316.花火
「そろそろ暗くなりましたね」
アルメデが、夜の帳が下り始めた湖水を見ながら言う。
「それでは始めましょう。ギデオン!」
良く通る美しい声で命じた。
続けて小声でアキオに言う。
「アキオは、かつて新大陸で行われていた新年祝いを知っていますか」
彼が返事をする前に、湖水の端で小さな光が点った。
奇妙な音を立てながら、上空へ登って行く。
ぱっと、光が弾けた。
大輪の花のように、巨大で美しい円形に広がっていく。
パン、という乾いた音が遅れて響いた。
洞窟の壁に反響する。
「花火か、しかし――」
アキオの言葉は、飛びついて来たアルメデの唇でふさがれた。
しばらく情熱的な口づけを交わすと、いったん顔を離し、
「当時の風習では、新年になると同時に、近くにいるものと誰かれなく口づけを交わしたのです」
そう言って、女王は再び彼と唇を合わせる。
やがて彼女は、アキオの胸に顔をうずめて、彼の身体を強く抱きしめた。
「アキオ、これからも末永くよろしくおねがいしますね」
「今日は新年ではないだろう」
「新年です。わたしたちにとっては――新しい時代の始まりの日なのですから」
名残惜しそうにアルメデが離れると、今度は、シミュラが彼に抱き着き、腕と足でぐるぐる巻きにする。
背伸びをして軽く口づけると、アキオの顔に頬を当て、甘い言葉をいくつも囁いた。
次々と上がる、色とりどりの華やかな花火の光を受けながら、少女たちがアキオを抱きしめ、口づけていく。
「さあ、姉さま」
アキオの前で躊躇するヨスルをピアノが背後から押した。
ぶつかるように彼の胸に飛び込んだ美少女は、顔を見上げて歌うように言う。
「あなたが見せてくれた美しい色の世界、いつまでも一緒に眺めてください」
少女は、鳥がついばむように軽い口づけをして、さっと彼から離れた。
ユイノは、アキオの手を取って肩に手を回すと、軽くダンスのステップを踏んで彼をリードし、美しく回転した後、アキオと唇を重ねた。
彼の鼻に自分の鼻を当てて言う。
「腕が取れ、脚がなくなってもあんたのためにあたしは踊るよ……いつまでも」
最後に、ラピィがアキオを抱きしめた。
大柄な彼女は、アキオの耳の高さほどもある長身を彼に押し付け、軽く伸びをして彼に優しく口づける。
「この身が再び亡びるまで、あなたの傍に――」
そういって彼の耳を甘噛みする。
「あーっ」
シジマが叫ぶ。
「またぁ、この肉食ケルビ娘は――」
そういって、ラピィに飛びついてアキオから引き離そうとするが、小柄な少女の力ではどうすることもできない。
「よしっ、決めた、こんど身体を大きく作り変える。キィさんのもとの身体ぐらい大きければ負けないはずだね」
「もともとケルビだったラピィと張り合おうっていうのが間違いじゃないのかい」
なかなかアキオを離そうとしない、野性的な美少女の身体を引きはがしながらキィが言う。
「いいや、負けないよ、ボクだって、もともと男なんだからね」
「あんたは、男だった時も優男だったじゃないか」
小柄で可憐な美少女を見てキィが笑う。
「だいたい、ラピィはキィさんのケルビでしょう。もっとしつけてよ」
「ほとんどのケルビは人が飼っているんじゃないよ。基本的に気が向く間だけ一緒にいて助けてくれているだけさ。あんただって知ってるだろう」
その言葉に、ラピィが優しい笑顔を見せる。
「よく分かってるじゃない。さすがは、わたしのマキィ。身体は逞しかったけど、いつも丁寧に優しく世話をしてくれただけのことはある。突然、姿が変わった時は驚いたけど――」
「そ、そうだったの」
キイが頬を染める。
ラピィは、彼女とアキオの馴れ初めから、ずっと見ていたのだ。
「アキオとの最初の甘い夜――離れた場所にいたけど、あなたが心配だから気配だけは探っていて、わたしはよく知っているのよ」
「ま、まあ、その話は、ひとまず置いておいて――」
「その話、気になるなぁ。あとで教えてね、ラピィ」
「いいわよ、シジマ」
その様子を見て、シミュラが首をひねる。
「ケルビとは、本当に、こんな軽々しい生き物であったか」
「意識と記憶を他のケルビから戻す時に、何か間違いがあったのかも知れないねぇ――」
「聞こえてるわよ、ユイノ――まあ、自分でもそう思うわね。身体が人型になったから、態度が少し変わったのかも……人はその器によって意識を変えることがあるものでしょ」
「そんなものかね」
「健全な肉体に健全な精神を宿らせたいものだ、っていうじゃない」
「それって地球の格言でしょう。それにちょっと違うような――」
「ユウェナリスの言葉ですね。内容はあってはいますが、この場合、適切な言葉ではありませんね」
アルメデが指摘する。
ラピィは気にせず、
「今までと違って言葉を使ってものを考えるのも面白いし」
「これまでは、どうやって考えていたのです?」
カマラが尋ねる。
「なんというか――そう感覚的ね。霧の中から突然とるべき行動が浮かんでくるような。そして、それが間違っていたことはほとんどないわね」
「言葉を使わずに思考していたのですか」
ヴァイユが驚き、
「それが、言葉、しかも地球語で考えるようになった――それも原因かもしれません。使う言語によって、その国民の論理性が変わるという説もありますから」
カマラがうなずいた。
「そういうものかの」
「皆さん、難しいお話はそれくらいにしましょう。せっかくのお祝いじゃないですか」
次々と上がる花火を見上げながらミストラが注意した。
アルメデを見る。
「では――アキオの回復と世界が救われたことに乾杯しましょう」
女王が宣言した。
ヴァイユとミストラが、湖畔に置かれたテーブルからグラスを皆に渡していく。
「では、アルメデさま、お願いします」
ユスラに呼びかけられた女王がグラスを掲げた。
「世界の平和に」
ひときわ大きい花火が湖水の上に広がる。
「シミュラさま」
カマラが声を掛ける。
「彼女とミーナに」
ぱっと開いた花火が長い金色の尾を引きながら湖水に落ちていく。
最後は、全員の声が和した。
「アキオの目覚めに!」
少女たちみんなが、グラスに形の良い唇を当てる。
その瞬間に合わせるかのように、湖の両端から斜め上方向に、途切れることなく金と銀の光の塊が激しく打ち出され、同時に湖水中央に浮かべられた浮き台から、眼もくらむばかりの光の帯びが立ち上がった。
湖畔に歓声が響く。
洞窟が、一瞬、真昼のように明るくなり――
次いで静寂が訪れた。
「大したものだな」
アキオの言葉にアルメデが微笑んだ。
「新大陸やユーラシアの花火ではなく、アキオの故郷、ニッポンで行われていた花火の記録を参考にして再現しました――アキオには、戦時のミサイル攻撃を思い出させるかもしれませんが」
「この花火のために、湖水をつくったのか」
確かに、これほどの規模の花火を行うなら、水上がベストだろう。
薄くたなびいた煙が、洞窟内を流れる風によって消えると、花火が再び打ち上げられ始める。
「第一目的はそうです」
その輝く光を、大きな瞳に写したアルメデが厳かな調子で言った。
「もう気づいているかもしれませんが、この湖畔は、あなたとわたしたちの婚約の誓いの場でもあります」
アキオが黙り、少女たちが彼を見つめる。
「そうか、だが――」
「だが、は必要ありません。もう皆決めているのですから。わたしも含めて。アキオ――わたしたちは、ずっと前にあなたに心を盗まれてしまいました。責任は取ってくださいね。そうでないと、わたしたちは絶望のあまりギデオンの絶縁カプセルに飛び込んでしまうかもしれません」
アルメデの言葉で、彼は、咲いては消えていく、色とりどりの花火を背景に立つ少女たちひとり一人の顔を見た。
皆、真剣な表情で彼を見つめている。
これは――まるで脅迫ではないか。
アキオは苦笑する。
「メデが――」
「はい」
「皆がそういうなら、仕方ないだろう」
「一緒にいてくれるのですね」
「そうだ」
「末永く、共に?」
「君たちが離れたくなる時まで」
わぁ、と少女たちが叫んだ。
皆、跳び上がって喜び、互いに抱き合っている。
彼女たちは、いつも不安だったのだ。
アキオは優しい。
いつも彼女たちを守り、大事にしてくれる。
だけど――
かつてヴァイユが、樹の上に立って空を見上げる彼を見て言ったように、少女たちは、常に彼に孤独の影を感じて心配だったのだ。
身体はここにあるが、心は別な場所にあり、常に遠くを見つめているようなその眼差しが彼女たちを不安にする。
その不安を叱り飛ばして、元気づけてくれたミーナはもういない。
おそらく、彼を現実世界に留めて、少女たちとしっかり結び付けていたのはミーナの存在だった。
彼女の存否が不明な今、アキオと少女たちを強く結び付けるものはなくなった。
だから、彼女たちは、アキオの口からはっきりと約束の言葉を聞きたかったのだ。
そういった意味で、彼は絶対に嘘はつかない人だから――
「女王さま、お願いします」
しばらくして、少女たちから押し出される形で、アルメデがアキオの前に立った。
「アキオ、あなた」
声を掛けられ、まだ続く花火を見上げていたアキオが少女の方を向いた。
「ついては、皆からひとつだけ約束していただきたいことがあるそうです。守ってくれますか」
「内容は」
「先に守るといってください」
「守ろう」
「さすがです。あなたに守っていただきたいことはただ一つ」
アルメデがにっこり笑う。
「出かけた先で、女の子を拾って帰るのは、もうやめてくださいね」