299.不測
前回ミサイルに乗ったのは、爆縮ミサイルに乗り込んだスタンを止めるためだった。
この世界では、20年経っているらしいが、彼の主観時間では、ほんの数時間前のことだ。
あの時よりましなのは――
周りを見回して彼は思う。
宇宙ロケットである銀の塔には座席がある。
前回は腹ばいになって操縦したのだ。
気密構造になっていて、私服のまま座席に座ることもできる。
ミサイルの中では強化服を着ていた。
それにしても――20年とは。
よく、アルメデが生きていたものだ。
ラートリの話だと、あの男のもとに連れていかれた彼女は、寿命制限の解除を受けているはずだった。
もう偉大な女王が寿命で死ぬことはないのだ。
よかった。
そしてカイネ――
20年前、彼の主観では、ついさっき、泣きながら彼を引き留めた少女は、長きに渡って、彼が目覚めた時に彼の国を渡すために、キルスの似姿になって、この国を治めてきたのだという。
夜毎、あるいは空き時間のある度に、少女は彼の眠るカプセルに足を運び、長く時を過ごしていたと、メイン・システムの監視映像データから得た情報で、ラートリが教えてくれた。
まだ幼い彼女に初めて出会ってから100年――今、彼は、はっきりとカイネを愛おしく思う自分を自覚していた。
スタンの妄執が引き起こした爆縮弾の暴発は、結果的にキルスの権力への妄執をも打ちやぶり、彼の心を硬く覆っていた殻も打ち砕いたのだ。
キルスの耳にAIの言葉が蘇る。
「あ、彼女に男の影は一切ないわよ、安心して。暇にあかせてすべての映像データに眼を通しているわたしが断言するんだから間違いないわ」
「お前なら、きっとゴダイヴァ夫人の行進も覗いたんだろうな」
あまりに人間くさい発言をするラートリに、思わずキルスは言い返した。
言葉の少ない彼には珍しいことだ。
「ひどいわ。わたしは女神、トムじゃないわよ」
地球語の覗き屋トムの語源となった伝説を、異世界生まれのAIは知っていたようだ。
「それに、夫の悪政をいさめるために、裸で馬に乗って街を行進した、というゴダイヴァ夫人の伝説は、あくまで伝説ですからね」
ラートリは子供のように言い募る。
「まあ、事実だとしたら、わたしもトムと一緒に覗いたかもしれないけれど――」
騒音の少ない室内に、小さく虫が鳴くような音が響いた。
銀の塔がミサイルと違うもう一つの点、完全なオートパイロットによる自動操縦が、もうすぐドッホエーベ近くに到着することを知らせたのだ。
キルスは、前方のカメラ映像をディスプレイに映し出した。
その時、それは起こった。
前方に広がる黒い平原が、マジシャンがカードを裏がえすように、一斉に端から銀色に変わっていったのだ。
眩い輝きとともに――
後には巨大な銀色の雲が残っている。
キルスは、近距離センサーによって、平原に立つ別荘の中庭に降り立つカイネの高速艇を見つけ、その横に銀の塔を着陸させた。
別荘の庭には、信じられないほど大きな、戦車なのか要塞なのかわからない物体が、半壊状態で傾いている。
キルスは、ロケットの脱出ハッチを爆破して、そこから中庭に飛び降りた。
高速艇に向かって走る。
それは、初めて見る型だったが、基本構造は、トルメアのものと酷似していた。
だから、彼は、迷わず地面に伸びた安定脚に手を触れた。
脚の一部が開いてパネルが見える。
そこに手を当てると、音もなく底部が割れて、搭乗用スロープが下りてきた。
キルスは、それを駆け上がった。
この時、彼は生涯最大の失敗を犯してしまった。
本来の注意深い彼ならば、必ず気づいたはずだ。
彼の後を、黒い塊が追いかけるようにスロープを登ってきたことに……
細い通路を通り、キルスはコントロール室へ向かった。
「ばかなことをいうな――そうだ。もし、それが本当なら、それは偽物だ。そいつを捕まえろ」
少女の声が通路の先から聞こえてくる。
キルスはそっと近づいた。
「これから、大事な計画が始まる。邪魔はされたくないからな……なに、銀の塔で?ここに――」
室内に入ったキルスは、少女の背後から声を掛けた。
「そうだ、来たぞ。捕まえたければ、君が捕まえればいい――マドライネ」
彼は、最後に彼女と話した時にカイネが告げた本名を呼んだ。
「あ、あ……」
振り返った少女は、コンソールから手を離し口に手をあて、大きな目をさらに大きくして彼を見た。
みるまに涙が瞳を覆い、大きく膨らむと表面張力の限界を超えて、一斉に頬をつたって流れ落ちる。
「キ、キル――」
立ち尽くすカイネに足早に近づいたキルスが、しっかりと抱きしめた。
長身の彼の胸にすっぽりと包まれた少女の頭が胸元で揺れている。
それを見ながら、かつて友人から心臓無しと呼ばれた男の胸が高鳴り、温かい気持ちがあふれてくる。
「う……わぁぁ」
カイネが声を上げて泣き出した。
まるで子供のような泣き方だ。
キルスは、彼女の顎をもって顔を上げさせる。
嫌々をするように少し抵抗したカイネは、すぐに力を緩めて顔を上げた。
「この前は、君の泣き声しか聞けなかった……」
そういって、キルスは少女の頬を両手でつつむ。
「君は泣き顔も可愛いな」
カイネはキルスに抱き着いた。
さらに号泣する。
それは、おそらく――20年分の涙だった。
「キルス……」
「なんだ」
「本物ですね」
「そうだ」
「でも、なぜ――」
「いろいろな出来事があった。それはあとでゆっくり話す。その前に――」
キルスはカイネを横抱きにすると、そのままコンソールに歩き、彼女を椅子に座らせた。
「ミサイル発射を止めるんだ。もう時間がない」
「キルス……」
「わたしは君と生きたい」
「はい。わたしもです」
「高い城へアクセスはできるんだな」
「5分ほど前から繋がっています」
言いながら少女はコンソールを操作する。
「尋ねていいか」
「大丈夫です」
「さっき話していたのは、第2サブコマンドルームの科学者だな」
「はい」
「女の声のままでよかったのか」
「音声通話でしたし、音声変換で、向こうへ届くのはあなたの声になるので……」
カイネの操作で、ディスプレイが目まぐるしく切り替わる。
「元の容姿に戻したのは?」
ふと少女が顔を上げる。
「死ぬときは――」
キルスを見つめる。
「わたし本来の姿でいないと、あなたに見つけてもらえないかもしれないでしょう――」
再び、一連のコマンドを打ち込んで言う。
「これで、ミサイル発射は中止されます」
少女はパネルに触れた。
画面が一瞬、赤くなり、拒絶と表示される。
何度繰り返しても承認されない。
「ダメです。ミサイル発射を止められません」
「なぜかわかるか」
「何者かによって妨害されていると思われます」
「そう……ヨ。わたし、ガ……止メタの」
突然響いた女の声に、キルスとカイネは顔を見合わせた。
「誰だ」
「わた、しは……ギデオン」
「ギデオン?、それは、たしかコラドの実験兵器の名前だったはず――」
カイネがつぶやく。
「実験、ではナイ……完成シテ、イル。いまマデ、この地を覆いつくシテ、アキオを、魔王を打ち負かすトコロだったのに――突然やって来タ、卑怯ナ……ボウダイなナノ・マシンにヤラれて、ワズかに群知能の中枢部分の最後のコピーを、ここに……ソレも、もう……消エル、せめて、爆縮、弾で、世界、モロトモ――」
ギデオンの声が、フェード・アウトして聞こえなくなる。
「つまり、暴走したAIが中止コマンドをブロックしている、ということか」
「そのようです」
ディスプレィに一連の文字が表示される。
「いま、ミサイルが発射されました。あと12分でここにやって来ます」
「そうか」
キルスが、穏やかな表情で言った。
彼は今回の爆縮弾の威力を知っている。
爆発すれば、この世界の8割は壊滅するだろう。
「わたしたちにできることは」
「――ありません。ごめんなさい。キルス……あなた」
「謝らなくていい」
キルスは、少女の手をとって立たせると、もう一度しっかりと抱きしめた。
「ああ、ああ、キルス。嬉しい、嬉しい――です」
「君が20年にわたって、わたしの傍にいてくれたのは知っている」
「はい」
「せめて最後はふたりでいよう――ああ、その前に、あの方にも伝えておこう。彼らが最後の時を共に過ごせるように」
キルスはコンソールに手を触れ、オープン・チャンネル(全周波数帯)で呼びかけた。
「アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス――」