320.露払
「うまくいったようだの」
ヨスルが、アルメデに続いて全体が乳白色に輝く不思議な部屋に入ると、机に座っていたシミュラが顔を上げて声をかけてきた。
「はい、ナノ・マシンとニューメアの学習方法のおかげです」
「それだけ地球語が話せれば十分だ」
「それで?」
「いま、ニューメアのラートリと話をした。データ・キューブから抽出した300年前のグレイ・グー事件の時の対処を参考に、再プログラミング用の塔の設計が完成したそうじゃ」
「速いわね」
「さすがは、おぬしが作ったAIじゃな。話しっぷりもミーナによく似ておるわ」
「AIといえば、わたしにはミーナしかいないもの。他の型は考えられない」
そう言って、女王は困惑顔のヨスルを見た。
「ごめんなさい。ラートリというは、ニューメアの高い城に置かれたAIの名前なの――それで、データは?」
シミュラはディスプレイに眼を落し、
「いま届いた、見るがいい。それと、おぬしの――クルアハルカの容体が良くないというので、こちらに運ばせるように指示を出した。それでよいか」
「もちろんです。治療対象がひとり増えても同じことですから。ただ――」
「なんじゃ」
「またひとり、アキオの周りの席がふさがるような気がして不安です。ハルカは良い子ですから」
「ああ、それは、なんとなく大丈夫な気がするの」
「なぜ」
「その娘に付き添って医者が来るというので、音声通話で断ったら――」
「断ったら?」
「えらい剣幕で、いかにその娘が女王のために命を削って無理をしたかまくしたてられた。あれは、その娘に気があるな」
「その医師の名は?」
「ルイスとか申しておった。おぬしが帰ったら折り返し連絡するといって止めておるが――どうする」
「許可します。ルイス・ドミニスは優秀な医師ですから」
「待て待て、ドミニス?何かいやな響きがするが――」
シミュラが腕を組む。
「コラドの近親者ですか?」
ヨスルが氷のように冷たい声を出した。
「おお、さすがは元暗殺者じゃの。良い声じゃ。やはりピアノに似ておるな」
「シミュラ、からかわないで――そうです。ルイスはコラドの従兄弟。しかし、性格はまるで違うので心配いりませんよ」
そういって、アルメデは、ニューメアへ通話回線を開くと、ルイス同伴の許可を与えた。
「それで、どうするのじゃ」
シミュラがアルメデを見る。
「ヨスルは、すぐに仕事に入るといってくれています」
「大丈夫か?おぬし――」
「やれます。ご命令を」
「やはり良い娘じゃの――では、わたしもやろう。アキオが眠っている間に世界が滅ぼされてしまっては顔向けができぬからな」
すっくと立ちあがって、眼を輝かせる美少女を見て、アルメデが笑顔になる。
「なんじゃ」
「ああ、ごめんなさい。失礼を承知でいわせてもらいますが、あなたがこんなに働き者だったとは思わなかったので……コンピュータの扱いまで覚えて」
「まあ、それは――」
シミュラは苦笑し、
「自分でもそう思うがの。じゃが――」
「そうですね。そんなことをいっている場合ではありませんから」
「まったく、おぬしとわたし、会わせて200歳を超えるふたりに世界が託されるとは、皮肉なものじゃ――じゃから、おぬしの力が必要なのじゃ、ヨスル」
「はい」
「では、まず、グレイ・グーの再プログラミング司令タワー、通称――」
そういって送られてきたデータに眼を通したアルメデの言葉が一瞬止まる。
「カヅマ・タワーの設置を始めましょう。とりあえず、各国の王都近郊に最大規模のタワーを一つずつ作ります。材料はニューメアから運ばせましょう。過去20年をかけて集めた金属の備蓄がありますから――そして、塔を3日で建設、稼働させます」
「アルメデさま、データによると、カヅマタワーMタイプ、Mは最大のMですね、の高さは333メートルとなっていますが、それほど巨大な塔を3日で建てられるのですか」
「建てられるかどうかではなく、建てなければならないのです。今、こうしている間にも、グレイ・グーは、大気を使って自分自身を生み続けています。今は、ほぼ太陽光だけを使っているため、熱エネルギーが少なく速度は遅くなっていますが――いずれにせよ、大気は減り続けているのです。ラートリの計算では、あと4日で人々の呼吸が困難になるそうです。それまで、大気変容型ナノ・マシン、グレイ・グーを分解して、もとの大気に戻させなければなりません。規模が巨大過ぎて、すべてを同時に戻すことはできないので、まずは人口の多い4大国の首都周辺から始めるのです」
「そのためのMタイプじゃな」
「そうです――ヨスル、そんな顔をしないで。タワーといっても、この世界のしっかりした塔でなくていいの。鉄の棒を使う型で」
「鉄骨ですね」
「そう、鉄骨を組み合わせて塔を作るのです」
「かつて地球にあったエッフェル塔のような建物ですか」
アルメデが笑顔になる。
「よく学んでいますね。そうです」
「わかりました。あれなら骨組みだけですから――」
「だが、機材はあっても、わたしたちだけでは塔は建てられぬぞ」
「とりあえず、今あるナノ・マシンを重機がわりに使いましょう」
「なるほど、リトーじゃな」
シミュラが手を打つ。
「いえ、あれほど高性能なものは、今、手許にありません。でも、単純作業をするだけなら、もっと簡単なナノ・バルーンで良いのです。幸いなことに、ドッホエーベの別邸エルデ荘の大広間に大量のナノ・マシンが残されていましたから――」
「ではやろう」
アルメデがうなずき、
「シミュラ、あなたはヨスルとふたりで、サンクトレイカ王都近郊のガイナ高原に行ってください。わたしは、西の国のモルドの森で作業を始めます。塔が稼働開始した時点で、次の土地へ向かいましょう。なるべく早く」
「わかりました」
アルメデは制御盤にコマンドを打ち込み、
「ニューメアから高速艇を呼びました。機材を積んでジーナ城に来ます。そこで、ナノ・マシンとバルーンを積んで現地へ向かわせます。わたしたちは先に、現地へ飛んで、魔獣などの障害物の排除を行いましょう」
「どうやって行くのじゃ」
アルメデは少し考え、
「回収したセイテンを使いましょう。ふたりまでならそれで行けますから。携帯装備は探検用β型で――」
「わかった」
「それでは、出かけましょう。その後のことは、都度、連絡ということにします」
そうして、ヨスルとシミュラはサンクトレイカに飛び立った。
上空には未だグレイ・グーが濃く漂い、噴射する熱エネルギーを使ってセイテンを強制分解しようとするため、かなりの低空飛行を余儀なくされる。
だが、セイテンで飛行する1時間たらずの飛行は、ヨスルにとって楽しいものだった。
シミュラが、彼女とアキオの馴れ初めを話してくれたからだ。
「――というわけで、アキオはわたしは引き上げ、抱きかかえてダラムアルドス城から連れ出してくれたのじゃ。さあ、そろそろ着くぞ、続きは夜の天幕の中で話してやろう」
だが、その夜は、天幕で夜話、などという呑気なことにはならなかった。
空に広がるグレイ・グーの危険さを野生の勘で感じ取ったのか、不安からいら立ちを抱えたゴランの大集団が、彼女たちのキャンプを襲ってきたのだ。
野営地の周りに設置したビーコンの反応で、魔獣の襲来を知ったヨスルは冷静だった。
これまでも何度かゴランとは戦っている。
彼女の人に倍する強力な雷球は、強化魔法を使う魔獣をまったく寄せ付けなかった。
ケルビと違い、ゴランは高電圧に弱い。
彼女の雷に打たれた魔獣は、高電圧に臓器を破壊され、なすすべなく倒れるのだ。
「いくよ」
シミュラと共にヨスルは天幕から打って出た。
魔獣は、退けるだけではなく、今後の工事の安全のために、完全に排除しなければならないのだ。
彼女は、いつものように雷球を生み出そうとして愕然とした。
作れないのだ。
ゴランたちが強化魔法と使って短く光るのを見ても、この地にマキュラはあるはずだった。
「シミュラさま。雷球が使えません」
それを聞くと、複数の銃と剣を地面に刺してゴランとの戦いを開始していたシミュラが、腕を伸ばして剣をひとつ掴むとヨスルに投げた。
「そいつを使うのじゃ。魔法が使えなくても、おぬしの身体はナノ強化されてゴランよりはるかに強い!」
だが、魔法使いとして長く過ごしてきたヨスルは暴力が苦手だった。
巨大なゴランが近づくのを見て、脚がすくむ。
怪物が巨大な拳を振り上げ、彼女の頭に振り下ろそうとするのを見て、眼を閉じようとし――彼女は気づいた。
ゴランの動きが妙に遅いのだ。
閃きが彼女の脳を駆け抜けた。
ジーナ城の学習で学んだ、ナノ・マシンによる意識の加速――
これなら、ゴランの攻撃を避けて剣で斬ることができるかもしれない。
だが、彼女は、すでに物理知識も身に着けている。
意識が加速したところで、身体がついてこなければ意味はない。
ゆっくりと拳が頭にめりこむのを感じて死ぬだけだ。
一瞬、そう思って諦めかけたものの、巨獣の拳が近づくと、スイッチが入るように彼女の身体は自動的に反応した。
ドン、っと地面を蹴ってとゴランの胸に飛び込み、とん、と手で突いて、その勢いのまま怪物の顔の前で一回転し――体重をかけて刃を巨獣の頭に叩き下ろす。
剣はゴランの頭を割り、胸元まで引き裂いた。
回転し続けながら、流れるような動作で巨大な肩を蹴って吹き出す血を避けると、ヨスルは隣のゴランに向かった。
もう彼女に恐怖はなかった。
彼女が受けた――アキオが与えてくれたナノ・マシンは、思考を加速し肉体を著しく強化する。
その相乗効果で、もはやゴランの群れごときは、今の彼女の敵ではないことを理解したからだ。