307.握手
灰色の塊が凄まじい勢いで迫る中、アキオは少女たちが彼に覆いかぶさるのを感じた。
「放してくれ」
「駄目ですよ、アキオ」
彼の正面に抱きついたピアノが言う。
普段と違う、少し甘えた言葉遣いに違和感を覚え、顔を見ると、少女は赤い瞳を半眼にし、今にも目を閉じてしまいそうだった。
昏睡に襲われているのだ。
「もう、ずっと前に決めたのです。決してあなたを放しません」
そういうと、少女は彼を抱きしめたまま眠りに落ちる。
「アルメデ」
「はい」
「シミュラ」
「わかっておる。ピアノは任せよ」
左右からアキオを抱く二人に声をかけると、間髪を入れず返事が返ってきた。
ミーナのことは、後で必ず何とかする。
そう心を決めると、アキオは腕を伸ばして三人の少女たちをまとめて抱きしめ、風を利用して身体を回転させた。
「いけません」
アルメデの叫びと共に、視界が灰色に包まれる。
今、グレイ・グーは、爆発エネルギーを消費するため、リトー内のナノ・マシンの命令で、自己増殖を第一目的に拡散を始めている。
だが、アキオたちのように爆心の近くにいると、エネルギーを与えられ過ぎたナノ・マシンが、手当たり次第に、あたりを浸食する可能性が高い。
300年前は、それで世界がダメージを受けたのだ。
アキオは身体を反転させて、少女たちを庇い、その背にグレイ・グーの直撃を受けた。
コートに仕込まれた自己防衛機能によって、自動的にフードが頭部を覆う。
だが、すでに多くのダメージを受けている黒いナノ・コートは、グレイ・グーの浸食を防ぎきれない。
避けた部分から、ナノ・マシンが浸食し、彼の身体を蝕んでいく。
「駄目です、アキオ」
アルメデが再び叫ぶ。
「そうじゃ、おぬしの身体はもうボロボロではないか」
だが、アキオは、もがく二人を抑え込んで放さなかった。
地面が近づくと、彼は少女たちを抱えたまま、身体を回転させて着地した。
アルメデとシミュラは、寸前にアキオから離れて自力で地面に降り立った。
アキオは、ポーチから取り出したコクーン・カプセルを地面に打ち付け展開させた。
彼らを包み、一瞬で膨らんだ透明なコクーンが灰色に包まれる。
「アキオ、身体は?」
半径3メートルほどの半球状のコクーン内で、アルメデが彼に近づき腕に手をかけた。
「心臓は動いている」
「そういう問題ではなかろう」
シミュラが美しい顔で睨んだ。
「そう怒るな」
アキオは、彼に抱き着いたまま、いまは穏やかな表情で眠るピアノを地面に寝かせた。
アーム・バンドを操作して、停滞コクーンで、少女を包む。
「この中に入り込んだグレイ・グーとやらは大丈夫なのか」
シミュラが尋ねる。
「コクーン内では、グレイ・グーは無効化される」
「ほう、この繭に、そのような力があるのか」
「おそらく、そうではないでしょう」
アルメデは首を振り、
「グレイ・グーは、自己複製の制限を最初から考えられていない悪魔のナノ・マシンです。それを止めるためには、制限のプログラム化を行わねばならないはず――そうですね、アキオ」
女王が、シミュラとは違うタイプの美しい顔で睨む。
「君のいうとおりだ。コクーンを閉じた時点で、俺の体内で、グレイ・グーの再設定を行った。大規模にはできない方法だが、このサイズなら有効だ」
「待て待て、お前の体内とはどういうことだ」
「まさか!」
アルメデが、アキオのコートを掴んで引き開けた。
「やっぱり」
女王が呻くように言う。
アキオの穴だらけの身体に、グレイ・グーが入り込んでいた。
「安心しろ、これは安全になったナノ・マシンだ」
「だが、こんなことをしたら、お前の身体に――」
「とんでもない負荷がかかっているはずです」
「問題ない。もっとひどい時もあった」
そういって、アキオは、怖い顔で睨む美少女ふたりの頭を軽く叩く。
「落下しながら確認したが、シスコが来ているようだな」
「ええ、今はサフランと名乗っていましたが――彼女が、最後は何とかする、といってくれたのです」
「そうか」
アキオは、灰色の雲を通して空の紫の光を見つめ――
「爆発との戦いも佳境だな」
再び、ふたりの頭に手をやって続ける。
「サフランに話がある。君たちはここにいてくれ」
「嫌です。わたしも行きます。行く、絶対に」
子供のように叫ぶアルメデに、シミュラが眼を丸くする。
アキオは、優しい眼でアルメデを見た。
「心配するな、メデ。キラル昏睡の話をするだけだ」
そういって、アーム・バンドに指を走らせる。
アルメデが意識を失った。
シミュラを正面から見てアキオが言う。
「しばらくしたら目覚める――君にはこの手は使えない。だからお願いする。この二人を守ってくれ」
「アキオ……」
「君だけがたよりだ」
「おぬしは卑怯じゃの――わかった、行くがよい」
「――ありがとう」
彼はシミュラの肩に手をやると、コクーンにその手を差し入れて押し広げ、外に出て行った。
かつて野営の湯殿に使った技術の応用だ。
アキオは、グレイ・グーの霧の中、コートの襟を立て、フードを被って塹壕に向かった。
しばらく歩くと、霧を通して、塹壕の近くに蹲り、片手を地面に突き刺すオレンジの髪の少女が見えてきた。
彼が背後まで近づいた時、ぐらりと少女の身体が揺れて倒れそうになる。
アキオは手を伸ばし、少女の肩を抱いて支えた。
「アキオ――」
久しぶりに聞くサフラン=シスコの声だ。
「大丈夫か」
「もちろんよ」
そして、その言葉どおり、少女は爆発との戦いに勝利する。
「よくやった」
薄く微笑みを浮かべて気を失った少女を抱き上げ、アキオは塹壕に向かった。
先ほどと同様に、コクーンに手を当てて柔軟化させ、そこから中に入る。
魔法使いたちを囲んで、盾を展開する兵士たちが一斉に彼を見た。
「爆発は終わった」
アキオの言葉に、壕内の兵士が歓喜の叫びをあげた。
彼らの陰から現れた魔法使いたちも大喜びする。
その声で、少女が眼を覚ました。
「起きたか――」
アキオはサフランを降ろし、立たせた。
「大丈夫か」
「少し消耗しただけ。すぐに回復する。それに――あなたの顔を見たら元気になった」
「そうか」
彼は壁にもたれると、そのまま地面に座り込んだ。
「アキオ!」
「大丈夫だ――これからの計画を皆に伝えたい」
そういうと、彼は一番前に立つ機械化兵を見た。
「すまないが――」
「サンドルです」
「そういえば前に合ったことがあるな。サンドル、ここから巨大戦車のあった方向へ800エクル(160メートル)先にコクーンを展開した。そこにアルメデたちを寝かせてある。このカプセルで体を包んでそこへ向かい、コクーンごと、ここまで運んでくれないか。そこからなら、外気を中に入れないように外に出ることができる」
そう言って、アキオは自分が入ってきた位置を示す。
「わかりました」
サンドルが出て行くと、アキオは眼を閉じた。
軽い衣擦れの音と共に、彼の横に暖かな身体が当たる。
「久しぶりね、アキオ」
「ああ」
眼を閉じたまま彼が応える。
「もっと早く会いたかったけど、例の症状の解決法が見つからなくて……」
アキオは、データ・キューブを取り出してサフランに渡す。
「β23689のデータを見てくれ。それを参考にナノ・マシンに変更を加えれば、おそらくキラル症候群は解決する」
「さすがね、アキオ」
「考えたのは俺ではない。異端の天才だ」
ジュノスの少女は、アキオの身体に眼をやると、はっとする。
「アキオ、あなたの身体、滅茶苦茶じゃない」
「戦闘のあとはいつもこんなものだ」
「変わらないわね」
サフランが愛おしげにアキオの髪をかき上げる。
「思考整理をしながら、ずっとあなたの夢を見ていた」
「サフラン」
アキオを見つめる少女に、硬い声がかけられる。
「その声は、アルメデ女王ね」
振り返らずに応えるサフランに少女が続ける。
「皆を救ってくれたことには感謝しています――ですが、あなたにはアキオの傍にいて欲しくありません」
「――」
「この世界に来て20年。3つの月、この惑星の形、そして、この世界の成り立ち――あなたには尋ねたいことがたくさんあります」
「メデ」
アキオが眼を開いた。
「はい。わかっています。今は、こんなことをいうべきでないことは――」
アルメデは、笑顔を浮かべると、サフランに手を差し出した。
「ご挨拶がまだでしたね。はじめまして、サフラン・シスコ・ジュノス。わたしはアルメデ」
「はじめまして――2つの世界の偉大な女王さま」
そうして、アラント大陸の果て、ドッホエーベ荒野の塹壕の中で、ふたりの少女は、しっかりと手を握り合ったのだった。