031.再生
さすがに微妙な部分は手と腕で隠しているが、その手は小刻みに震えている。
「風呂に入りにきたのか?」
アキオが思いつくままに言うと、ミストラは大きくかぶりをふった。
「食事のあと、ヴァイユと話しました」
「……」
「ユイノさんは嘘をついています――あなたも。なんだか記憶が曖昧ですが、私たちは確かにあの男たちによって……」
ミストラはうつむいた。涙がこぼれ落ちる。
「その証拠は?君たちの体には傷ひとつない」
「それはおかしいと思います。私はひどく殴られましたし、手も足も剣で切られて動けなくされました。そして、私は男たちによって、何度も何度も……血まみれに……」
「だから、その証拠は?」
ミストラは顔を上げ、水色の瞳に強い力を宿して言う。
「ありません。でも、でも確かに覚えているんです。体ではなく、心が覚えている!」
アキオは表情を変えなかった。だが、胸の中では、やれやれと独り言ちる。
心は苦手だ。
「あなたが、何か不思議な力で私とヴァイユの傷を癒したのです」
「まさかね」
アキオはとぼける。この世界に傷を治す魔法はないのだ。
それでも、必死な顔でアキオを見つめる少女の目を見て、ふっと彼は笑い、
「それで、夢でなければどうしたい?というより、なぜ君はいま裸なんだ?」
「あなたは強い、叙事詩に出てくる英雄さまのように。そのあなたの力で、私の中の穢れを取り除いてほしいのです」
「さっぱり分からないな?」
アキオのとぼけた返答に、ついに少女は感情を爆発させた。
「あなたに、私たちを抱いてほしいのです、あの男たちを忘れるために。そして、私たちに思わせて欲しいのです。英雄さまによって、私たちは女になり、もし……もし……」
ミストラは唇を震わせた。
「子供ができたら、英雄さまの子だと思えるように……」
「君は……」
「私たちの体が穢れているのはわかっています。先ほど、この湯につかった程度では、綺麗にならないほどに。ですが、これからもう一度、洗い清めますので、お願いいたします」
「ミストラ」
アキオはまっすぐに少女の目を見て言った。
「君は間違っている」
「何が間違っているんです!」
「まず。第1に君たちは穢れていない。穢れなんてものは人の頭の中にしか存在しないからだ。いいか。この世に穢れた者などいない!穢れてしまったと思う人間がいるだけだ」
アキオはそう断言する。
(アキオ!アキオ!お願い、この身を滅して!私の穢れが世界に向かわないうちに――早く、早く)
湧き上がってくる彼女の言葉を、強烈な意思で押し込めて。
「英雄さま?」
黙り込んだアキオを少女が呼ぶ。
はっとして、彼は言葉をつぐ。
「第2に俺は英雄じゃない。第3に今回のことで君たちに子供はできない」
「なぜ、なぜ。そんなことがいえるのです、分かるのです?」
すがるように言うミストラにアキオは答える。
「そうしたから、では納得できないか?詳しくはいえないが、君たちの体の傷が治っていることで、理解してもらえないかな」
そう言って、アキオは浴槽の横に置かれた自分の服からナイフを取り出すと、手のひらを少女に向けて、刃先をすっと走らせる。一瞬、血玉が浮かぶが、すぐに傷は見えなくなる。
「こっちへおいで」
ミストラを招き、
「君も試してごらん」
ナイフを差し出すと、少女はしゃがんでナイフを受け取り、自分の手のひらに刃先を当てて引いた。彼女の手の傷もすぐに消えていく。
「ま、まさか……」
「ずっとじゃない。でも、しばらくの間、君たちには傷が残らない。君たちの体に悪いこともおこらない。そして、いま、君たちの体は、完全に盗賊に会う前の状態に戻っている」
完全に、その言葉の意味に気づき、少女は涙する。
「それは……それは本当なのですね」
「本当さ、それが君たちにとってどれほど重要なのかわからないが」
立ち上がったミストラが顔を覆って泣き始めた。全身が露わになる。
アキオは少女から目を反らし、月を見る。
「だが、記憶は完全には消せない。曖昧にはできるが、それは、君たち自身で乗り越えなければならないことだ」
「わ、わかりました。ありがとうございます」
ミストラは泣きながらうなずいた。その体は小刻みに震えている。
アキオは少し優しい気持ちになると、言った。
「この季節、そして真夜中に裸でいたら寒いだろう。よければ湯につからないか」
「は、はい、そうします……あ、あの……」
「そうだな、外にいるもうひとりも入ってくればいい」
その言葉にヴァイユも布を上げて入ってきた。もちろん裸だ。
健気なことに、貴族の友人であるミストラの次の順番を待っていたのだろう。
(さて……)
少女たちが、湯につかると、アキオは外に向かって声をかけた。
「まだ入る場所は空いているが、君はどうする?」
すると、幕に近づく足音が聞こえ、ユイノの声がした。
「いや、あたしは……その、何ていうか――」
「心配して、ずっと外で様子をうかがってたんだろう?さっきも言ったが、この季節のこんな夜は底冷えがする。風邪をひいてはいけないから、湯につかればいい」
実際は、ナノ・マシンが体内にいる限り、風邪などひかないのだが。
しかし、アキオは今夜の出来事の背後にユイノの存在を感じていた。
面倒を押しつけた罰として、少しぐらい恥ずかしい思いをさせてやってもいいだろう。
「……」
「ユイノさん」
少女ふたりも呼び掛ける。
「う……ん。しょうがないねぇ。じゃあ、失礼するよ」
頬を染めたユイノが入ってきて、さっさと服を脱ぐと、かかり湯をして湯につかる。
背を向けたままだ。
アキオは、ユイノの恥じらいぶりを微笑ましく思う。
これまでの三十数年の人生で、舞姫は、本当に少女のまま生きてきたことがわかるからだ。
案外、それ以外の部分では人生に慣れた大人の対応を取ることもあるのだが……
アキオは、腕を伸ばして浴槽の横に置いたアーム・バンドを取り、操作する。
湯の色が乳白色に変わり、泡が吹き上がった。
湯中のナノ・マシンに命じて、空気中の二酸化炭素を取り入れて水中で発砲させる簡易炭酸泉に変えたのだ。
また、湯を不透明にすることで、恥ずかしさを減らしてやれるだろう。
「ユイノさん」
見た目が少しだけ年上のユイノの腕に、少女二人が抱きつく。
「良かったね。ふたりとも」
舞姫が少女たちの頭を撫でる。
「英雄さま」
しばらくして、ヴァイユが居住まいを正して話しかけてきた。
正座をしているのか、胸の上まで湯につかって、背筋をまっすぐにアキオを見つめる。
のんびりと湯を楽しんでいたアキオは、いきなり声をかけられて、もう少しで自分の背後を見回すところだった。英雄とは彼のことだ。
「――俺は英雄じゃない」
アキオは再度言う。戦時にあって、英雄とは真っ先に死ぬバカのことだ。戦いにおいて『英雄』は不要だ。その存在は危険ですらある。
「いいえ、あなたさまは英雄です。私たちの体を治してくださったことよりも、あの……あのゴランから守ってくださったことに、私は感謝いたします」
「あれは、成り行きだ」
「いえ、いえ、私は覚えています。ご自分の体を犠牲にしてあなたさまが守ってくださったこと――」
「よしてくれ」
アキオが強い口調で遮る。
「犠牲という言葉は嫌いだ」
少女は膝でにじり寄って言いつのる。
「言葉ではありません。あなたの吐かれた血の温もりが、砕かれた骨の響きが、あなたが紛れもない英雄であることを教えてくれたのです」
「勘弁してくれ」
そういって、アキオは少女に背を向けた。
「ア、アキオ!」
「英雄さま!」
突如、少女たちの悲鳴が夜空に響く。
「あんた、それ……その体……」
言われて、アキオは気づいた。
「ああ、NMCを使ったあとはいつもこうだ。治りがわるいのさ。見た目は悪いが、なんてことはない」
「そんなわけがありません。こんなに深い穴がいくつも開いて……」
ヴァイユが泣きそうな声を出す。
「こんなひどい火傷を……」
「アキオさま」
「英雄さま」
少女ふたりが、アキオの背中にすがりつく。
少女の熱い涙が背中に落ちた。
「ありがとうございます」
「あなたさまに救っていただいた命、仇や疎かにはいたしません。英雄さま」
「いや、だから、俺は、英雄じゃ――」
言いかけたアキオの頭の上に、ユイノが降って来た。
「アキオ、アキオ、あんたって男は……無理しちゃだめだよ。死んじゃうよ――本当にさぁ、バカなんだから」
そう言って彼の頭をきつく抱きしめる。
「ユイノ、胸が当たっている。それに、色々と見えてはいけないものが見えているんだが――」
「いいんだよ、気にしないで。見せてるんだから」
そういいながらも舞姫の顔は真っ赤だ。
アキオは、早々に風呂からあがった。
服をつかんで、幕の外に出る。
月を見上げつつ少し涼み、服を着た。
湯殿から話し声が聞こえる。
少女たちは、まだしばらく風呂を楽しむようだ。
再び睡魔に襲われたアキオは、自分の部屋のベッドに横になり、すぐに眠りに落ちた。
夜半に目が覚める。
半覚醒のアキオの目に、メナム石に鈍く照らされる6つの違う光の宝石が見える。
優しく声をかけられ、髪を撫でられ、頬に触れられ、手を握られるのがわかるが、睡魔に勝てず、そのまま眠りの世界に連れ去られる。
朝、すっきりとした気分で目覚めたアキオは、胸の上にユイノの頭があり、左右の肩にヴァイユとミストラの頬が乗っているのをみて驚いた。
この少女まみれの状況はいったい何なのだ。
「ん、ああアキオ、おはよう」
アキオの動きでユイノが目を覚ます。
「おはようございます、英雄さま」
「アキオさま」
少女二人も目を開ける。
「なぜ、君たちがここにいる?」
「さあ、なぜでしょう?」
「英雄さまに呼ばれたから?」
「単に、ここに来たかったから?」
可愛く頬に指をあてるミストラとヴァイユ。
「まあ……成り行きだね!」
最後にユイノが締めくくって笑う。