332.号令
先に立って歩いていくアキオを、あたしは必死に追いかけた。
小さな身体で、それほど急いで歩いているようには見えないのに、あたしが息を切らさないと追いつけないのだ。
アキオは、大通りを避け、細い路地を縫って先へ先へと歩いていく。
長くこの街に住んでいるあたしの知らない道ばかりだ。
あたしは、改めて前を行く小さな影を見つめた。
子供なのに力が強いのは、不思議に思わなかった。
生まれつき、力持ちに生まれる者はいるからだ。
あたしが一時期、世話になった保護園にもそんな子供はいた。
無口で不愛想なのは――子供なら当たり前だ。
あたしもそうだった。
施設でも、よくしゃべる愛想のよい子供は、周囲を恐れて誰かれなく懐こうとしているだけで、中身は自身の毒にまみれ、不愛想な子供より孤独で、周りを見下している者がほとんどだった。
だから、あたしは愛想のよい子より、ぶっきらぼうな子の方が好きなのだ。
彼らには嘘がない。
アキオもそうだった。
いや、そうだと思っていた。
だけど――この子には、どこか、あたしの理解できないところがある。
さっきも拳銃を持つ男たちを、どうやったかは知らないが、あっさりと気絶させてしまった。
あたしは、殴られて気を失いかけていたから、細かいことは分からないが、気がつくとアキオが彼らをやっつけていたのだ。
ヒビトは、少年が遠い国から来たと言っていた。
特殊な能力を持っている、とも――
「でも、いい子だね――少なくとも、僕は自分と似ている人間はわかるんだ」
その点で、彼とあたしの意見は一致していた。
アキオが悪い子でないことは、何日か一緒に暮らしたことで分かっているつもりだ。
言うことはよく聞くし素直だ。
以前、一緒に暮らした子も、そう思っていたら机の中のお金を持って消えてしまったが、アキオは違う――と、思う。
ヒビトは、あたしをお人よしだと笑うだろうか。
彼を奪われた不安を紛らわすために、そんな、とりとめのないことを考えながら、かなり長い距離を歩いた。
不意に、アキオが路地の角で立ち止まった。
壁に身を潜めるようにして、角の向こう側を見ている。
「ここなの」
あたしが声をかけると、アキオは口に人差し指をあてた。
声を立てるな、ということらしい。
あたしはうなずいて、アキオと同じように隠れて角の向こう側を覗く。
あたしは、この場所を知っていた。
となりの区にある古い病院だ。
正確には元病院だ。
ここにあった施設は、半年前に軍が強行した都市計画で新しく区画整理された新地区に移ったのだ。
ちなみに、あたしの住むアパートを含めた辺りは、旧地区と呼ばれている。
ここは今、無人になっているはずだ。
その証拠に、レンガ造りの門には鎖が巻かれ、入り口にはロープが張られている。
アキオは、あたしに、ここで待つように身振りで伝えると――
あっさりと高い塀を飛び越えて中に消えていった。
あたしは――もちろん、じっとしていなかった。
ヒビトが得体の知れない連中に誘拐されたのだ。
このまま、ここで待つことはできない。
彼が死んだら、あたしも死ぬのだから。
しばらく様子をうかがってから、あたしは身をかがめて門に近づき、飛びついた。
誰にも言ったことはないが、案外、身軽なのだ。
鉄扉を超えて内側に飛び降りる。
短めのスカートなので、見張りがいたら、下着を見られたかもしれない。
どちらに進もう、と迷った時、激しい音が病院の内部から聞こえてきた。
見上げると、建物の中ほどから黒煙が上がっている。
あれは――中庭の上だ。
この病院は、あたしの行きつけではないが、前に一度、道端で倒れたおじいさんの頼みで付き添ってきたことがあった。
小さな個人病院と違って立派な造りで、建物の内部には中庭――半地下に掘り下げた大きなレンガ造りの床の吹き抜けの空間があって、そこで入院患者や医者が、思い思いにくつろいでいたのを覚えている。
一番近い扉に近づく。
向こうから激しい銃声が響き始めた。
扉を押すと、鍵はかかっておらず簡単に開く。
そのまま、音のする方向へ進んで、明るい露台に出ると、眼下の中庭で戦いが始まっていた。
戦っているのは、黒い軍服に銃を構えた兵隊が50人ばかりと――アキオだった。
柱に身を隠し、素早く移動しつつ銃を撃つ少年へ、男たちが間断なく射撃する。
時折、何か黒緑の塊が投げられると、それが爆発して柱を破壊した。
さっき見えた黒煙は、その爆発のものだろう。
だが、不規則に素早く動く少年を、男たちは捉えきれず、逆に彼の正確な射撃で、ひとり、またひとりと彼らの戦力は削られていた。
アキオは、倒した兵士から銃を奪うと、背丈を超える長さの銃をいくつか肩からかけ、それを取り換えながら、凄まじい速さで弾を撃ちながら走り回る。
あたしは、その動きから、美しさを感じた。
アキオの小さな身体が、戦闘の上で有利に働いている。
だけど――
「チェンタを出せ」
誰かが、おそらく指揮官が叫んだ。
その言葉に応じて、ひと際強く腹に響く轟音が聞こえると、何かが中庭の奥から出て来た。
「あれは――」
あたしは言葉を途切らせた。
どうして、ここにあんなものがあるの――
それは、8輪のタイヤを履いた戦車だった。
都会の、この街中にあるべきものではない。
「どうだ、AI制御のRWSを搭載したチェンタウロ10だ。さすがに化物のおまえでも本物のケンタウロスにはかなうまい!」
登場と同時に、戦車はものすごい速さで大砲を撃ち出した。
その横につけられた無人の巨大な銃も、水を撒くように空薬莢を吐き出しながら、銃弾の雨をアキオに降り注ぐ。
少年が走るそのすぐ後を弾が追いかけ、レンガの床を破壊していく。
少しずつ着弾が近づき、アキオに当たりそうになった時、彼の身体は柱に隠れ、見えなくなった。
そこを大砲の弾が直撃する。
あたしは、一瞬、絶望的な気分になった。
あんなものに――勝てるわけがない。
まるで、子供の頃に母が読み聞かせてくれた昔話、巨人ゴリアテとダビデの戦いのようだ。
その話で、羊飼いの少年は投石機を用いて勝ったのだが、この巨大な戦車に石を投げても、銃を撃ってさえ効きそうにはない。
だけど……
あたしの心に、なぜか説明のできない安心感が広がる。
あの子が、これぐらいで死ぬはずがない、という安心感が――たぶん、それほどまでにアキオの動きは超人的だったのだ。
彼が消えた場所と正反対の柱の陰から、灰色の影が飛び出した。
アキオの着る大きな軍用ジャケットの色だ。
少年は、残像が残るほどの速さで、自動銃の弾を避けながら、這うように地面をジグザグに走って戦車の周りを一周した。
彼が離れると同時に、凄まじい轟音が響いて戦車の車輪が吹っ飛ぶ。
チェンタウロは、かろうじて残った歪んだタイヤで、妙な動きを繰り返すだけの置物となった。
「どうした!」
「我々の榴弾を使ったようです」
轟音で痛む耳に敵の会話が飛び込んでくる。
あたしは悟った。
これは巨人ゴリアテとダビデの戦いではなく、不死身のケンタウロスであるケイロンと英雄ヘラクレスの戦いだ。
動けなくなった戦車の上部に小さなヘラクレスが飛びつき、彼が離れると同時に、砲台と銃架も吹っ飛んで、ケンタウロスは、最後に、死を求めて祈る断末魔の悲鳴のようなエンジン音を響かせて完全に沈黙した。
少年は、休むことなく、呆然と彼の戦いを見ていた兵士の掃討に移る――
あの子は大丈夫――
そう確信したあたしの眼は、戦闘から離れ、ヒビトを探した。
彼は――いた。
建物の奥で、腕を縛られ、両側から兵隊ふたりに捕まえられている。
彼の横に立つのが、胸の記章からいって、敵の指揮官だろう。
あたしは、露台から走り出ると、下に降りる階段を探した。
幸いなことに、兵隊は全員下に集まっているらしく、あたりには誰もいない。
まもなく階段を見つけた。
数段飛ばしで階段を走り降りる。
スカートの裾が激しく翻るが、そんなことは気にしていられない。
中庭に駆け出ると、戦闘は決着しつつあった。
アキオの圧勝だ。
あたしは、残った敵に見つからないように、柱に隠れながらヒビトに近づいた。
彼を捕まえる兵士に殴りかかるため、柱の破片を地面から拾った。
足音を殺して青年に近づく。
もう少しで、ヒビトに辿りつける、というところで、あたしは腕を掴まれた。
頭に固いものを当てられる。
「動くな」
振り向くと、大きな兵士があたしを捕まえ、頭に銃を向けていた。
男は、アキオに小銃の銃口を向けられ、やむなくヒビトを開放しようとしている上官に向かって叫んだ。
「ロニエル少尉。女を捕まえました」
脂汗を流していたらしい軍人は、ぱっと顔を明るくして叫んだ。
「よくやった――お前にとって、この女がどういう存在かは調査済みだ。さあ、どうするヒビト・ヘルマン」
ヒビトは、あたしを――あたしの頭に突き付けられた銃を見て叫ぶ。
「わかった。彼女を開放しろ。僕は亡命を中止する」
「さっき行った亡命宣言を取り消すということだな」
「そうだ」
「ヒビト!」
状況が分かったあたしは、目の前が暗くなった。
この国に生きる者として、あたしも亡命について多少の知識はある。
ヒビトは、あたしが来る前に亡命宣言をしたのだろう。
四大国規約によって、亡命宣言をしたものは、亡命希望国の助けを受けることができる。
逆にいえば、宣言を行わない者は、いかなる援助も受けられない。
今の時点で、トルメアがあたしたちに対してできることはなくなった。
亡命の意思を示さない者を、強制的に連れ去ることはできないからだ。
「なら仕方がない」
それまでと違う声が中庭に響いた。
傾き始めた太陽によって、斜めに差し込む光の中に、浅黒い肌の青年が現れる。
「悪いが、俺たちも、彼をこのままこの国に放置して、危険な兵器を作らせるわけにはいかない。彼には事故で死んでもらう」
そういって、青年は静かにアキオに命じた。
「アキオ、ヒビト・ヘルマンを撃て」
少年は銃を構えなおし、銃口をヒビトに向けた――が、引き金は引かない。
「どうした、撃つんだ。これは命令だ」
なおもアキオは動かない。
アキオの上官は、こめかみに癇を立てると、彼女の知らない言葉で叫んだ。
「アゴーニ!」
いやな予感がして、あたしは叫ぶ。
「ダメ、アキオ!やめて!」
その言葉と同時に、アキオの小銃が数度跳ね上がり、ヒビトが倒れた。
床に血が広がる。
「わぁ!」
あたしは叫んだ。
滅茶苦茶に暴れると、腕を掴んでいた兵士がゆっくり倒れ、あたしは自由になった。
男は胸から血を流している。
「ヒビト!」
あたしは倒れた恋人に走り寄ろうとし――力強い腕に止められた。
「もう少し待ってください。お嬢さん。今、しばらくは銃弾が飛び交って危険ですから」
だけど、あたしはその言葉を聞いていなかった。
倒れたまま動かず、その血で中庭のレンガを濡らしていくヒビトをじっと見つめ続ける。
死んだ、死んだ、死んだ……
あたしのヒビトが死んでしまった。
あたしはどうすればいい?
いいえ、することは決まっている。
でも、どうやって?
あたしの頭に閃きが走った。
「離して!」
あたしは暴れる。
「マミロッド、離してやれ」
アキオに命令していた男の言葉で、あたしは自由になった。
「すみませんね。お嬢さん――あっ、どこに行くんです」
驚く男の言葉を背中に受けながら、あたしは、中庭を出て階段を駆け上がった。
そのまま病院を飛び出し、路地を走る。
驚く人たちを無視して、走り続ける。
スカートの裾が乱れても気にしない。
急いで、急いで――今なら、まだあるはずだ。
息を切らせてあたしは走り続ける。