331.方位磁石の示す場所、
サルヴァールと別れたアキオは、アパートへ向かった。
新しく得た情報で、今まで不審に感じていた事柄が、すべてすっきりと一本に繋がった気がする。
ヒビトが、アキオの常人離れした身体能力を目にしながら、さして気にしていなかったことも、簡単にトルメアへの亡命を口にしたことも、彼がその頭脳を渇望される科学者であるなら納得できる。
おそらくヒビトは、いずれは隠していた自身の能力が暴かれて、ネオ・ネイシアかトルメア、あるいはその両方から狙われることを予想していたのだろう。
アキオの力を知った時、青年は、彼がトルメアから遣わされた強化兵だと確信したに違いない。
薬物を用いた身体強化は、現時点でトルメアとサイベリアでしか開発されていないからだ。
実際には、アキオはサイベリアの極東研究所で、国家にすら秘密裏に開発されていた特殊強化兵だったのだが、ネオ・ネイシアに強化兵がいるとしたら、ほとんどの場合は、一触即発の状態にあるトルメアの息のかかった諜報員と思うのが普通だろう。
青年の身分と思惑が明らかになったことで、アキオの任務は、ほぼ終了したといってよくなった。
あとは、アパートに戻って彼が身分を明かし、ヒビトとアカネを安全にトルメアへ亡命させる用意があることを告げれば、間違いなく青年は承諾するだろう。
サルヴァールが密かに願う青年の抹殺は行わなくていい。
アパートが見えてきた時、彼の感覚に不穏な信号が走った。
危険信号だ。
何かが起こっている。
アカネの部屋のドアが開いたままになっているのだ。
アキオは、建物の裏に回ると、背後に建つビルへ向かってジャンプし、壁を蹴ってさらに上へ跳ね上がってアカネの部屋の窓にとりついた。
昼間、人のいる時、アカネは窓のカギをかけないことを彼は知っている。
片手で窓枠につかまり、見つからないように中を覗く。
室内では、ダーク・スーツを来た男たちが、土足のまま部屋に立っており、床にアカネが倒れていた。
男たちは3人いて、1人は背が高く、ひとりは太っていた。
ふたりは手にグロック17を握っている。
男たちのだらしない銃の構え方から、彼らが戦闘のプロでないことは容易に知れた。
もう一人、身体を屈めてアカネに何か話しかけている五十男が、一番仕立ての良い服を着ていた。
こいつがリーダーだろう。
アキオは、内ポケットから止血用の伸縮フィルムを取り出すと、窓ガラスの枠近くに貼り付けた。
強靭で粘着力の強い保護膜によって、ガラスが飛び散らないようにするためだ。
さらに少年の手が閃くと、魔法のようにPPKが彼の手に現れる。
遊底後部の、L.C.I.のピンを見るまでもなく、薬室に弾丸は装弾されていない。
口を使って遊底を操作し、.32ACP弾を薬室に送り込むと、迷わず引き金を引いた。
発射された7.65ミリ弾は、ほぼ弾丸サイズの穴を窓ガラスに開けて、背の高い男の肘に埃を立てた。
利き腕を撃たれた男はグロックを放り出す。
続けて、フィルムに開いた穴を通して、太った男の肘にも1発撃ち込む。
素人同然の男たちの弾丸が自分に当たるとも思えないが、敵が銃を持っていたら、まず排除するのが戦闘の鉄則だ。
流れ弾が少女に当たるのも避けられる。
男たちへの着弾を確認してから窓を開け、アキオは流れるような動作で室内に入ってアカネに近づいた。
2人の男たちは腕から血を流して悲鳴を上げ続けている。
大げさな連中だ。
彼が使う、火薬量を減らした.32ACP弾程度では、腕に穴があく程度の傷しかつかない。
アカネの傍にいた五十男は、手下の絶叫で、腰を抜かしたように床に座り込んでいた。
アキオは、そいつを無視して、アカネの横に膝をつくと、眼を閉じた彼女の肩に手を触れる。
少女が眼を開いた。
「ア……キオ」
彼は、彼女の口もとが切れて痣ができているのに気づいた。
背後の気配で、男が銃を取り出したことを知った少年は、素早く立ち上がると五十男を蹴り上げた。
男は、手にしたP99を放り出しながら、玄関から外に飛び出し、廊下の手すりに激突する。
アキオは、うめき声を上げる他の二人も同様に外へ蹴り出した。
手加減はしたから、骨は折れただろうが、死にはしないはずだ。
「アキオ……」
振り返ると、アカネが立ち上がっていた。
彼に取りすがって叫ぶ。
「ヒビト、ヒビトが――連れていかれたの!」
アキオはうなずいた。
どうやら、この国の組織が動いたらしい。
彼が廊下の男たちを見ているのに気づくと、
「こいつはシンメイ工業の社長よ。あたしに気絶させられたことを恨んで襲って来たの――」
アカネが、そう説明する。
「さっき、あんたが出て行ってすぐ、こいつらとは別の男たちがやってきて――ちょっと話をしただけで、ヒビトは抵抗しないで連れていかれたの」
青年は、国家権力の恐ろしさを知っている。
自分の能力が、先に、この国の特務に知られたのであれば、アカネの身を守るためには、言うことを聞かざるを得ないことも。
「あたしは手足を縛られて――やっとそれをほどいて、追いかけようとしたら、こいつらがやって来て……」
組織の者が縛り方を間違えることなどありえない。
すぐにほどけるように加減して結んでいたのだろう。
おそらく――アカネは、ヒビトを追って路地で射殺される予定だったのだ。
青年に気づかれないように。
新しく、使えるヘルマンを手に入れたことは、対外的に隠しておいた方が得策だ。
少なくともしばらくの間は――
アキオは廊下で呻く男たちを見た。
こいつらはもういい。
結果的に、彼らによってアカネは命を救われたのだ。
いまは、青年を見つけ、奪い返すことが最優先任務だ。
彼は、眼にいっぱいの涙を浮かべる少女の顔を見た。
アカネも、恋人を連れて行った男たちが普通ではないことを感じているのだ。
そして、彼が普通の子供でないことも確信した――
青年は、どこに連れていかれたのだろうか。
2ブロック先の武器研究所ということは――おそらくないだろう。
土地鑑の無い少年には、ヒビトの連れていかれそうな場所は思いつかない。
だが、何か策はあるはずだ。
考えろ。
少女が、心配げに細い指を胸の前で組むのを見て、彼は思い出す。
アカネの手からヒビトに渡された方位磁石と、その時の青年の言葉――アズルタイト。
アキオは、床に落ちた拳銃を、ごみ箱に捨てる少女を見ながら部屋を出ると、路地に向かった。
薄暗い路地が切れ込んだその奥の、壁のレンガを抜き取ると、暗視ゴッグルの横に置かれた四角い箱を取り出す。
不格好で大きなその装置は、各種センサーが組み込まれた分析機、いわゆるトライコーダーだ。
アキオは、装置のつまみを操作し、出発前にマミロッドから教えられた知識を使って、ソリトン波を発するように調整した。
アズルタイトは、発音の似ている藍銅鉱とは異なり、宇宙より飛来した隕鉄の一種だ。
ごく少量しか発見されていないため、市場に出れば、高値で取引される。
その特色のひとつめは、軽さのわりに振動や揺れをよく吸収してくれることだった。
よって、装飾品としての方位磁石の磁針盤に使われることが多い。
単価が高すぎるため、工業製品には使われないのだ。
もうひとつの特徴は、ソリトン波に異常反応するということだ。
かなり少量でも、照射されたソリトン波を増幅して放射する性質によって、離れていても容易に見つけ出せるため、追跡装置として使われることもある。
その性質を利用すれば、ヒビトの位置を特定できるはずだ。
装置からピンを打つ。
すぐに反応があった。
位置を少し変え、再びピンを打つ。
再び反応がある。
あとは、簡単な計算をするだけで座標を割り出せた。
装置を元通りにしまったアキオが立ち上がると、背後から声が掛かった。
「わかったの?」
アカネだ。
アキオはうなずく。
「あたしもつれてって。あたしも行く!」
少年は首を横に振った。
おそらく、行った先で戦闘になるだろう。
しかも、かなり激しい戦いだ。
そんな場所に非戦闘員のアカネを連れてい行くわけにはいかない。
「――」
不意にアキオはPPKを手にして通路に走り出た。
銃を速射して路地に立つ3人の男たちを倒す。
近づいて調べると、明らかにさっきの素人とは違う。
プロの男たちだった。
アキオは理解する。
アカネは、組織の殺害対象だけでなく監視対象でもあったのだ。
間違いなく――彼を見つけるために。
彼らにとって、少女がギャングにどう扱われようと関係はない。
だが、ふたりの生活に見え隠れする、どうにも怪しい謎のコドモを放置するわけにはいかなかったのだろう。
路地で死んだ三人の男たちも彼らの注意を引いたに違いない。
アカネが彼を追って通路に出てくる。
少年は周囲を見回した。
今のところ次の脅威はない。
だが――
アキオは決心する。
放置してアカネに危険が及ぶのなら、連れて行って自分が守る方がいい。
彼は、決意に目を輝かせる少女に手を差しのべた。
「つれて行ってくれるのね!」
アカネは少年に抱き着く。
アキオは無表情にそれを離すと、先に立って歩き始めた。
急いで少女がそれを追いかける。