306.流れよわが涙、7
空を見上げるサフランの瞳に、荒野に立つ巨人が軽く腰を落とす姿が映った。
タイミングを図るように、数度、身体を上下に揺らすと、巨体からは信じられない速さで走り出す。
激しい振動が大地を揺らした。
身体に収まりきらない銀色の霧――ナノ・マシンを背後に引きながら荒野を駆け、断崖を跳ね上がり平原を走った巨人は、アキオを残して空を飛ぶ少女に追いついた。
背後から走り寄るリトーに、ミーナはナノ加速を停止して、音声で命じる。
「リトー、今の速度を維持してジャンプ!上空1キロメートルでミサイルを捕まえて」
踏み込んだ地面を大きく陥没させて、巨人が跳ね上がった。
ミーナは再び意識を加速する。
かつて、トルメアの爆縮ミサイルは、地上1キロで爆発するようになっていた。
地球時代の技術を踏襲するニューメアでも同じ設定を使っているはずだ。
多少ずれても構わないが、ミーナは爆縮弾のエネルギーをもっとも効率的に封じ込めるために、膨大なナノ・マシンを圧縮して体内に持つリトーにミサイルを捕まえさせて、爆発の瞬間にグレイ・グーを開放させるつもりだった。
その結果、彼女がどうなってしまうかは分からない。
さっき、アキオが言ったように、考えられる可能性はふたつだ。
一つは、開放されたナノ・マシンの圧力で次元孔が際限なく拡大し、グレイ・グーと交換に彼女が向こう側に引き込まれてしまうという結末――
なぜか、次元孔は機械を拒み、生体を好むため、バイオメタル脳という半生体のミーナは引きずり込まれる可能性が高い。
もう一つは、あふれ出るグレイ・グーが、高熱を与えられてすべてを侵食し、ミーナもその一部になって世界に拡散するという結末だ。
いずれにせよ、彼女が助かることはない。
だが――ミーナの心は穏やかだった。
この爆発を収束させれば、世界にアキオを脅かすものはなくなる。
少女たちは昏睡状態ではあるが、アキオが開発したナノ・エンバーミングを改良した停滞コクーンで何とか生かされている。
キラル症候群は、データ・キューブを使ってアキオが解決するだろう。
ただ――ミーナは大きく力強いケルビのラピィを思った。
彼女だけはアキオに殉じて死んでしまった。
しかし、ラピィは誇り高いケルビの女だ。
アキオのために、自らの命を使えたことに満足し、安らかに逝ったに違いない。
今の自分のように――
ミーナは、少女たちの多くが、アキオを失った彼女が悪魔になってしまうのではないかと心配していることに気づいていた。
それを知って、失礼しちゃうわね、と思う反面、そうかもしれないと、彼女自身、不安になることもあった。
だが幸いにも、自分は悪魔にならずに済みそうだ、そう思ってミーナの口元が緩む。
彼女は、宇宙に散ろうとしたカマラが、サフランによって救出され、この地にいることを知らない。
カマラは、シジマとともにジーナ城で眠っていると思っているのだ。
そろそろね――
栗色の髪の少女は、強化した視力で空の彼方を注視した。
午後の日差しを浴びて飛来する、銀色に光るミサイルの影が見える。
加速した感覚の中で、それは大きさを増し、一直線に、空中に浮かぶリトーに近づいて来た。
ミーナは加速を解除して叫んだ。
「アキオ、解除コードを!」
相棒の躊躇を感じ取ったミーナは続けて叫ぶ。
「早く、間に合わなくなる」
アキオがコマンドを叫んだ。
「喰らい尽くせ、グレイ・グー」
ミーナは、高速で飛ぶミサイルが、巨大な手で受け止めようとするリトーの胸を貫くのを見た。
傷を受けた部分から、爆散するように銀の粒子が広がる。
「ありがとう――アキオ」
そう言って、ミーナは、次元の向こう側で孔を塞いでいたグレイ・グーを開放した。
彼女の身体から、凄まじい勢いで灰色の霧が流れ出す。
「――またね」
それが、彼女の最期の言葉だった。
ナノ・コクーンで何重にも守られた塹壕の縁にひとり立ち、サフランは空を見上げていた。
彼女の眼前で空中に飛び上がった巨人が、ミサイルに貫かれると同時に、その姿が爆発的に発生した灰色の霧に隠れる。
次の瞬間、霧の内部で、目もくらむばかりの紫色の光が輝いた。
爆縮弾が爆発したのだ。
その圧力は凄まじく、広大な規模で取り囲む灰色の塊を押し広げ、エネルギーを外に放出しようとする。
それに対抗し、灰色の塊は、膨大なエネルギーを自己増殖のために使い、さらに自らを増やしていく。
灰色の霧は立体的に拡大し、上空においては成層圏まで達し、地上にあっては惑星全土にまで、くまなく広がっていった。
グレイ・グーは、爆縮弾の凄まじい熱を用い、ギデオンから作ったナノ・マシンの塊を司令塔として、大気を材料に増殖しているのだ。
だから、見た目の激しい拡散にも関わらず、風の影響を地表には与えない。
爆風で各シュテラの街並みが吹き飛ぶ、ということはない。
ただ、実際問題として、惑星上の大気がグレイ・グーとなって絶対量が減るため、長期的にみれば甚大な被害を与えることになるだろう。
だが、その心配は後のことだ。
いまはただ、爆縮弾のエネルギーを封じ込めなければならない。
サフランは、タイミングを計って爆心を見続ける。
なおもグレイ・グーは、爆発のエネルギーを吸って凄まじい勢いで増殖し続けていく。
だが、それでも足りない。
次々と生み出される紫色のエネルギーは、周りを取り囲む霧を押しのけ、膨らみ、ついには、その熱量を直接地上に放出しようとした。
「今ね」
重力場を使った障壁でグレイ・グーを弾いていたサフランは、片腕を荒野の地面に突き刺した。
ドッホエーベ荒野のマキュラが高濃度であるのは、この土地の下に、マキュラの流れ、PSの脈であるドラッド・リーニエが通っているためだ。
その大元は、彼女の本体である、眠れるドラッド・グーンだが、彼女は今、地面からドラッド・リーニエを通じて、ドラッド・グーンの知恵とエネルギーにアクセスしたのだ。
さらに膨れ上がろうとする、紫の炎を抑え込むために、マキュラの殻を作ることにする。
マキュラの殻は、本来、1000万年に1度行われるドラッド・グーンの、意識転送用交換体を包む卵の殻だ。
か弱い幼体を守るため、その強度は尋常ではない。
それでも、今回のエネルギーは、一枚の殻で防ぐことはできないだろう。
ドラッド・グーン体ならともかく、ジュノス体になった彼女には、爆縮弾のすべてのエネルギーを抑えることはできないのだ。
だが、ミーナが、グレイ・グーを使って、大部分の熱量を削り取った後の、残りのエネルギーなら抑え込むことができるはずだ。
サフランの髪が逆立ち、オレンジ色の瞳が燃え上がった。
ドラッド・リーニエを通じて、つながった各地の高濃度マキュラを吸い取り、重力場と電磁場を組み合わせて作ったマキュラの殻を爆心部に重ねていく。
十重二十重と重ねがけし、その数が千を超えた時に、爆心部分のグレイ・グーが弾け飛んだ。
バリン、バリンと音を立てるように殻が内部から崩れていく。
殻の破壊を感じとったサフランは、さらに急速に隔壁を重ねていく。
それは、終わりのない根競べだった。
しかも、相手としているのは人格のない物理力なのだ。
手から流れ込むドラッド・リーニエのマキュラが急速に減っていく。
マキュラ、PSは、その出自から考えても惑星上に無限にあるものではないからだ。
爆心の圧力が、次々とマキュラの殻を割り、割られることでエネルギーを削いでいく。
明らかに殻の作成に時間がかかるようになったサフランは、目を見開き、さらにスピードを上げようとする。
ガク、とバランスを崩し、倒れようとした彼女を背後から伸びた腕が支えた。
肩を抱く。
顔を上げた彼女の眼に、黒髪、黒い眼の男の姿が映った。
「アキオ――」
「大丈夫か」
倒れかけた体を戻し、サフランが微笑む。
「もちろんよ」
そう言って、彼女は、さらにマキュラで爆心を包み続ける。
やがて、紫の光は、一瞬、激しく明滅すると、ひと際明るく輝いた。
「ダメ、これ以上……強くなったら……抑えられな――」
サフランが叫んだ瞬間――光が消えた。
爆発は終わったのだ。
「なんとか、耐えた――わね」
彼女が弱々しく笑う。
あと、ほんの数枚しか殻は残っていない。
「よくやった」
アキオの声が聞きながら、サフランは気を失った。