301.流れよわが涙、4
「ば、爆縮弾……そ、そんなバカな!」
バルバロスの司令室で、半身を焦がされ、唸りながらオープン・チャンネルで交わされた会話を聞いていたコラドは半狂乱になって喚く。
「西の国やサンクトレイカが消えるとはどういうことです」
ルミレシアも、蒼白になってメルヴィルにすがりつく。
「おそらく、高位魔法による武器なのでしょう。我々の想像もできない威力を持つ」
「サンクトレイカ全土が消えるということは――シュテラ・ガルンストも被害を受けるということですか」
ルミレシアは、愛娘カリシアの住む街の名を挙げ、
「メルヴィル、何とかして!この身はどうなっても、あの娘だけは――」
「あなたのような人でも、娘は可愛いようですね」
背後から声がかけられ、サンクトレイカ女王が、きっと振り向く。
灰色の髪、紅い眼の少女が、壁にすがりながら立ち上がろうとしていた。
女王の叫び声で目を覚ましたのだろう。
先ほど、コラドによって吹き飛ばされた腕は、半分以上復元されている。
「ですが、あなたは間違っています」
「何をいう」
「女王であるなら、まず王国の民の心配をすべきなのです。その点で、あなたはユスラさまに遠く及ばない」
「うるさいわ、化物」
ルミレシアの罵倒に、ピアノは美しい微笑みで応える。
「この治りつつある腕のことですか?これは、わたしの愛する人が与えてくれた恩寵、ナノクラフトです。あなたの蔑みの言葉は、わたしには誉め言葉にしか聞こえません――ルミレシア、そう喚かなくても良いのです。アキオが、必ず何とかしてくれますから」
「バ、バカな――宰相は、もうミサイルを止められないといっていた。星の形を変えるほどの爆発力を持つ爆縮弾を、何とかすることなどできるはずがない」
少女は科学者を無視して、黙って彼女たちのやりとりを見ていたノランに顔を向けた。
「ノラン・ジュード。ここは任せてよいですか」
「ああ」
「わたしは、アキオの許へ行きます。こんな身体でも、何かの役に立つかもしれませんから……」
そう言いながら、ピアノは強化兵に小さなカプセルを渡す。
「これはナノ・コクーンです。中央でひねって床に打ち付ければ、この部屋を守るバリアになります。いざという時に使ってください」
「わかった」
「わたしも行っていいかしら」
それまで、黙ったまま、食い入るようにピアノの腕を見ていたシェリルが言う。
「話には聞いていましたが、本当に身体が治るのですね。ならば少しでも早く母に、その――ナノクラフトを」
シェリルは、不透明なナノ・コクーンに包まれた母の首を抱きしめる。
ピアノは、一瞬、瞳に迷いを浮かべたが、すぐに答えた。
「では行きましょう」
シェリルはノランを振り返る。
「ごめんなさい、ノラン。もしこれが最後なら、あなたと一緒にいたいけれど――」
「相棒は、どこにいても相棒だ。離れはしない」
ぶっきらぼうなノランの言葉に美少女は笑顔を見せる。
「そうね。じゃ、行ってくるわ」
一本の噴射杖につかまった少女たちは、シールドの裂け目から飛び立った。
空を駆けながら、少女たちは凄まじい光景を目にした。
雲をつく巨人が、目にも止まらぬ早業で、飛来するミサイルを叩き落としたのだ。
巨人の動きで巻き起こった風に翻弄され、塹壕から少し離れた場所に降りたふたりは、急ぎ足で仲間のもとに向かった。
よろめくピアノにシェリルが手を貸す。
塹壕に近づいたピアノに仲間の声が聞こえてきた。
珍しくアキオが迷い、アルメデに説得されている。
少女は、杖を使いながら背後から近づいた。
「ピアノ!」
アルメデが駆け寄って、今にも倒れそうな紅い眼の少女を支える。
ピアノが続けた。
「アキオ、あなたの決めたことなら、アルメデさまも、いいえ、わたしたちの誰も反対などしないのだから」
「ふふ」
ミーナの笑い声に、皆が仮面の少女を見る。
「本当にいい子ね。アキオ、あなたが羨ましいわ――ううん、300年かけて手に入れた子たちだものね、いい子で当たり前なのかもしれないけれど……」
そういうと、彼女は皆を見回し、
「アキオは、世界なんて気にしていないの。あなたたちもわかるでしょう。彼は、変わってしまった世界なら、その先でなんとかすればよい、と考えるタイプだもの」
「そうじゃの。どうも、いつもの此奴らしくない」
「それはね――アキオが……」
「此奴が?」
「わたしを心配してくれているから」
「つまり、爆縮弾を無効化するには、ミーナの命を危険にさらさなければならないということなのね」
アルメデが言う。
「メデ、相変わらず頭がいいわね。そう。だからアキオは迷っているのよ」
「あ、あたりまえじゃ、おぬしと引き換えに――」
「あら、わたしと引き換えに世界が助かるなら、安いものじゃない。もともと、どこにもいなかった、人工的に生み出されたAIなんだから」
「ば、ばかなことを、おぬしに代わる存在など、あろうはずがない」
仮面の少女は口元をほころばす。
「ありがとう、でも、いくわ」
「だめだ、ミーナ」
少女がはっと目を見開く。
アキオが彼女の手をつかんだのだ。
「アキオ――止めてくれるの?嬉しいな」
「行くな、クマリ。クマリ・ハマヌジャン」
「まあ」
少女の口元がほころぶ。
「懐かしい名前ね。でも、わたしはクマリじゃない。ミーナクシー、魚の眼を持つ女神――」
「ミーナ」
ピアノも彼女の腕をつかむ。
「だめよ!」
ミーナが首を振る。
「アキオ、わたしを止めるということは、この子たちを失う、ということよ。他に方法はない」
「神のいないこの世界には、女神が必要だ」
少女は彼を見つめ――ふたりの手を優しくほどいた。
「優しいのねアキオ。嬉しいわ」
そう言いながら仮面に手をかける。
カチリ、と金属音が響き、耳の横で前後に割れて乳白色の面は少女の顔から離れた。
「あ、ああ――」
周りにいた者から、思わず驚きの声が漏れる。
形の良い頭から、滝のように流れる黒みがかった艶やかな栗色の髪。
切れ長の鳶色の瞳。
高すぎず低すぎず、柔らかで美しい形を持った鼻。
そこには、地球における、西洋と東洋の見事な美の融合がなされた美少女が仮面を手に微笑んでいた。
「少し無理をして、本当の彼女の顔を再現してみたの。アキオも見たことがなかったでしょう。しばらくしか保てないけど、それで充分よね」
そういって、ミーナはアキオの胸に飛び込み、背伸びをして彼の頬に口づけた。
「迷っている暇はないわ。もうすぐミサイルがやってくる」
「だが――吸収できるのか」
アキオが問う。
「計算上はね――ギリギリだけど。わかっていると思うけど、わたしにはロックが掛かっているわ。その解除には、あなたの暗号が必要。タイミングを合わせて入力してね」
「ミーナ……」
少女は、もう一度背伸びして、彼の耳元で囁く。
「ありがとう、アキオ。わたしは幸せな女だわ。あなたから、これほど思ってもらえるなんて――だって、あなたは、わたしのために、この星を引き換えにしようとしてくれたのだから」
そう言うと、さっと身を身を翻して、少女は空へ飛び立った。
次の瞬間、少女たちは、思いもよらない光景を目にした。
アキオが、近くの地面に突きたてられていた噴射杖をつかむと、凄まじい速さで彼女を追いかけて空へ飛び出したのだ。