302.長い灰色の線、
ミーナは空中で静止し、ニューメアの方角を向いて停止飛行した。
「なぜ来たの」
振り返らずに問う。
ロケット音から、アキオが背後にいることが分かっているのだ。
「なぜだろうな」
アキオは自分でも不思議そうに言い、
「阻害暗号の解除コマンドを無線で命じるのは危険だ、というのはどうだ」
「どうだ、って、あなた――」
「ここで、直接解除する」
「バカねぇ」
「ああ――バカだな」
「どうするのじゃ」
ほぼ並んで伸びあがっていく灰色の飛行機雲を見てシミュラが尋ねる。
「あと3分あります」
アルメデがアーム・バンドを見て言う。
「しばらくは、ふたりの時間を過ごさせてあげましょう」
「その後は?」
「わたしがアキオを連れ戻します」
「ミーナは、もうダメなのか」
「彼女が行おうとしている方法を使えば、たぶん」
「他に方法はないのか。さっきのように……ミサイルを叩き折る、とかの」
「C8のような化学爆薬の爆発と違って、爆縮は直ちに始まるものではないのです。もうミサイルの中で、ミニ・ブラックホールが複数生み出され、回転が始まっています。この地に到着した段階でミサイルを破壊しても、爆発の規模はかわらない――」
「つまり、破壊しても意味がないのですね」
「そうです」
「おぬしはミーナが消えてしまっても良いのか」
アルメデは答えない。
「女王さま!」
ピアノが、アルメデの握った、震える拳から血が流れるのを見て叫ぶ。
「ミーナは、わたしの初めての友達、血のつながらない姉、王宮という石で囲まれた冷たい建物に開いた青空の見える窓――」
「すまぬ。わたしが悪かった。もういうな」
シミュラがアルメデの肩を抱く。
「ミーナは、彼女は、いったい何をしようとしているのです」
ピアノが女王を見る。
アルメデは、大きく息を吸い、
「爆縮弾の無効化――世界が変わる、ということば――そしてミーナが彼女の仮面を外したという事実――それらは、ひとつのことを示しています」
「何じゃ」
「今、この地にある膨大なナノ・マシンを核として、彼女が体内に――いえ異次元に持つ大量のグレイ・グーで包み込んで、爆縮弾の膨大なエネルギーを打ち消すつもりなのです」
「グレイ・グー――その名はカマラから聞いたことがあるの」
「ドクター・カヅマが最初に開発した、金属を使わず、大気中の窒素と炭素、酸素を使って構成されるグレイ・グーは、不安定で危険なナノ・マシンでした。わずかなきっかけで、一瞬で惑星上に広がってすべてを呑み込みます。あなたたちも、さっきのナノ・マシンとギデオンとの戦いを見たでしょう。あれが惑星規模で起こるのです。かつて地球では、彼女の体内から暴走し、大気のほとんどを使って世界中に広がったグレイグーが、地球の生態系と人々の身体を変えてしまった。秘密裏に行われたアキオとミーナの活躍で、人類は死滅せずに済みましたが――」
アルメデは目を伏せ、
「彼は、全人類から世界の破壊者、悪魔と呼ばれ、恐怖と嫌悪の対象となってしまった――」
「だが――ナノ・マシンで、それほど威力のある爆弾を抑えられるのか。数は多くとも、微小なロボットに過ぎないのではないか」
「それは――」
「今のままでは、そうね――」
女王の言葉は途中で遮られた。
「だから、わたしが来た」
振り返ったアルメデたちの眼に、空中から、ふわりと着地する少女の姿が映る。
鮮やかなオレンジ色の髪、そして四角い虹彩を持つオレンジの瞳――
「おぬし――サフランか」
「そう、この子に呼ばれてきたの」
ジュノスは、腕に抱えた少女を近づいたシミュラに渡した。
それは、やり遂げた充足感で、穏やかな微笑みを浮かべて眠るカマラだった。