339.再来
「行こう、アキオ」
ユイノに手を引かれ、二人そろって、研究エリア4階のセイテン発着場へ向かう。
階段を上がり、下の階に新しく作られた保管庫に寄って装備を選んだ。
今日は、表向きは視察なので、標準装備θを手にする。
アキオは黒、ユイノは真紅のナノ・コートを羽織った。
人気のない発着場に入り、斜めになったセイテン改の赤い天鵞絨の上にアキオが横たわる。
その上に、体を半分重ねるようにして、ユイノが寝た。
アキオの胸に頬を預け、肩と腕を持つ――踊り始めるように。
「準備はいいかしら」
不意に室内に声が響いた。
女性の声だ。
アキオがわずかに眉を動かす。
「誰だ」
「ギデオンだよ。アカラは他の用事で忙しいから――心配かい」
ユイノはアキオの眼を見て笑う。
「やっぱりアキオだねぇ。あたしも、長いあいだこの子を信じられなかったんだ。だって、あたしの体に大穴を開けた張本人だよ」
言いながらユイノはアキオの首を撫で、
「でも大丈夫だよ。敵だったころのギデオンは、何も知らずに知識ばかり増やした頭でっかちの子供だったんだ。いまの彼女とは違うさ」
「何か問題が?出発されますか」
ギデオンが尋ねる。
「ないよ、やっとくれ」
「イエス、マム」
アカラの影響を受けたらしい言葉遣いと共にセイテンの蓋がゆっくりと閉まり、機体が直立した。
「発進します」
彼女の言葉と同時に加速が始まり、セイテンは城を飛び立った。
「君と出るのは久しぶりだ」
「そうだよ。あの騒動の随分前に、シュテラ・ガルツへ出て以来さ」
「そうか」
「そうだよ!」
ユイノは、身体をぐい、と持ち上げて、アキオの首に抱きつく。
情熱的な口づけを交わした。
彼女は、他人の眼がない場所では、かなり積極的なのだ。
ぱっと顔を離すと、大きな瞳で彼を見つめながら話し始める。
「一応の予定をいっておくよ。セイテンが着くのは、前にあんたがシミュラさまと降りた森林地帯にしてある。あそこからなら、王都オルトもすぐだし、乗り物を隠すのも簡単だからね」
「了解だ」
「それから、オルトの街を回って――あれをみてから」
「あれ、とは」
「あれだよ、あれ、シミュラさまと登った」
「螺旋塔か。だが、あれは記憶の――」
「いいんだよ。あたしは、あんたと実際に、あれに登りたいんだから」
「わかった」
「そのあとで、シャルラ王に会うんだ。メルク宰相には伝えてあるから」
「会ったことはあるのか」
「何度か、カヅマ・タワー建設の時に会って話をしたよ。四大国の中で、一番王さまらしい人だね。エストラも変わった――アキオがギオルを倒してから、他の国と行き来も自由になったしね。あたしが踊りながら国を回っていた頃とは大違いさ」
「良い変化か」
「そうだよ。アキオが、そうしたんだ。なのに、世界はまだ、あんたのことを破壊の魔王だと――」
彼は、ユイノの小さな頭をぽんぽん叩く。
頭もとにつけられたディスプレイの光に浮かぶ少女の眼が優しく、哀しく揺れる。
「あんたは、そうやって、いつも自分は後ろに引こうとする。悔しくはないのかい」
しばらく考えて、アキオは答える。
「君たちが知っていれば、それでいいさ」
「アキオ」
ユイノが細い身体、長い手足で恋人を抱きしめた。
彼女の愛する男は、大陸中の人間から誤解を受けても、ジーナ城の少女たち11人、サフランを加えて12人さえ分かっていればいいと、それほどの重みを彼女たちに置いてくれているのだ。
しばらくして、ユイノが掠れた声を出す。
「最後に、お姫さまたちと、カヅマ・タワーを視察して今日の予定は終わりさ」
「わかった」
「シャロル姫とは会ったことがないけど――」
ユイノが顔を近づける。
「シミュラさまの話では、可愛い方なんだろう。まあ、王族なんだから、可愛くて当たり前なんだろうけど」
「シミュラと同じ髪と瞳の色をしていたな」
「魔女さまと似ていたら、とんでもない美形じゃないか。これは、シジマのいうように、また城の席が――」
もごもごとつぶやく少女の頭を、不意にアキオが抱いた。
「な、なんだい」
「着陸だ。つかまってくれ」
「あ、ああ、わかったよ」
だが、改と名が付くだけあって、セイテン改の着陸は静かだった。
前回もおとなしい着地だったが、今回は、ランプとチャイムの音がなければ着地の瞬間が分からないほどだ。
着陸後、シュッと空気の抜ける音がして、蓋が開く。
「着いたね――」
さっと外に躍り出たユイノが、軽やかに身体を一回転させる。
「いい空気だ」
セイテンから降り立ったアキオは、装備を地面に下すと、蓋を締め、迷彩モードにした。
前回よりも、透明度が高く、視認しにくくなっている。
シジマの改造によって、この部分でも性能が上がっているのだろう。
「アキオとふたり――」
歌うようにいって、ユイノが旋回を繰り返し、さらにアキオの周りをまわる
しばらくそれを見ていたアキオは、ユイノに手を差し出した。
舞姫が彼の手を掴むと、アキオは軽く引いて、回転しながら近づく少女を抱きしめて受け止める。
「ああ――なんて楽しいんだろう」
ユイノが夢見るように言う。
アキオは――少女を抱きしめたまま、森の景色の変貌ぶりに驚いていた。
前回、シミュラと来た時、森は霧に覆われ、太陽はぼんやりと空に確認できる程度だった。
それが、今は、抜けるような青空がひろがっている。
植生も黄緑色の葉の植物が多く、地面はかなり苔むしていたはずだが、目につく範囲に苔は皆無で、短い草が生い茂っている。
「驚いてるね」
抱かれたままユイノが、下から彼を見上げて笑う。
アキオが手をつないだまま、少女を解放すると、ユイノは、彼の腕から離れながらくるくると回転して、最後に美しいお辞儀を見せた。
優雅に身体を起こすと笑顔で言う。
「グレイ・グーによって、気候が変わってしまったらしいんだよ。タワー建設のために来た時、シミュラさまも驚いてた」
アキオはうなずく。
「では、行こう」
「あ、待っとくれよ」
ユイノはそういって、目立たないように工夫されたアーム・バンドに触れた。
アキオとユイノのナノ・コートが変化してエストラ風の服になる。
襟と袖が特徴的なデザインだ。
コートの色も、アキオはチャコール・グレイ、ユイノは臙脂色に微妙に変化している
「これで、王都オルトの群衆に溶け込めるはずさ。髪の色は――どうする」
アキオは少し考え、
「変えたほうがいいだろうな」
「任せとくれ」
ユイノがさらにアーム・パッドを操作する。
アキオの髪が、暗めのアッシュ・グレーに変わった。
「魔王のあんたは漆黒のイメージが強いらしいから、これで分からないはずだよ。見てみるかい」
「いや、君の見立てならそれでいい」
「じゃあ、行くかい」
腕を組んで、きつく締めあげるユイノとともに、王都の街門に向かう。
前回のように、いつ魔獣が現われても、空いた手で麻酔銀針を投げられるように警戒しているが、森に彼らの気配はまったくなかった。
「魔獣なら、霧がなくなると同時に森から姿を消したそうだよ」
アキオの腕に頬を当てるユイノがくぐもった声を出す。
前回同様、30分足らずで、石を切り出して作った外壁が見えてきた。
しかし、その様子は、シミュラの内部世界で見たものとも、現実世界で見たものとも違っていた。
そびえたつ外壁は、天空に広がる青空に映えて、陽光を受けながら白く輝いていたのだ。