病気を治したっていうナノクラフト――」
「そうだ。他の病気も全部治して、しばらく奴の体に留まっているはずだ」
ユイノはやれやれと肩をすくめると、
「ガルで、文を飛ばすにしても、とにかく偶然が重なって、あの娘たちは無傷だったってことにしておくれよ」
「わかった」
ちょうどその時、食器を洗い終わった娘たちが、馬車から走り出てきた。
今日の少女たちはユイノの予備の服を着ている。
「アキオさま」
「英雄さま」
彼の左右の腕につかまる。
その目は気のせいか熱っぽくう潤んでいるようだ。
(本当に一過性なんだろうな?)
という目でユイノを見るアキオの視線から舞姫は目を反らす。
ガルを飛ばしたアキオは、昼飯のために、ムサカを狩ることにした。
朝起きてから、念のためにあたりを見回った際に新しいムサカの痕跡を見つけていたのだ。
ゴランがいなくなって、動物たちが戻ってきているのだろう。
ケルソ狩りでない、こういった食料確保の狩りを見たことがないというので、アキオは少女ふたりを連れて、ムサカを狩りに出た。
ケルソ狩りとは、大勢でケルソという動物を追い立て狩りだすゲームのことらしい。
地球でいうキツネ狩りのようなものだろうか。
糞と足跡を追い、草の倒れ方で移動の向きを探って、しばらく歩くと、アキオたちはムサカの集団を見つけた。
一匹だけ離れたところで水を飲むムサカに、アキオは忍び寄ると、そのまま首を切った。
血を避けて飛ぶ。
異変に気づいた他のムサカが跳ねるように逃げていく。
心臓に短剣を刺して、止めをさしたアキオは、そのまま。ムサカの足をもって川近くに戻った。
血抜きをしながら歩いたので、馬車より川下の水場で、そのまま手際よく獲物をさばくことができる。
食料狩りを見たことはないと言いながらも、この世界の住人だけあって、二人の少女は、解体を恐れも怖がりもしなかった。
不要な部分を埋め、水洗いしたムサカをもって馬車に戻る。
肉を樹の枝にかけると、少女たちに焚火のおこし方を教えた。
上流階級だけあって、初めて火をおこすというふたりが、ワイワイ言いながら作業するのを椅子に座って眺める。
馬車改造と同時に作っておいたジェラルミン製の軽い椅子だ。
「アキオ――」
ユイノが隣に椅子を持ってきて座る。
ふと気づくと、舞姫がじっと彼の顔を見つめていた。
「アキオ……あんたの顔を見てると、ずっと一緒にいたくなるよ」
「ユイノ――」
舞姫は、ぱっと手を出していう。
「わかってるさ。あんたと一緒にいるのはザルスの街まで。それからあんたは大切なものを探しにエストラに行き、あたしは王都に向かう。最初からの約束だからね。我儘は言わないさ。ただ――」
ユイノはそこで言いよどみ、
「ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんだ?」
「さきに、いいよ、っていってくれないかい」
「いいさ」
間髪をいれずにアキオがいう。
世話になったユイノの願いだ。できる限り叶えてやりたい。
「あんたは最高だ。いつも即答だね」
そういって、ユイノが抱きついてくる。
ぐいぐいとアキオの頭を胸に押し付けるユイノを、火を起こしている少女たちが、あっけに取られたような表情で見ている。
「何をすればいい?」
ユイノの胸から逃れたアキオが尋ねた。
「踊りたい」
小声でユイノが言った。
「なに――」
「あんたと踊りたいんだ」
アキオは眉を上げ、
「無理だな」
俺は踊ったことが無いと言う。
「そういうと思った。大丈夫だよ、あたしがリードする。あんたならきっとすぐにできるようになるさ。保証する」
真剣なユイノの深く青い瞳を見て、アキオは即断した。
「わかった。やろう」
アキオは立ち上がる。
「今からかい?」
ユイノが大きな目をさらに大きく見開く。
「いつ邪魔がはいるかわからない。決めたらすぐやった方がいい」
「アキオ、アキオ!ありがとう」
ユイノが再びアキオの首に抱きつく。
馬車と川の間の開けた場所までユイノは彼を連れて行った。
少女たちも、火おこしを放置してついてくる。
「向かい合って立ってくれるかい」
そういってアキオを立たせ、自分が移動してちょうど良いポジションを決める。
「ちょっと待ってておくれ」
ユイノは少女たちのところへ小走りに向かい、二言三言話をして帰ってくる。
「じゃあ、始めるよ」
彼女の合図で、少女たちが、手をたたき始めた。
舞姫がアキオの手の位置を決め、もう一方の手でアキオの手を取る。
「右足から入って、あとはあたしに合わせておくれ。テンポは三拍子。大丈夫、あたしがリードするから」
そういって、ユイノは踊り始める。
最初はどうなることかと心配したアキオだったが、しばらくユイノに合わせて体を動かすうちに、ダンスなるもののコツがつかめてきた。
要するに、リズムにあわせてアクションを起こし、ユイノの筋肉の張り具合から動きを予測して、それに合わせて体を動かせばいいのだ。
背筋をまっすぐに伸ばしたまま、昨日の朝着ていた長めのふわりとしたスカートで踊るユイノの太腿に自分の腿を重ねるようにして移動する。
そのまま回転しステップを返す。
アキオが彼女の動きを予測するように、天性のダンサーであるユイノも、彼の動きを読んで踊っている。
まるで、武道の達人どうしが、ギリギリの技量を競って剣や拳を合わせるようだ。
意外なほどに楽しい。
しばらくして、何気なくアキオはステップのリズムをずらしてみた。
まるで、ゴムでつながれたように自然にユイノの体がそれに追随する。
すぐに、今度はユイノが回転のテンポを変えた。
アキオはそれを先回りして受け止める。
それから舞踏はさらに面白くなった。
相手のリズムを崩そうとし揺さぶりながら、瞬時にパートナーの変化に合わせる。
ゆらぎが出たと思った次の瞬間には、完全に息の合ったステップになる。
それは、決められたステップをなぞるだけのお行儀のよい舞踏ではなく、互いの感性のぶつかり合いそのものの動きだった。
もし、地球人がそれを見ていたなら、ふたりは舞踏で、あたかもジャズ・ミュージックのセッションをやっているようだ、と感じたことだろう。
やがて、踊りのリズムが徐々に緩やかになり――ユイノがダンスを終えた。
いつのまにか手拍子も止まっている。
振り向いて少女たちを見ると、ふたりは胸の前で指を組んで泣いていた。
わっと二人の方へ走ってくる。
「すごく……きれいでした。なんていうか、こんなダンス見たことがありません。音楽もなくて――」
「音楽に合わせて踊るのではなくて、ダンスから音楽が聞こえてくるようでした」
「あ、ありがとう」
ユイノが上気した頬を緩ませる。
「あたしも踊ってて、こんなに楽しかったことはないよ。ありがとうアキオ」
「喜んでもらえてよかった」
そう言って、椅子に向かおうとするアキオの服が引っ張られる。
振り向くと、少女二人が同時にアキオの服の裾を持って笑っていた。
「そうなるよねぇ」
ユイノも笑う。
それから、少女二人と踊り、またユイノと踊る。
もう一度、ヴァイユと踊っているときに、背後から拍手が聞こえた。
「素晴らしい。だが、心配する父親をよそにダンスとは――」
振り向いた先には、数十人の供を引き連れたダンクが、喜びと心配がまざったような表情で立っていた。