334.計画
寝台が優しく揺れて、カマラ・シュッツェは目を覚ました。
目を開けると、仄かに灯る明かりの中で、黒髪の美少女が、アキオの身体に半身を乗せて頬に手を当て、優しく撫でている。
引き締まった背中と美しいお尻がシーツからはみ出ていても、まったく気にしないように、飽かずアキオの頬を撫で、額に触れていた。
「どうされました、シミュラさま――」
彼女の声で振り返った女王の顔を見たカマラは言葉を失った。
その美しい顔が、決して涙を流さないシェイプ・シフターの貌が、まるで泣いているかのように悲し気だったからだ。
「アキオになにかありましたか?」
そういって、彼女も、抱きしめていたアキオの腕と絡めていた足をはずし、シーツを跳ねのけ、身体を起こして彼の顔を見る。
「い、いや、なんでもないのじゃ。心配するな。こやつは――順調に寝ておるぞ」
シミュラの言葉に、ほっと胸をなでおろした少女は、遠慮がちに尋ねる。
「それでは――どうされたのです。シミュラさま」
あの戦いのあと、アキオが眠りについて、そろそろ三カ月になる。
その間、キラル症候群から回復した少女たちは、各自の仕事を終えると、順番を決めて24時間体制でアキオの添い寝を行っているのだ。
今夜の八時間は、シミュラとアキオとの三人の時間だった。
シミュラは、彼女の質問に答えず、俯いたまま黙ってアキオの頬に触れる。
その顔は淡い光に艶やかに反射する黒紫色の髪に覆われて、どんな表情かはわからない。
「シミュラさま――」
カマラは優しく名を呼んだ。
初めてアキオがダラム・アルドス城で、アルドスの魔女として出会った時から、少女は、この100年を孤独に生きてきた孤高の女王が大好きなのだ。
それは、友なく、知恵なく、愛もなく、孤独に生きていた自分の半生に通じるものがあるからかもしれない――
しばらくして、シミュラは顔を彼女に向けた。
もう泣き顔ではないが、まだ切なそうな顔をしている。
「すまぬな、起こしてしまったの――なんでもない、少し夢を見ただけじゃ」
カマラは何も言わない。
黙って彼女の顔を見ている。
シミュラは、困った顔になり、ふっと笑うと、
「おぬしの緑の眼で見つめられたら、隠し事はできんな」
そう言って、
「こっちへこい」
手を伸ばして彼女をつかんで引き上げて、アキオの左半身に乗るようにし、自分も右半身に乗って、片肘をベッドについて、アキオの顔を眺めるようにした。
カマラも同様にする。
ふたりの少女は、アキオを挟んで片肘をついて向かいあったのだ。
「すっかり傷も癒えたの。綺麗な胸じゃ」
「はい。ナノ・マシンのおかげで――シミュラさまとアルメデさま、それとサフランのおかげです」
シミュラは掌を振って止めろと態度で示し、手を伸ばしてシーツを掴んでカマラの身体を覆った。
「色っぽい尻が見えたままでは話しづらいからの」
「まあ」
少女の零れるような笑顔を眩しそうに見て、シミュラはしんみりという。
「おぬしは良い娘じゃの。いや、おぬしだけではなく、この城にいる娘たちは、みな良い子じゃ。わたしは皆が愛おしい――」
カマラは余計な口をはさまない。
黙ってシミュラの言葉を聞いている。
「じゃが、わたしは、それが当たり前だと思うことがあるのじゃ。前にミーナがいっておったように、こやつにはそれぐらい良い番の相手がいて当然だと――」
シミュラはアキオの髪を優しくかき上げる。
「夢を見た、といったが、正確にいうと少し違う。こやつの記憶を見たのじゃ。初めてみる、随分若い、子供の頃の記憶じゃった。深く眠っておるから、普段より前の記憶の蓋が開いたのかも知れぬ。のう、カマラ――」
「はい」
「おぬしたちが、地球時代のアキオを知るのは、すべてミーナの記憶を通してじゃな」
「はい。彼女の口から直接きいたり、いまは、残された彼女の映像記録を見たりして、昔のアキオのことを知るのです」
そういって、少女は可愛らしく笑い、
「みんな、アキオのことを少しでも知りたいと思って――なんていうのかしら、ストーカー?みたいに彼の経験を見るのですね」
「うむ」
シミュラは猫のように妖しくも美しく釣り上がった目で少女を見る。
「そうじゃろう。愛するもののことは知りたくて当然じゃ――」
「あなたが何をおっしゃりたいのか、わかったような気がします。シミュラさまは、ミーナの記録にないアキオの記憶をご覧になったのですね」
シェイプシフターの少女は微笑み、
「頭のいいやつじゃ。その通り、わたしは、さっき、ミーナがまだこやつの肩の上に乗っておらぬ頃の記憶を見た。おぬしたちには申し訳ないが、こやつと共に寝ると、たまにそういうことがあるのじゃ。わたしと、おそらくラピィはな――」
そういって、カマラの腕に触れる。
「確かに羨ましいです。言葉ではなく、映像ではなく、その場にいるような臨場感でアキオの経験を追体験できるのですから」
「それほどではないがの。まあ、夢をみているような感じで、こやつの行動をなぞるという感じかの――それで、その記憶じゃが……」
そういって、シミュラはアキオの髪を指で梳りながら、今見たばかりの彼の少年時代を話し始めた。
シミュラが話し終わってしばらく、カマラは言葉を発しなかった。
光量を落とした薄明りのなかで光る少女の緑の眼は、夕闇が近づく汀の残光のように揺れている。
「アキオは――この人は、その女性から、ただの子供として扱われて嬉しかったのですね」
「はっきりそうだと、本人は理解してはおらなんだろうがの――おぬし、なぜ泣く」
「シミュラさまも、先ほど泣いておられたではないですか」
「泣いてなどおらん。そもそも、わたしは涙を流せぬ――」
アルドスの魔女は、硬い表情でそう言いかけるが、
「いや、そうじゃ、確かに泣いておった。涙を流さずにの。人として生まれながら、人の気持ちを取り上げられたこやつが哀れでな」
「シミュラさま。わたしはアキオと出会うまで、寂しい、嬉しい、悲しいという気持ちが分からなかったのです。ただ、なんとなく、胸の中でモヤモヤしたものがあって――今思うと、それが、寂しさであり、悲しさであったのでしょう。当時は、それを言葉にして理解できなかったので、自分がどう感じているかすらわからなかったのです。それをアキオが教えてくれた。でも――今の話を伺って初めてわかりました。かつて、アキオ自身も、自分がどんな感情を、気持ちをもっているかを理解できず、その感覚を持て余していたのだということを――アキオはわたしだったのです」
「そうじゃの」
「かつて、わたしを洞窟から連れ出す時、随分迷ったのだとアキオから聞かされたことがあります。決断の速いこの人にとっては珍しいことです。おそらく、アキオは彼自身の経験で、感情の存在と意味を知ることが、必ずしも良いことばかりではないことを知っていたのでしょう」
「おぬしもか?」
「え」
「おぬしも、感情など知らぬ方が良いと思うか」
「いいえ。わたしは、人を愛することを理解できてよかったと思います。ただ、それでも――たとえ、その気持ちを言葉で理解できていなくとも、わたしはアキオと出会って、この人の冷えた体を自分の体で温めた時、すでにアキオを愛していたのです。確かに」
シミュラは、ふふ、と笑う。
「激しいやつじゃ。普通の男では身が持たぬの」
「アキオは普通ではありませんから」
「もっともじゃ――それでな、ひとつ思いついたことがあるが、手伝ってはくれまいか」
「はい、喜んで」
「内容ぐらい聞いてから返事せよ」
「シミュラさまが、そういう顔をなさるときは、楽しいことを考えておられるのに決まっていますから。わたしは常に同意します」
「まったく、おぬしは変わった奴じゃ」
「はい!」
「褒めてはおらぬ。では計画をはなすぞ。一通り聞いたら、おぬしの感想を教えてくれ。
「わかりました」
銀髪の少女は嬉しそうにうなずいた。