305.流れよわが涙、6
「あなたが、ジュノス」
シミュラが、カマラの状態を確認して、壕の中のサンドルに受け渡すのを見ながら、アルメデが言う。
なぜか冷ややかな口調だ。
「正確には、サフラン・シスコ・ジュノスよ。でも、今は人格の統合が進んだから――サフランと呼んでくれればいい」
「わかりました、サフラン。あなたのお話は聞いています」
初めて皆と湯につかった時に、流れ星の話とともに、彼女については聞かされていた。
それ以外でも、ニューメア女王として噂に聞いていたジュノス体には、不可思議で、良くない逸話が数多くあったのだった。
「あなたには色々と尋ねたいことがあるのですが、それは後にして――その口ぶりでは、この事態をどうにかできるということですか」
「アルメデさま」
なぜか厳しい口調で話す女王に、ピアノがわずかに眉をひそめる。
だが、オレンジの瞳の美女は、気にもとめない素振りで答えた。
「ええ、あくまでミーナのサポートという意味だけど――あれほどのエネルギーの制御は、ジュノス体のわたしには荷が重いから。でも、力をあわせれば、何とかなるかもしれない。この付近の者の命を守り、爆発の威力を、できる限り削ぎましょう」
「わかりました」
アルメデは、通信をオープン・チャンネルにして全員に声が届くようにした。
「これから爆縮弾の封じ込めを行います。爆発の規模を考えれば、荒野付近では、かなりの被害が出るかもしれませんが、必ず皆を守ります。各自、可能な限り防御態勢を固めてください」
インナーフォンに触れて通信を終えたアルメデは、サフランを見た。
そして考える。
やれることはやった。
これからは自分のやりたいようにするのだ。
「では、あとは任せます」
「ええ、任されました」
サフランの言葉を確認すると、アルメデは、噴射杖を手に取った。
そのまま風のように飛び立つ。
すぐ後をピアノとシミュラが追った。
その姿をオレンジの瞳で追いかけながら、少女は微笑む。
「カマラと同じで、本当にアキオが好きなのね――」
そうつぶやくと、サフランは表情を引き締めてあたりを見回した。
「さすがはニューメアの女王。堅固な守りをしているわね――壕内の者に告げます」
サフランは、塹壕の上に開いたコクーンの窓近くに立ち、内部の兵士たちに呼びかけた。
誰も見たことのない、オレンジの髪と瞳を持つ、人間以上の存在感をまとう少女の良く通る声に全員が注目する。
彼らはすでに、先に交わされたアルメデとの会話で、指揮権が移譲されていることは承知していた。
「これから起こる爆発は、あなた方が、かつて経験したことがないほど激しいものとなるでしょう――ですが、必ずミーナとアルメデ、それとわたしが、あなたたちを守ります。それを信じて耐えなさい」
ざ、っとサンドルが一歩踏み出した。
壕内から少女を見上げる。
「わかりました。できる限りの防御態勢をとって、何としても生き残ります」
サフランはうなずいた。
ニューメアの方角を見つめる。
壕内の兵士たちは、強化兵数人が輪になって魔法使いを囲み、その上に外殻に内蔵された防御盾を展開した。
そういったグループを複数作って、防御の弱い魔法使いを守ろうというのだ。
サンドルは、塹壕の隅で蹲るメキア女王に近づいた。
彼女の前には、身体のいたるところが焼け焦げた少女が寝かされている。
さきほど、オレンジの髪のサフランが空から連れてきた少女だ。
シミュラから受け取って、壕内に寝かせた時にも思ったが、髪の色と年齢こそ違え、ふたりの顔はそっくりだった。
女王は、眠り続ける少女の髪を手櫛で梳かし、すすけた顔の汚れを手にした布でふき取ってやっている。
「メキアさま」
「はい」
これまでに、聞いたことがないほど素直に返事をして、女王が顔を上げた。
「あなたとその少女は、わたくしがお守りします」
そう言うと、サンドルは、彼女の横にどかっと座り込んだ。
「失礼します」
彼は、女王を自分の前に座らせ、眠る少女を女王にもたれさせる。
さっとメキアが手を前に回して抱きしめた。
強化兵は、その上から防御盾を展開する。
「サンドル――」
「はい」
「この子はね、わたしなのです」
サンドルは黙っていた。
それが、王家にかかわる案件であることが知れたからだ。
「親子ではなく姉妹でもない、もっと近い間柄。わたしの我欲で生み出した素体――初めて会った子」
「はい」
「ずっと気にはかけていました。わたしの命を救うモノだから。でもそれだけでした。ただ……実際に会いたくはなかった。会うのが恐ろしかった。この子は、自分の罪の形だから。でも、こうやって会ってしまうと、愛しく悲しく感じてしまうのはなぜでしょう。わたしの――」
「女王さま。もうすぐ爆発がきます。ご準備をなさってください」
サンドルが彼女の言葉を遮った。
メキアは、夢から覚めたように眼をしばたたかせる。
「そう、そうですね。わかりました――ところで、マイスは無事でしょうか」
「――もちろんです」
一瞬の返答の遅れに、メキアは振り向いて彼を見上げた。
「でも、これから起こる爆発は尋常ではないのでしょう」
「大丈夫ですよ。彼のことは、わたしよりあなたさまのほうがご存じでしょう。そういうところは――しぶとい人ですから」
「そうですね」
アルメデの通信を受けたバルバロスの司令室では騒ぎが起こっていた。
ルミレシアが半狂乱になって、暴れ出したのだ。
「そう喚かないでくれ。高位魔法の最高権威であるアルメデ女王が守るといわれたのだ、信じて待つ他ないだろう」
ひとり残ったノラン・ジュードがなだめようと声を掛ける。
だが、ルミレシアは黙らない。
「いや、女王たるわたしが、こんな僻地で死ぬなんて、わたしのカリシアが死ぬなんて……」
ノランは呆れたように少女を見た。
「本当に、おまえはユスラさまに遠く及ばないな。あるいは、その劣りすぎている自覚のために、性格がゆがんだのかもしれんが」
騎士はため息をつくと、
「おい」
ルミレシアの横で、呆けたように壁を見つめるメルヴィルに声を掛けた。
「そいつを黙らせてくれ。おまえの女だろう」
騎士らしくない言葉遣いだということは重々承知だ。
だが、ノランにとって、サンクトレイカ女王ルミレシアは、奸計を用いてユスラから王位を奪った姦物に過ぎず、その地位に敬意を払う必要すらないのだ。
「女王さま、気をお静めください」
なんとかルミレシアを落ち着かせようと、声を掛け始めたメルヴィルの横で、床に転がったままのコラドが、うなされるようにつぶやいている。
「爆縮弾のエネルギーを封じ込めるなど不可能だ。わたしたちはすべて死ぬんだ。わたしの人生は無駄だった。バルバロスもホイシュレッケも、ギデオンですら、その名を歴史に刻まずこのまま消えていくに違いない……」
ノランは、科学者の繰り言を聞きながら、ピアノから渡されたコクーン・カプセルを捻った。
この事態を予想したわけではないだろうが、念のために渡されたシールドが役にたつ。
さすがに魔王、アキオの魔女のひとりで、ユスラさまの仲間でもある。
彼女について行ったシェリルも、おそらく安全な場所に退避しているだろう。
だが――ノランの脳裏を不吉な考えが、ふと過る。
戦闘が始まってからユスラさまの声がまったく聞こえてこない。
本来なら、戦闘指揮は、あの方が執られるはずなのだ。
アルメデ女王に敬意を払って指揮権を渡したとしても、個人的に彼に指示があっても良いはずだ。
欲目ではなく、自分をただ一人の彼女の騎士として、あの方は扱ってくれるはずなのだ。
まさか――
湧き上がる不安をノランは押し殺す。
この戦闘が終われば、詳細はわかるはずだ。
騎士たるもの、戦いの最中に不安に影響を受けるべきではない。
首を振ったノランは、カプセルを床に叩きつけた。
同じくアルメデの言葉を受けた別荘の中庭内の連絡艇内では、キルスとカイネが手をつないで座っていた。
「キルス、すみませんでした。わたしの愚かな行為で、あなたの命を――」
「気にするな、マドライネ」
キルスは、少女の本名を呼び、
「アルメデが何とかするといったなら、何とかなるのだろう。彼女は、そういう女王だ」
「はい……ですが、今回の爆縮弾は前回より――」
「内容は科学者から聞いた。あるいは駄目かもしれないな。そうであれば、なおさら、今、残された時間を大切に使おう」
「はい」
「この厄災を乗り切ったら、君に伝えたいことがある」
「今、おっしゃっても構いません。いえ、いってください」
過去100年、常に冷静な表情を崩さなかった少女の必死な表情に、キルスはふと笑うと、
「マドライネ、わたしは君を――」
その瞬間、視認窓のガラスが吹き飛んで、灰色の物質が凄まじい勢いで吹き込んできた。