303.救出
その声が聞こえてきたのは、彼女が眠りについて、そろそろ1公転周期になるころだった。
ジュノス・サフラン・シスコは、かつてのサラウスキ、今の時代でいうエストラとサンクトレイカの境界近くの、地下深い鍾乳洞で目を覚ました。
青い瞳で、夜光虫によって、ところどころ発光する鍾乳洞の壁面を見つめる。
人間ではない彼女だが、眠りの主目的はヒト族と同じ、手に入れた情報の取捨選択、知識の統廃合と記号化による圧縮、頭出しをつけて潜在意識に焼き付け、情報へのアクセスを早める作業をすることだ。
ただ、ヒト族と違うのは、ドラス・ジュノス体である彼女には、自身の脳意外の膨大な外部記憶――つまり自分の本体、真体ともいうべき眠り続ける巨竜、ドラッド・グーンと合わせた記憶の整理が必要ということだ。
ジュノス体の記憶容量を1としたら、真体の知識量は、180億ある。
いま、意識の主体は真体ではなく、小さなジュノス体だ。
それほどの知識量になると、圧縮をかけた知識のインデックスだけで、彼女の脳はいっぱいになってしまう。
圧縮したインデックスをさらに圧縮して連想インデックスをつけなければ知識を使えないのだ。
ゆっくり時間をかければ問題はない。
だが、彼女には、その時間がなかった。
あのヒト族の少女、キラル症候群に罹っているカマラたちに残された時間はあとわずかなのだ。
だから彼女は、崩壊したストーク館を後にすると、すぐに真体の傍に来て意識をつないだ。
次元を超えたナノ・マシンの不調を解消させるために――
半覚醒状態における知識の整理、その過程で彼女も夢を見る。
初めのころ、その多くは、共に暮らしたオルビスのものだった。
ぶっきらぼうで、不器用な愛情深い男――
だが、時が経つにつれ、夢の内容は、あの若い男、アキオとの思い出が多くなってきた。
おそらく、ジュノス体に、あとから統合されたサフランやシスコの記憶と意識が、より強く一体化を始めたからだろう。
彼女の中で、オルビスへの思いとアキオに対する思慕が違和感なく共存し始める。
「命が危ない時に、あんな顔はするな」
バルコニーから飛ばされそうになったシスコにアキオは言った。
「どんな時でも、生きるために最後まであがけ」
また――
「一緒に来い」
これから殺しあおうとするサフランにアキオが言う。
「人を殺した俺たちは考え続けなければならない」
彼の、サフランとシスコへ話しかける態度は同じだった。
あの男に、ヒトとジュノスとシェイプ・シフターの違いはないのだ――
そうして、知識の整理をしつつ、アキオの夢を見る彼女を、凄まじい生体波動が外部から揺さぶったのだった。
今のは――
かつては、ジュノス、シスコ、サフランの3つの人格が、それぞれに共存した思考だったが、いまは、ほぼ統合された一人の意識にまとまっている。
それが何かに気づいて、彼女は驚いた。
その波動は、彼女が生み出し、進化させたケルビの叫びだったからだ。
だが、あのおとなしく――悪く言えば覇気のない生物が、周りの植物が爆発するほどの叫びをあげるなど考えられなかった。
ケルビは、生きるための執念の無さ、怒りの希薄さのため、ジュノス体の候補から外された生物なのだ。
そんな生物に、いったい何が起こったのか?
さすがの彼女も、突然、飛び込んできたケルビの思考は読み取れない。
彼女は、ジュノス体として備わった、未だ地球の科学では理解できない次元触角を広げて気配を探った。
驚くべきことに、一個体のケルビの呼びかけに、多くのケルビが応えている。
彼女は、地下深くから球状に知覚範囲を広げた。
ケルビたちの意識は、サンクトレイカと西の国の境界に向かって移動している。
「――」
その時、彼女は、懐かしい思考の叫びを聞き取った。
球状に広げた知覚が、たまたま惑星の遥か上空の意識を拾ったのだ。
人間の意識なら理解できる。
まして、一度、交流をかわした相手なら――
「アキオ――」
その意識はそう言った。
「アキオ、アキオ。世界をくれてありがとう」
ああ、この声は――カマラ!
しかも、その内容とそれに乗せられた感情は、悲しくもこの上なく優しい叫びだ。
かっと、ジュノスは眼を見開いた。
真体との接続を引きちぎり、一瞬で体を完全ジュノス体に変化させる。
青かった瞳がオレンジ色になり、虹彩が四角くなった。
予備動作なしで、一気に音速まで加速しつつ、凄まじい勢いで岩窟を砕いて地上に飛び出した。
空に躍り出ると、さらに加速する。
機械文明を否定するドラッド・グーンによって生み出されたジュノス体は、音の壁を越え、熱の壁を蹴り飛ばして、光速にちかい速さで成層圏から落下する生命体へと向かう。
そのままの速度で少女にぶつかると、瞬時に慣性を打ち消した。
そっとカマラを抱き上げると、アキオの意識を探し、北の荒野にいることを知る。
体内に蓄えた高濃度マキュラのほぼすべてを使い尽くしたジュノスは、最小限の速度減速を行いながら、自由落下してアキオのいる荒野に降下していった。