315.湖畔
賑やかに会話を交わしながら廊下を歩く少女たちと共に、アキオは庭園へ向かう。
渡り廊下を歩き、階段を降りた。
「こっちだよ」
先を歩くシジマに手招きされて、庭の中ほどまで続く通路を歩く。
時刻はもう夕方なのか、外からナノ・ファイバーで取り入れている外光は赤みを帯びて、庭園を照らしていた。
「見せたいもの」
並んで歩くカマラに尋ねる。
「ええ、もうあなたが眼を覚ますころだとアカラがいうので、皆で用意したのです」
「カマラ、いっちゃだめだよ」
「わかっています」
シジマが通路から庭に出る。
「こっちこっち」
アキオの微妙な表情に気づいて、ユスラが笑う。
「不思議そうな顔をしていますね」
彼女たちが向かおうとしているのは、庭園の東端、シジマの研究室やザルドの厩舎と反対側だったからだ。
そのあたりはまだ未開発で、かなり大きな面積に、焚火に使うための広葉樹を適当に植林しただけの土地のはずだ。
「もうすぐです」
ピアノが嬉しそうな声を出す。
「お約束で、そろそろ眼を瞑ってもらおうかの」
「そうだね。紙祭りの時もそうしたからね」
シミュラとユイノに促されて彼は眼を閉じた。
柔らかい指が彼の手に触れる。
「ご案内します。こちらへ」
「さあ、どうぞ」
ミストラとヴァイユの声がして、アキオは、眼を閉じたまま両手を引かれて歩き出した。
いつものように、庭園には心地よい風が吹いていた。
ナノ・マシンの調整によって、洞窟内は常に快適な温度と湿度に保たれている――が、今日は空気に、いつもより湿り気を感じる。
「着きました」
「眼をあけてください」
少女たちの声でアキオは眼を開けた。
「たいしたものだ」
彼はつぶやいた。
聞こえてくる音と風の匂いですでにわかっていたが、彼の眼前には、湖が広がっていた。
かなり大きな湖水だ。
ナノ・ファイバーによって導かれた夕日に照らされる水面には、美しいさざ波が立っている。
向かって左手には白い砂浜があり、右手には小ぶりな桟橋が設えてあった。
薄れゆく夕陽を反射して揺れる水面の奥には、白い石でできた何かが見える。
「けっこう深いな」
「そうなんだよ。シジマが、水中に遺跡風のオープンテラスや休憩場所をつくりたいと言ってね。今度、一緒に行ってくれるかい」
「わたしたちは、水中でも長く過ごせますから」
アルメデが微笑む。
「泳ぎたかったのか」
「それもありますが――」
カマラが口ごもる。
「どうせ泳ぐなら、シュテラ・バロンの方がいいですね」
ピアノが言う。
「今のところ、湖水を作った目的は一つなのです。あなたには笑われるかもしれませんが――いえ、あなたが、笑わないのは分かっています」
アルメデが言い、
「さあ、みんな、こちらへ」
彼女の呼びかけて、少女たちが、湖水を背にアキオに向かって立つ。
気まぐれな一陣の風が、色とりどりの少女たちの髪を美しく揺らした。
「あなたが眼を覚ましたら、みんなでここへ来ようと決めていたのです」
「そうか」
アルメデが、一歩前へ出た。
「アキオ、今回の戦いで、あなたの敵は、ほぼ排除されました。まだ残っているかもしれませんが、それはおそらく――」
「取るに足らない奴らじゃな」
シミュラが笑い、
「そう――今後、あなたは本来の目的である、彼女の復活とミーナを取り戻す作業に専心することができるでしょう」
アキオはうなずいた。
取り組むのは難題で、問題は山積、やるべきことは多いが、今や彼にはデータ・キューブがあり、この世界は未知の物理理論にあふれている。
さらに、不老である彼にとって時間は常に味方だ。
いずれ、彼は必ずふたりを取り戻すことだろう。
彼の表情から決意を読み取ったのか、アルメデが、くすっと笑い。
「だめですよ。アキオ、そんな怖い顔をしたら。今日は、あなたが目覚めたお祝いと――城のみんなへの労いのお祭りの日なのですから」
アルメデは口調を変え、
「今さらですが、世界からグレイ・グーを取り除くのは、たいへんな作業だったのです」
「そうじゃ。やることは多く、人手は足りぬ。じゃから――」
シミュラは、手で少女たちを示し、
「こやつらにはずいぶん無理をさせた。まず昏睡から回復させてから、身体を修復し、元通りになったものから順に仕事をさせたのじゃ。休む間も与えずにの。さぞ、わたしたちが鬼に見えたことじゃろう」
「いいえ」
ヴァイユが胸に握った拳を当てて言う。
「世界が大変な状況だということはわかっていました。それを何とかできるのが、わたしたちだけだということも――」
「いちばん大変だったのは、シミュラさまとアルメデさまだよ。主さまの治療と黒蟻の教育……大陸全土に広がったグレイ・グーの対処――全然寝てなかったはずさ」
「そうか。ふたりとも、よくやったな」
アキオの言葉に、シミュラが一歩前に出てアルメデの横に並び、それぞれが美しいカーテシーで応えた。
「そうじゃ、アキオ。こやつも褒めてやれ」
シミュラは、手を伸ばして、ピアノの横に立つ淡青色の髪の少女を引っ張り出した。
「昏睡にならなかったこの者は、誰よりも早く身体が回復すると、ナノ・マシンで学びながら、他の者の世話とわたしたちの手伝いでよく働きおった。こやつがおらなければ、世界はもっと被害を受けておったろう」
「ヨスル、世界を守ったな」
「世界を守る――そんな大それたことができたとは思いません。でも……守りたかった。あなたが、この世界が守るに値する美しい世界だと教えてくれたから」
「な、アキオ。大貴族の娘らしい、わたし好みの性格の娘じゃ。可愛がってやるのじゃぞ」
シミュラが、器用に猫のような目の片方をつぶってみせる。