324.竜涙
「なぜ、わたしだとわかったの?」
「近づく君からナノ・マシンの存在を感じなかった」
「ナノ・マシンの存在?」
「以前は分からなかったが、眠りから覚めると感じられるようになっていた」
「そう――」
サフランは、もう一度アキオを抱きしめる。
「この城で、ナノ・マシンを体内に持たない者がいるなら、それは君だろう」
「この城、というより、この世界で、ね。もうほとんどのヒトの体内にナノ・マシンは入り込んでいる――」
アキオの肩の上に顎を乗せて、囁くように少女が言う。
「君にはナノ・マシンは定着しないのか」
「わたしは――なんていうか、強すぎるのよ。ナノ・マシンを体内に持つには」
「そうか」
「他に聞きたいことは?」
サフランは、アキオから体を離し、
「この体については尋ねないの」
そういって立ち上がり、腕を広げて一回転する。
彼女の身体は、肩、二の腕、太腿と脛の外側に、防御鎧のような、硬質の爬虫類の外皮に似たもので覆われていた。
「触ってもいいか」
「ええ」
アキオは子細に皮膚を観察すると、
「丈夫そうだな」
と、言う。
「――」
「どうした」
「それだけ?」
「他に何か」
「いえ、あなたはそういう人だったわね。そう、頑丈よ。もともと、ドラッド・ジュノスがドラッド・グーンから受けついた外殻の名残なの。最近まで人間らしい身体つきをしていたのだけど、この間、少しばかり無理をしてグーンの力を使ったから、こっち寄りになったのね。瞳もオレンジ色で虹彩も四角くなったし」
立ったまま、サフランは軽く肩をすくめるような恰好をした。
「でも、アキオで良かった。普通の男なら、きっと引いてしまうだろうから」
「引く?」
「いいの!」
「人格はどうなっている」
「ジュノス、シスコ、サフランの融合人格ね。もう境界がわからない」
アキオはうなずいた。
「君がカマラを救ったと聞いた」
おそらく、彼女のいう無理とは、その時の行動のことなのだろう。
「カマラは、わたしのたったひとりの友だちだもの」
優しい口調で少女は言い、
「そして、あなたはわたしの番の相手――」
アキオに飛びつく。
「そうか」
風変わりな美少女を、彼はしっかり受け止めた。
サフランがアキオの顔に頬を寄せる。
前回、別れた時の印象と違って、今の彼女は、かなり積極的だ。
「ああ」
サフランが今さら気づいたように、ゆっくりと身体を離した。
「ごめんなさい――ちょっと激しすぎた?」
「いや」
「アキオは、わたしと会うのは久しぶりだものね。でも、わたしは三か月前からここにいて――」
少女がするりと身体を回転させて、アキオの上に腰を下ろして首に手を回す。
「3人から始まって、アキオの添い寝の子がどんどん増えていくのを、じっと見ていたのよ」
「見ていた」
「あの子が、アルメデが、わたしをあなたに近づけないの。本当にひどい子。頑張って、あなたが教えてくれたファイルを参考にキラル症候群に対処したのに」
「どう対処したかを――」
サフランが、人差し指をアキオの口に当てる。
「それはあとでね。今はわたしに集中して」
「わかった」
アキオはうなずいた。
「でも、公明正大ではあるわね。こうやって、あなたが目覚めたら、ふたりの時間を作ってくれたのだから」
「そうか」
「キラル昏睡から皆を回復させたことと、ケルビの少女のお礼らしいわ」
「ラピィのことも感謝する」
「そんな他人行儀ないい方をして――あなたが、やれ、というならなんでもするわよ」
少女が笑った。
口の端から小さな牙が見える。
「あの子は良い子だし、納得ずくとはいえ、もともと人型にする予定だったケルビ種を、あの巨体のまま放置していたことは気がかりだったの。今回、彼女ひとりだけでも、もとの計画通りに進化させられたのは幸運だった」
「なぜ、アルメデは君に厳しく当たる」
「それは――」
サフランは、ざば、と湯の中に潜るとアキオの胸に抱き着いた。
オレンジ色の髪が湯の中に広がる。
アキオは、少女の顎に手を当てると、上に引き上げた。
サフランは、うつむいたまま、水にぬれた髪の毛で顔を隠してアキオに取りすがる。
いやいやをするように首を振った。
「サフラン」
「――」
アキオは指で少女の髪をかき上げる。
サフランは――ジュノスと人の血を引く少女は、オレンジ色の大きな目に、涙をいっぱいに溜めていた。
「お願い、アキオ。あとでちゃんと話すから――」
「わかった」
そう言って、アキオが指で涙をぬぐう。
「あ、あれ、あれ?なぜ、こんなものが――これは?」
サフランは、美しい顔を困惑させる。
「涙だな」
「なみだ――シスコとサフラン、ふたりと融合して感情が人間に近くなったのね――」
少女はため息をつき、
「抱きしめて、アキオ」
彼は彼女の望みを叶えた。
「本当のことを知ったら、あなたはわたしを許さないかもしれない――」
彼の胸に顔を押し付け、くぐもった声で少女が言う。
「だから、今だけでも、しっかり抱きしめて欲しい」
アキオは、竜の血を引く少女の肩が、小刻みに震えるのを感じていた。