296.流れよわが涙、2
ラピィのエピソードを入れるために、初稿から少し変えました。
「アキオ!」
「わかっている」
ミーナが叫び、彼が応えた。
この瞬間に何をすべきか、元戦闘補助AIが問い、兵士が簡潔に答えたのだ。
空から観測用アイギスミサイルが――おそらくは大量のナノ・マシンが落ちてきている。
それも狙ったように、正確に荒野の中心へ。
地上には数えきれない敵がいる。
しかも利口で危険な敵だ。
それを探査用のナノ・マシンで倒すためには、経験のあるナノ・マシンによって教育しなければならない。
さらに、魔法ではない、ナノクラフトを発動させるためには――
「アカラ」
「はい、ボス」
彼の呼びかけに、異音を立てながら赤いパニガーレが走り寄ってきた。
「走ることは」
「できるわ」
「ミサイルはどうだ」
「射出管が潰されているため発射不能よ」
「俺の合図から20秒後に、ミサイルが、あのギデオンの塊に落ちてくる」
アキオは、津波のように、あるいは邪悪な蛇のように首をもたげるギデオンを見上げ、
「その時に合わせてギデオンに突入し、ミサイルを発射する」
「了解」
「――」
即答するAIに、アキオは何もいわず、パニガーレのボディに手を触れた。
発射管がつまったままミサイルを撃つのは、つまり自爆するということだ。
小型ミサイルに搭載されているのは、シジマが開発したC6を改良した高性能爆薬だ。
そこから発生する熱量はTNT換算で8キロトン、中心温度は10万度を越え、瞬時にアカラを蒸発させるだろう。
だが、その熱を使い、黒蟻を材料として、一気にナノ・マシンを爆産するのだ。
もちろん、ギデオンも抵抗するだろう。
知恵を使い、戦略的にプラズマを用いてナノ・マシンを破壊、喰らおうとするに違いない。
最終的には、ギデオンとナノ・マシンのどちらが捕食者として優れているかが勝敗を分けるのだ。
「ボス――アキオ。あなたは、やれ、というだけでいいのよ」
「よし、やれ」
「アイアイサー」
アキオはアカラにまたがった。
「ボス?」
「アキオ!」
アカラとミーナが同時に叫んだ。
「ナノ・マシンを正しく教育するためには、俺の体内のナノ・マシンが必要だ」
アキオは教育と言ったが、要は、群知能のナノ・マシンに、経験をつんだ別の群知能のマシンを混ぜ合わせて連結させ、全体の知性を上げるということだ。
「だから、お前と共に行く」
「だめよ!」
再び叫ぶミーナを残し、アキオはパニガーレを発進させた。
「あらあら、そんなスクラップに乗って、いったい何をするつもりかしら」
通信を通じてギデオンの嘲りが聞こえてくる。
アキオは、黒蟻のいない荒地を選んでアカラを走らせた。
「上空のミサイルがギデオンにぶつかるポイントがわかるか」
「アイアイ」
大きなRを描きながら、土煙をあげてアカラは疾走する。
「今から20秒後だ。そのタイミングでミサイル発射」
「アイサー」
アキオは、あらかじめ目をつけていた荒地の起伏に向かってアカラを走らせた。
彼の行動に何か不安を感じたのか、ギデオンが執拗な黒槍の攻撃を仕掛けてくる。
足場が崩れ、一瞬、バランスを失いそうになるのを、素早く身体を左右に移動させて持ち直した。
急な勾配が眼前に迫る。
アキオは、アクセル・ワークとサスペンションのバネを使って、パニガーレの前輪を引き上げ、一気に坂を上り、空中に飛び出した。
「さすがです、ボス――でも」
空中を飛びながらアカラが言う。
「車重が少しオーバーしているので、不要な荷物を排除します」
そう言い残し、アカラは――シジマの作ったAIバイクは、シートごとアキオを後方へ放り出した。
「アカラ」
落下しながらアキオが言う。
「あなたは行く必要がないって、通信でミーナがいっています。さよなら、ボス――アキオ」
放物線を描きながら落下するアキオに、ギデオンの長い腕が迫る。
すでに、体力のほとんどを使い切った彼にはそれを防ぐ手だてはない。
ドン、と柔らかいものに身体が当たった。
「捕まえた」
ミーナだった。
彼を追いかけて空を飛んできていたのだ。
そのまま鮮やかな速さで反転すると、高速でギデオンから遠ざかる。
振り向いたアキオの眼に、ゆっくりとギデオンの壁に突き刺さるアイギスミサイルと、そのすぐ下に突入する赤いパニガーレの姿が映った。
先にミサイルがギデオンの槍攻撃を受けて引き裂かれた。
折れた胴体部から、銀色の煙が四方八方に吹き出るのが見える。
次の瞬間、ギデオン内部から、凄まじい火力の紫の爆炎があがり、球体が膨らむようにその光は荒野全体に広がった。
ザッ、と音をたててミーナが塹壕付近に着地して、自らの身体でアキオをかばう。
彼女の背中から、天使の羽のような灰色の翼が広がり、ドーム状にアキオごと囲んで爆炎と爆風から彼を守った。
「ミーナ、それは――」
唇が触れるほど近くに顔がある少女に向かってアキオがつぶやく。
「わかってるわよ。それ以上は聞かないで。乙女の秘密、よ」
「なぜ、アカラに排除させた」
「必要ないからよ――見て!」
ミーナが部分的に羽を開いて、その先を指さした。
そこでは、凄まじい光景が広がっていた。
爆発の中心から外部へ向けて、高熱によって赤黒く光るギデオンを、銀色のナノ・マシンが波打つように次々と浸食している。
そのまわりから膨大な数のギデオンが殺到し、逆にナノマシンを押しつぶそうと抵抗していた――
恐れていたことが現実となっている。
経験のない、数だけ多いナノ・マシンでは、ギデオンに勝てないのだ。
「そろそろいいんじゃないかしら」
ミーナが立ち上がり、羽を折りたたみながら言った。
「さあ、アキオ」
恋人に手をかして立たせると、仮面の少女は、女神が神託を下すように彼に告げる。
「アキオ、あなたの声で、あなたの名において、ナノ・マシンに命じて」
アキオは不審げに仮面の少女を見、もう一度ギデオンとナノ・マシンの戦いを見て、気づいた。
荒地のいくつかのポイントで、明らかに他の部分と違う反応が起こっている。
そこでは、ナノ・マシンが優勢にギデオンを屠っているのだ。
あまりの攻撃の激しさに、内部で小さく蒼白い稲妻まで生じている。
「あれは――」
「そう、荒野のあちこちに、傷ついたあの子たちの血が、ナノ・マシンが撒かれているのよ。それらが若いナノ・マシンを呼んで情報を伝え、自ら融合して、ギデオンを倒しているの。でも、まだ足りないものがある。それは、真の主人であるあなたの命令。いま、ナノ・マシンは自衛するために戦っているだけだから――あなたが彼らの戦いに意味を与えないと」
「これはなに?何をしたの」
思わぬ強敵の出現に、上ずったギデオンの声が響いた。
「あなたは、もうおしまい、ということよ。どう?数万倍の数の敵に囲まれる気分は?数に驕り、数を誇ったあなたにはふさわしい最後ね」
ミーナの言葉に、ギデオンは烈火のごとく怒った。
「ナノ・マシンごとき原始的な知性が、どれほどの数、襲ってきても問題ないわ。もういい、遊んでいないで、あなたたち全員を殺す。そうすればすべて終わりよ」
その言葉と同時に、まだナノ・マシンに浸食されていないギデオンが怒涛のように塹壕めがけて襲い掛かってきた。
高さ数十メートルの津波のような黒い蟻の群れが四方から押し寄せ、あたりは深夜のように暗くなる。
ほとんど真上から、凄まじい重量の黒蟻がなだれ落ちてくる。
「アキオ、命じて――早く」
ミーナの声でアキオはアーム・バンドに指を触れ、音声モードに切り替えると叫んだ。
「ナノクラフト――情報をマージしろ、エネルギーを吸い込んで、ギデオンを喰らい尽くせ!」
どこからも復唱はなかった、受諾の言葉も。
だが、確かに、アキオの命令はすべてのナノ・マシンに伝わっていた。
それは、一瞬の出来事だった。
彼の言葉にひと呼吸遅れ、爆発の中心部にあった銀色のナノ・マシンの雲の内部で放電が走り――
そこから稲妻と小爆発が、もの凄い速さで伝播し始めた。
次々と、黒蟻がナノ・マシンに取り囲まれ、分解され、分子レベルで再構築されて、あらたなナノ・マシンに代わっていく。
ほんの刹那の時間で、平原中のギデオンが銀色のナノ・マシンに作り変えられた。
アカラが自らの知性と引き換えにもたらした高熱をエネルギーに、280年を生きるナノ・マシンの知恵が、ギデオンを圧倒したのだ。
その変化の激しさは爆発を超えていた。
塹壕の上からなだれ落ちていた黒蟻は、銀色の粒となって荒野に霧散する。
「ぎぃやぁー」
ギデオンが、なんともいえない嫌な断末魔の喚き声をあげた。
「消える……消えていく。わたしの知性が、意思が――偉大さが。いや、やめて、死ぬのは――いや……やめて――」
声は少しずつ小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。
「醜い存在は、死にざまも醜いですね」
いつの間にか、ふたりの傍に来ていたアルメデがつぶやいた。
アキオの視線に気づいて頬を染める。
「ごめんなさい。いい過ぎました……」
「いや――事実だ」
いまや、平原のすべてのギデオンはナノ・マシンへと姿を変えた。
膨大な数だ。
分子運動を利用して、ドッホエーベ内の銀の霧は静かに崖際に集まりつつある。
彼らは勝ったのだ。
「やったわね――」
ミーナが笑顔を見せた時、ハーネスを口で咥えて馬車を引いたラピィが駆け込んできた。
彼女が止まると、御者台からシミュラが飛び降りる。
「どうでした?」
アルメデが尋ねた。
「おぬしの願ったとおり、全員、無事確保できたぞ――ラピイのおかげじゃ」
黒紫の眼の美女は、少し沈んだ声で言う。
アキオは、馬車の中に入って少女たちを確認した。
ふたりとも、肉体的にはひどい状態で意識も失っている。
だが、まだ生きていた――
早くジーナ城に戻って、データ・キューブを元に、キラル症候群の治療法を見つけなければならない。
「アキオ」
馬車から出た彼にシミュラが呼びかけた。
「こっちへ来るのじゃ」
少女は馬車の前方へと彼を誘う。
アキオがついて行くと、
「褒めてやってくれ。こやつは――死んだ後も尚お前に尽くしたのだ」
シミュラが、ラピィに手を触れて囁くように言った。
ラピィは――大きくて強い彼のケルビは、立ったまま死んでいた。