314.求愛
「わたしは、あの子が欲しいのです、おそらく――好きなのですね」
魔王城の部屋で、床を見つめていたメキアがポツリといった。
回想から返ったマイスが女王を見る。
「なぜ、いまさら分身が欲しいのでしょうか。もうその必要もないのに」
「――」
彼は余計な口をはさまず黙っている。
「本当に、なぜでしょうね……年をとったからかもしれません」
黒蟻退治のあと、中庭にあった銀色の乗り物で灰色の爆発を乗り越えて生還した彼が最初に眼にしたのは、ドッホエーベ荒野で、馬車に乗せられようとする、意識のない少女の手を離そうとしないメキアの姿だった。
それ以後も、西の国女王は大陸復興の会議を名目に、アルメデ女王に頼み込んで魔王城に通いつめ、意識を取り戻した少女の傍に居続けている。
幸いだったのは、素体、カマラが何の悪感情もメキアに抱いていないことだった。
魔王と敵対したことも――不自然に自分が生み出された経緯さえ、事情を話すと難なく彼女は呑み込んで納得してくれた。
アキオが生きていさえすればいい、少女はそういった。
ギデオンや爆縮弾は、あなたのせいではありませんから、と。
「あの子は、もうわたしのモノじゃない……違うわね、モノなんかでない自分の意思のある分身を、わたしは欲しくなってしまったのでしょう。なぜかはわかりませんが――」
その言葉に、マイスはわずかに眉を上げた。
女王として、王女病の治療法以外、すべてを手にいれてきたメキアの言葉とも思えなかったからだ。
「本当に彼女が欲しいのですか」
マイスが尋ねる。
「もし無理に奪えば、魔王によって西の国は地図上から消えるでしょうな」
「それどころか、あの子の指先に傷でもつけようものなら、王城が吹き飛ばされるでしょう」
そう言って、メキアは微笑みを浮かべた。
彼女は思い出したのだ。
さっき、目を覚ましたばかりの魔王が、彼女の分身であるカマラに掛けた言葉、眼差しを――
「確かに、愛する者には甘い男のようですな」
「だから、あの子は彼に預けるのが一番なのでしょう。いいえ、いいえ――」
女王は激しくかぶりを振った。
「預ける、だなんて――最初から、あの子はわたしのモノじゃない。モノにしてはいけなかった。勝手に生み出し、長期間放置し、今さら気づいたわたしの身勝手な所有欲で翻弄するなんて……」
それは所有欲ではなく、愛というのです――マイスはその言葉を言わずに飲み込んだ。
女王の切なげな声音に、思わず、マイスはメキアの肩に手を触れたくなる――が、もちろんそんなことはしない。
貴族は軽々に身体を触れ合ったりしないものだ。
また、彼に触れられることを、彼女は好まないだろう。
「マイス――」
珍しく、女王がためらうような、思いつめたような声を出した。
「はい、女王さま」
「こちらへ」
呼ばれるまま、マイスは長身を運んで女王の前に立った。
「わたしは決心しました。あの子はあきらめます」
「はい」
「そのかわり、もう一度、今度は最初から、ありったけの愛情をそそいで、わが身の分身を育てようと思います」
「ですが――」
マイスは口ごもる。
もう、ニューメアは、高位魔法を使って素体を作ってはくれないだろう。
「わかっています――ですから、もっと単純で自然な方法をとろうと思うのです」
メキアは、わずかに彼から目を逸らした。
「マイス」
「はい」
「あなたは、わたしの命令を聞きますか」
「女王さまのお役に立つのがわたしの喜びです」
メキアは、身長差のあるマイスを見上げた。
しばしの逡巡のあと、早口で続ける。
「わ、わたしに子供を授けなさい」
「――」
「ど、どうしました」
珍しく、硬直したように自分を見つめる男にメキアが問う。
「返事は」
「そういうお相手なら、もっと女王さまにふさわしい方を――」
「マイス・フィン・ノアス」
「はい」
「わたしと、西の国女王、メキア・フェン・サイアノスと結婚せよと申しているのです」
女王は近づくと、マイスの服を掴む。
「駄目――ですか」
上目遣いに、緑色の眼で彼を見上げる。
それを見てマイスは――
反射的に女王を抱きしめた。
出会って二十数年、身体に触れたのは初めてのことだ。
そうして、大貴族マイス・フィン・ノアスは、藍色の女王の髪に顔をうずめながら、生まれて初めて、巫山戯ず、斜に構えず、皮肉をこめない素直な言葉を発したのだった。
あなたさまのご命令でしたら――承ります、と