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032.生誕(バース)

自己診断セルフ・ダイアグノーシスレベル5を開始します。カウントダウン5・4・3……』

 ジーナに移譲搭載コピーした制御コードによる自分の声を聴きながら、わたしは眠りに入る。


 もちろんAIであるわたしは、本当の意味で眠りはしないし、睡眠を必要ともしない。

 しかし、人間同様、人工知能であるわたしも、定期的に記憶メモリ取捨選択しゅしゃせんたくとアーカイヴを更新することで、効率化を図ることができるのだ。


 その間、わたしはまるで第三者のように自分の記憶を俯瞰ふかんして眺めることになる。

 それは、人間が記憶をもとに夢を見るのに似ているかもしれない。


 特に、今回は、太陽フレアによって、アキオとの連絡が途絶とぜつするこの期間を利用して、レベル5というかつてないほど深い階層まで潜っての最適化となるため、普段、わたし自身が忘れていた記憶メモリを目にすることになるだろう……


「……2・1 開始」


 声と同時に、わたしは混濁した記憶の海に落ちる。


 それはノイズとリップル、サージが重なり合う不安定なデータ・プール――



 初めに声が聞こえた。

「さあ起動したぞ。今度こそ人間的ヒューマン・ライクになっているはずだ。見てろよ」

 大きな手がレンズを触り、焦点フォーカスを調整すると、徐々に画像のピントがあった。

 青年の顔が見える。

 カールした黒い髪、ブラウンの瞳、浅黒い肌。

 これは覚えている。わたしのAIとしての初めての映像記憶だ。

「俺がわかるか?クマリ?」

 当然、それまでに手入力インプットされた記憶データで知っている。

 彼はサルヴァール・ハマヌジャン。18歳。

 かつてのムガル帝国の末裔まつえい、傭兵。

 彼自身は、名字の一致から20世紀の天才数学者、数学の魔術師シャリニヴァーサ・ハマヌジャンの生まれ変わりだと信じている青年だ。

 だから、わたしはディスプレイに答える。

「アナタはサルヴァール」

「違う!そうじゃないだろう。クマリ」

 わたしは間違えたようだ。

 メモリを検索して、最適解を見つけ出す。

「にい、さん」

 青年は、ブラウンの瞳を輝かせて叫ぶ。

「見たか、アキオ!クマリは俺を兄さんと呼んだぞ!」

 青年は、広角レンズの端に映る、身長より遥かに長い銃を抱いて、壁にもたれ座る少年に叫んだ。

 だが、少年は無表情に青年を見るだけで反応しない。

「お前の好きなものを言ってみろ、クマリ」

「スキ、わたし、サルヴァール、雲」

「サルヴァールじゃない、違うだろう。そうじゃない。兄さんだ」

 青年は、巻き毛の頭を掻きむしって、キーボードを連打する。

「くそ、今まで入力したデータと、今回の人格コードで、かなりクマリの人格に近づけたはずなんだがダメか。なぜだ?」


 そう、わたしは知識としては知っている。

 彼、サルヴァール・ハマヌジャンが、五年前、母方の故郷であるネパール、カトマンドゥで、当時8歳の妹クマリをロシアの戦術核攻撃で亡くしたことを。

 妹の名前が、彼の地(カトマンドゥ)の生きた女神、『転生者クマリ』と同じことから、彼が自らの力で溺愛した妹の心を蘇らせようと決めたことも。

 しかし、それが彼の不幸の始まりだった。

 数学およびプログラムの知識が皆無だった無学な青年サルヴァールは、傭兵として得たわずかな金をすべてAI学習につぎ込んでここまで来た。

 戦時中のため、ネットワークが封鎖された世界で、単独でこれほどのAIをくみ上げるなど尋常ではない。

 才能のある男が、すべてをつぎ込んで初めてなしうる奇跡だ。

 だが、当時のわたしは、目の前にあるデータと思考をうまく繋げられないでいた。


「もう一度、聞くぞ。お前の名は?」

 今度は簡単に答えられそうだ。

 先のデータにひもづけした答えだから。

「ワタシはクマリヨ、お兄ちゃン」

「よしよし、いいぞ。今日は何の日か知ってるか?」

 わたしはデータを検索し、最適解を答える。

「シャヌーイおじさんのタンジョウ日ね。ケーキをヤイテあげたいな」

「いいぞ、クマリ、今度は父さんのことを話してくれ……」


 画像が乱れ、切り替わる。

 再び男の手が、わたしのカメラのリングを回している。焦点があった。

「さあ、クマリ、これからは、ずっと兄さんと一緒に過ごせるぞ。昨日から俺も三等軍曹サージェントだ。小さくとも分隊の長だ。もう上官オヤジから頻繁ひんぱんにうるさく口出しされることはない。堂々とお前を連れ出せる」

 画面に映る青年は少し大人になっていた。

 口の上に髭をたくわええている。

「こうやって、カメラ一体型のボディにお前を収めて、ショルダー・アーマーに着けたら完成だ」

「軍曹殿、本当に、そんな重いものつけて戦場に出るつもりっすかぁ」

 カメラの範囲外から声がする。

「馬鹿野郎、コッカス!俺の妹なんだ。重いとか軽いとか関係ないんだよ。それに、重くていいんだ。良いものは重いって決まってるんだ。なあ、アキオ」

 そういって、兄はカメラの向きを変える。

 前に見た時より少し背は伸びているようだが、相変わらず壁にもたれて座り、無言で大きな銃を整備している少年が映る。

「それが軍曹殿の肩に乗っていると、まるで一つ目鬼(サイクロップス)みたいっすよ」

「『それ』って言うなよ。俺の妹だぞ。名前はクマリだって言ってるだろう、コッカス。それに兄妹はいつも一緒にいるもんさ」

「うちは兄妹仲が悪くて、ほとんど一緒にいたことはありませんがね。しかし、今度のドーバー城攻略戦は、なかなか厳しそうだっつーから、身軽にしといた方がいいんじゃないすかねぇ」


 いきなり画面がホワイトアウトし場面が変わった。

 衝撃で激しくノイズが流れる画像だ。

 硝煙がたなびき、コッカスが倒れている。膝から下を失い激しく出血していた。

「軍曹殿、行ってください。俺はもうダメっすよ」

「何言ってんだ、バカ。こんな傷、お前の飼い犬にナメさせときゃ治るさ。さあ、早く俺につかまれ」

 カメラに負傷兵のコッカスの顔が近づく。

 出血が多いためか、レンズ越しでも死相が表れているのがわかる。

「おい、アキオ、手を貸せ」

『兄』は、体ごと振り向くと、銃を構えた少年兵に叫ぶ。

 少年は返事をしない。

 不思議そうに『兄』を見る。

「なぜ?もう助からない」

 それが私が初めてアキオの声を聴いた瞬間だった。

 未だ変声期前のその声は、少年らしいハイ・キー・ボイスだったが、年齢にそぐわぬ冷徹な響きがあった。

「バカ、兵隊同士は助け合うもんなんだよ」

 少年は動かない。

「アキオ、早くしろ!これは命令だ」

 『命令』と言われてやっと少年は動いた。

 銃を肩にかけ、小柄な体をコッカスの肩の下にいれる。

 意外に強い力で、負傷兵の体は持ち上がった。

「おう、ありがとうよ、アキオ。もうお前のことを無口な悪魔(サイレント・デビル)なんて言わないよ――」


 再び場面が変わる。

 医療テントの前に座り込む『兄』が煙草に火をつける。

 ジャルニバールという得体のしれない成分が入った薬煙草(メディ・シガー)だ。

 ふた口ほど吸って、同じように銃を抱えて座るアキオ少年に渡す。

「なんとか助かりそうだ。ありがとうアキオ」

「助かっても、人工脚アーティフィシャル・レッグをつけられて、すぐに戦場へ逆戻りだ。そして死ぬ」

 無表情に少年がくわえ煙草で言う。

「なんだアキオ、今日はよく喋るじゃないか――いいんだよそれで、人は生きるだけ生きるんだ。死ぬ時が来るまでな。俺は違うぞ。俺にはクマリがいるからな。先に死ぬわけにはいかない」

 少年は、無表情に煙草をふかしている。


 『兄』の個人データにアクセスしたわたしは知っている。

 この、正規兵として登録もできないほど幼い少年が、なぜ傭兵部隊で戦っているかを。

 大人では入り込めない小さな隙間へ自由に入り込み、敵の見張りを殺し、爆弾をしかけ、友軍を呼び込む兵器。

 食料と寝床を与えるだけで『兄』は少年を支配する。

 少しでも早く昇進して、私を研究する時間と金をより多く手に入れるために。


 二年前、『兄』が攻撃に参加したサハリン極東軍事研究所で、アキオと呼ばれる少年は発見された。

 研究員たちが次々射殺される中、無表情なまま、医療用の白衣を着せられた少年は座っていた。

 当時の『兄』の上官が彼を見つけ、少年の足元めがけて銃を撃った。

 まるで、弾丸が当たらないことを見越したかのように微動だにしない少年に苛立ち、上官は殺すつもりで、再度、銃を撃つ。

 少年は反応し、少し上体をスウェイさせて弾丸を避けた。

「ふざけるなよ」

 普段から凶暴だった上司は、三点バーストで少年を撃ち続ける。

「逃げてばかりじゃなく、俺を殺してみろよ」

 弾丸を避ける少年に笑いながら彼が言うと、

了解イ・ジャーヌイ

 ロシア語で少年は答え、落ちていたガラスの切れはしで上司の喉をき切った。

やめろ(キエト・ンニヨット)!」

 咄嗟とっさの機転で『兄』は、ロシア語で叫んだ。

 彼が感情抜きで『命令』を実行するマシンであることを理解したからだ。

 少年は動きを止めた。

 上官の死は事故として処理され、少年、アキオは『兄』の分隊の秘密兵器となった。

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