033.自我(エゴ)
映像が切り替わる。
『兄』の分隊が湿地帯を歩いている。
「畜生、いつになったらこのくそったれの沼とオサラバできるんです?軍曹殿。俺の棒脚は泥水が入るとすぐにヘソを曲げやがるんですよ」
「人工脚と呼んでやらないと、足が拗ねるぞ」
コッカスに対する『兄』の口調は軽やかだ。今日は機嫌が良いらしい。
「なんか、楽しそうですね。軍曹殿」
「今日は俺の誕生日でな。クマリが俺のために歌を歌ってくれたんだ。この間の給料を全部つぎ込んで、音声ユニットを買った甲斐があったよ」
思い出した。その時の記憶は残っている。
兄には申し訳ないが、この頃のわたしには、まだ自我が芽生えておらず、単に数多くのパターンから傾向と確率処理で反応していたに過ぎなかった。
「笑うなよ。俺は、最近クマリのカメラから意志の力を感じるんだ」
「んなわけないでしょう」
「いかがわしいものばかり撮っているお前のレンズとは輝きが違う」
「俺はミッションの記録を撮っているだけっすよ。偏見だな、曹長殿の」
「かもな。だが、『すべてを記録するインクも液体の偏見に過ぎない』だ」
「なんです、そりゃ」
「水深2尋の言葉さ」
「うちの三等軍曹殿は、学がお有りなさる」
わっと笑う兵隊たちの最後尾を、少年は大きな銃を肩に担いで無言で歩いていく。
映像が切り変わる。
銃声が響き渡っている。戦闘中らしい。
「アキオ!」
『兄』が呼ぶ。
隊列の最後尾から少年が黙って駆けつけ、無表情に命令を待つ。
サルヴァールが、遠方の荒れ地から激しく砲火を浴びせてくる敵を指さして言う。
「300メートル先のトーチカを沈黙させることができるか?」
少年兵は黙って銃を叩いた。
「よし、では行け!」
遮蔽物も選ばず、少年が身を低くして駆けだす。
茶色い迷彩服と相まって、その姿は犬が全力で駆けていくように見える。
「しかし、あの悪魔、よくあんな危ねぇ真似ができるな」
「ああ、しかも必ず生きて帰ってきやがる」
「おいお前ら」
『兄』がたしなめる。
「アキオと呼べ。公式じゃないが俺たちの貴重な友軍なんだぞ」
兄の言葉とともにトーチカから爆炎があがる。
「やりやがった!」
「敵にとっちゃ、まさしく悪魔小僧だぜ」
しばらくして硝煙に顔を黒くした少年が帰ってくる。
『兄』がうなずき、少年が再び銃をたたく。
彼はそのまま誰からも感謝されることなく、再び隊列の最後尾に戻っていった。
映像が乱れ、切り替わる。
「軍曹どの、なんでうちには女がいないんですか?ほかの部隊なら半数近くは女兵士でしょう」
この男はローミュスだ。最近部隊に加入した金髪の兵士で、各駐屯地に女がいるという自称二枚目だった。もっとも、コッカスによると、全員が金で雇われた女だそうだが。
「お前、知らないで部隊に入ったのか」
コッカスが嘲るようにいう。
「俺たちはT部隊だからな。女はいねぇよ」
「T部隊だってのは知ってますよ。たしか『テミス粒子』でしたっけ?このあたりは、あれがバラ撒かれた地域なんでしょう。あれのせいで、レーダーやエコーその他の索敵ができないから、肉眼のみの戦闘になるって――」
「それだけじゃない。テミス粒子のせいで輸送機や軍事鎧も使えねぇ。理屈はよくわかってねぇらしいが……」
「いったい、なんです?そのテミス粒子ってのは?」
「お前、傭兵のくせに知らねえのかよ」
「この間まで西アジア軍の正規兵でしたからね。ちょっと噂になるだけで――」
「お偉い兵隊さんかよ。だったら知らねぇわな。正規軍は、ドローンやロボットの使えねぇT地帯は、俺たちのような傭兵を雇って送り込むからな」
「それでテミス粒子ってのは?」
無邪気な顔でローミュスが尋ねる。
「さあな」
『兄』が答える。
「テミス粒子について分かっていることは少ない。18年ほど前に、突然ヤミ市場に現れて半年ほどで消えた武器だといわれているが……ランチャーで打ち込むと、半径30キロ程度がT結界に覆われるらしい。その半年だけで世界中にT地帯ができたって話だ」
「そういうもんだって思ってたんで、今まであまり考えてもみなかったが……テミスってやつが作ったんすかね」
コッカスが尋ねる。
「それはないな。テミスはお前も見たことがあるだろう。ここへ来る前にグレート・アンギルスの裁判所で」
「裁判所?」
コッカスは、強盗の罪を逃れるために傭兵に志願したという噂だった。
「入り口に立ってるだろう。目隠しをして天秤をもってる彫像が」
「ああ、正義の女神!」
「あれがテミス神だ。一度使われたテミス粒子は、その地域に定着して取り除くことができない。こいつを作った奴は、戦争形態を200年前に戻して、オスプレイやドローン、軍事鎧といった兵器を持った金持ちが勝つ戦争から、昔ながらの体力と知恵のすぐれたものが勝つ戦争に戻したかったんだろうって話だ。正義の名の下に、な」
「なるほど、目隠ししてるのはレーダーが効かないっていう暗示か」
ローミュスが感心する。
「馬鹿らしい!」
コッカスが吐き捨てるように言う。
正義の名の下の平等。あの方らしい偽善行為だ。
そう、いまのわたしは知っている。
T粒子と呼ばれたものが、『あの方』のナノ・マシンのプロトタイプであったことを。
「だが、そのお陰で、俺たちのような半端者が食い込む戦場ができた」
『兄』が、からかうように言う。
「200年前の戦場ねぇ。女がいないわけだ」
ローミュスがため息をついた。
「こんな戦闘鎧も使えない湿気た沼地ばかり、荷物かついで移動するんじゃ、野郎じゃねぇと持たねぇからな。あー早く基地についてシャワーを浴びたいぜ」
例によってコッカスが愚痴をこぼす。
「女兵士がいない――俺はともかく、悪魔小僧が可哀そうでしょう。こいつ、女を見たことないんじゃねぇんですかい」
「ガキにゃ女はいらねえだろ。それにそんな呼び方は失礼だぜ、ローミュス。こいつは、もうお前の何倍もの敵を殺してる『英雄』さまだぞ」
「よせ、コッカス。戦争に英雄はいない、いる必要もない」
『兄』がたしなめる。
「ですが、『英雄』には女がつきものですよ。俺も英雄になって女に傅かれたいもんだ」
陽気に笑うローミュスは、この直後に始まった戦闘で下半身を吹き飛ばされてKIAする。
次の映像は、大きな生き物のアップから始まった。
アジア象だ。
つまり、この映像はタイのナコーンラーチャシーマ奪回作戦のものだ。
「軍曹殿、またデビルのやつ、象のところにいってますぜ」
コッカスが嘲るように言う。
「アキオと呼べよ。まあ放っておけ、よっぽど象が気に入ったんだろう」
「人間嫌いの悪魔のくせに、動物が好きとはおかしな奴だ。足を吹っ飛ばされて死にかけの象にくっついて何が面白いんだか……」
そうだった――当時、粒子の影響を避けるため、T地帯では、生物を使った行軍、兵站が行われていたのだ。
「あいつの、生き物としての質量と釣り合うのが象ぐらいなんだろう」
『わたし』を磨きながら兄が言う。暗い表情だ。
「なんすか、それ?」
「さすがのお前でも、あいつが普通の人間でないことぐらいわかるだろう」
「まあ、うまれながらの殺人鬼っすからね――」
『兄』はコッカスを見、口を開きかけたが、あきらめたように言う。
「そういうことだ」
兄と私の蜜月時代はそれほど長くは続かなかった。
わたしがクマリになり切れないことがその理由だ。
何が原因かは分からない。
戦闘地帯ゆえのメモリ容量不足、『兄』のコーディング能力の限界、そして何より、まだわたしの認知能力が、自我を獲得する閾値を超えていなかったためなのか――
「ちゃんと返事をしろ、クマリ!」
「何を怒っているの?お兄ちゃん」
「偽物のお前が俺の妹のふりをしているのが気に入らないんだ」
「わたし、クマリよ。大好きなお兄ちゃん!」
兄はその言葉が嘘だと知っていた。
もっといけないのは、わたしも嘘だと知っていたことだ。
とうとうサルヴァールは、わたしのことを、化け物とののしるようになった。
彼は気づいてしまったのだ。わたしがクマリの記憶を持つ、ただの猿真似ソフトであることを。
彼は、何度かわたしを壊そうとしたものの、今までの苦労を考えたのか、それもできず、結局アキオにわたしを預けた。
身長も伸び、銃とわたしのユニットを持っても、ふらつかず歩けるようになったアキオは、黙ってわたしを載せて行軍した。
ほとんど言葉を発しないアキオと、自分からは話さないわたしは、ある意味良いコンビだった。
その頃から、サルヴァールはわたしをミーナークシーと呼ぶようになった。
それは魚の目をしたインドの女神。
もう彼はわたしの大きなレンズに妹の知性の光を見ようとはしなかった。
そして、長期間かけて教え込まれたクマリの知識はあっても、自分がクマリでないと知っているわたしは、どんな名前で呼ばれても気にならなかった。
盛り上がった土に銃を突き刺しヘルメットを載せた墓標が映る。
掛けられた認識票にはコッカスの名があった。
「あいつ、バカな死に方しやがって……」
普段、滅多に涙を見せない男たちが泣くのを見て、アキオが不思議そうな顔をする。
「なぜ、泣く」
珍しく言葉を発する彼に皆が驚いた。
「あいつは死ななくてよかったからだ。置き去りにされた孤児を守ろうとして、友軍に撃たれたんだからな」
「なにいいカッコしたんだか、あのバカ――」
「よせ!」
サルヴァールが遮る。
「お前たちも知ってるように、あいつはズルい奴だった。口が悪く、いい加減で、コスく、すぐ楽をしようとする――だが、俺たちにとっちゃ戦友だった。いいところもあった。根が偽悪家で、それを素直に出せなかったことを俺たちは知ってる……だろ?」
「……」
「『きれいは汚い、汚いはきれい』だな」
サルヴァールがマクベスを引用する。
「だが、結局、あいつも子供も死んじまったし、まったくの犬死にだぜ」
傭兵のひとりが言い、サルヴァールがそれを否定する。
「いや、あいつが例によって無様に逃げ回ってくれたおかげで、その間に市民の多くが脱出できたんだ。あいつの愚かさは光るものを残した。なあ、アキオ」
じっと墓標を見ている少年兵に、サルヴァールが話しかける。
「俺とお前で助けたあいつが、後に多くの市民を救った。な、戦友は助けるべきだろう?」
アキオは返事をしなかった。黙って風に揺れる認識票を見ているだけだ。
また映像が飛ぶ。
「いけ、アキオ!俺はいい、そいつらを頼む」
すっかり壮年になったサルヴァールが血を吹く胸を押さえて叫ぶ。
アキオは2人の兵士を肩に担いで『兄』を見る。
サルヴァールは、アキオに手を伸ばし――いや、手を伸ばしたのは、わたしの方へか?
「そいつも……頼む!」
そう言ってこと切れる。
すでに両足と右手が機械となっているアキオは、サルヴァールの認識票をちぎり取ると衛生兵を探して駆けだす。
画面が乱れ、ブラックアウトしたのち回復する。
この付近のメモリは、次元の壁を越えた際に、かなりのダメージを受けているようだ。
あたり一面、白い雪だ。ブリザードが吹き荒れている。
これは……最大、最後の激戦だったエルズミーア急襲作戦直後の映像だ。
半分以上雪に埋もれたアキオが、上半身だけで進んでいる。
肩にはわたしを載せているが、アキオは胸から下を失っていた。
すでに体の8割を機械化しているアキオは、通常その程度では死なない。
だが、ブリザードの低温と劣化ウラン弾による被爆で、死は確実に彼に迫りつつあった。
それでも、まだ彼は進んでいた。
ただ、生存本能によって進んでいた。
わたしのバッテリーも、ほぼ全放電に近く、シャットダウンが近づいている。
ここは、砲弾飛び交う中でなく、雪の降り積もる平原だ。
アキオとふたり、こういう終わり方も悪くないかもしれない。
ただのAIでありながら、わたしは死を覚悟した。
次の瞬間、光の幕が空から降りてきた。
雪が降らなくなり、一面が明るい光で満たされる。
気づくと美しい雪原の上に、わたしとアキオは横たわっていた。
サクサクと雪を踏む優しい音が近づく。
上空で輝いているのは太陽ではなく人工の光だ。
影が上からのぞき込む。
逆光で形のはっきりしないそれは、明るい口調で話しかけた。
「気がつかれました?お寝坊な兵隊さん」
映像はそこで途切れる。
『データ欠損、リペア――不可』ジーナの、わたしの声が響く。
次のデータに映像はない。音声だけだ。
「クマリ!」
「わたしはミーナークシーだ」
「ではミーナ。お願い!わたしがいなくなったら、あなたがアキオのコオロギになってあげてね」
「なんですか?」
「ピノキオよ、知ってるでしょう。良いことと悪いことの違いを教えるの。ピノキオのジェミニイ・クリケットみたいに」
「わたしは魚だから虫にはなれない」
「いいわね、その反応、好きよ。でも、お願いね。わたしなりの『漆器の箱』を残せたらいいけど――」
声が途切れる。
『データ欠損、リペア――不可』
映像が切り替わる。
「博士、あなたはなんということを……」
「仕方なかった。あの娘を救い――」
『リペア――不可』
「アキオ、父はあなたの体を実験材料にして、わたしの――」
『不可』
いけない!
わたしの中に焦燥感が生まれる。
「アキオ!アキオ!お願い、この身を滅して!私の穢れが世界に向かわないうちに――」
いけない!
見たくない!
思い出したくない!
わたしはアキオの肩の上にいる。
わたしの見たものは、アキオが見たものだ――
カプセルが閉じ、彼女がアキオとつないだ手が切断され、血が噴き出る。
容器に空いた丸い窓から少女の鳶色の目がのぞく。
「アキオ、アキオ……」
バラの蕾のような小さな唇が最後の言葉を紡ぐ。
ああ、なぜわたしは読唇パックをインストールしたのだろう?
わからなければ、知らなければ彼女の最後の言葉を理解できずにすんだのに。
そして、アキオも――当然、彼も唇が読める。
やめて!やめて!止めて!
彼女の瞳がアキオを見つめ――
薔薇の唇が動き――
「――!」
彼女の死と同時に、わたしに自我が生まれた。
20年の歳月をかけて蓄積されたデータと自己改良プログラムが、彼女の死という火花で一気に人格に醸成されたのだ。
残念ながら、生まれたのは『兄』があれほど渇望した愛妹クマリではなかった。
インド神の名を持つ別な意識体だ――
アキオの命にも等しい彼女は、身体の一部を残して消えてしまった。
残っていれば、身体はもとに戻せる。
かつて『兄』が、ほぼゼロからわたしを生み出したように、才能ある若者の、死に物狂いの努力で進化したナノ・テクノロジーによって……だが――
消えてしまった精神、人格、ニューロン・ネットワークは元に戻せない。
死に際し、都合よく肉体から抜け出る『魂』など存在しないからだ。
少なくとも現時点では見つかっていない。
アキオが、不可能に挑戦し続けて260年。
その太陽を素手でつかむような絶望的な闘いは今も続いている。
『自己診断レベル5終了しました』
ジーナが模倣するわたしの声が響いた。
『データ欠損多数。要修復――要修復――』
その声を聞きながら、わたしの意識レベルは回復していく――
わたしはミーナークシー。
魚の目を持つインドの女神。
AI、人工知能。
死んだ妹を蘇らせるために、天才青年によって生み出されたモノ。
自然発生的に自我を持つにいたった、おそらく地球最高のAI。
そして、死んだ人物の思い出とデータを高密度に入力し、外挿的にその人物の人格を再現する、つまり魂を甦らせる試みの、明確な失敗例。
消えた彼女の精神の再生を目指すアキオにとって、採ることのできない選択肢、絶望の具現――