295.シューティング・スター、
「またね!」
シジマと最後の挨拶を交わしたカマラは、ラボ・エリア4階のセイテン発着所に向かった。
すでに人気のないジーナ城ではあったが、通路はやわらかな光につつまれ、ピアノとユスラがところどころに活ける一輪挿しの花や、壁に掛けられたミストラの描く印象派風の風景画が、そこで暮らす少女たちの暖かさを伝えてきて、寂しさは感じなかった。
アキオと出会う前、誰もいない洞窟で獣のように暮らしていたころの孤独とはまるで違う。
彼は、アキオは、彼女に世界をくれた。
ふたりで始めてジーナへ旅した夜、彼は、完結していた場所から、残酷な世界へ連れ出したことを彼女に詫びた。
その時の彼女は、まだ言葉がよくわからなかったが、彼が本心からすまなく思っていることはよく伝わった。
あの時、カマラは、反射的にアキオの髪を撫でたのだった。
よしよし、と。
今、思うとひどく恥ずかしいが、あの時はそうするのが正しいと思ったのだ。
なぜ、この人が謝るのかわからないが、怪物によって殺されるはずだった彼女を救い、湿っぽい洞窟と、狭い雪原の広場から彼女を連れ出してくれた大きな人、その人が悪い人であるはずがないことを、彼女は直感で理解していたのだ。
不意にカマラは、初めての夜、柔らかく振れた彼の唇、そこから流れる血を夢中になって吸ったことを思い出して思わず赤面した。
自分は、何も知らない子供だった。
そして、おそらく今も、ミーナやシミュラ、アルメデ女王に比べたら、アキオの眼には彼女は子供に映っていることだろう。
階段を駆け上がり、最後のはしごを登ると、がらんとした発着場についた。
カマラは、コンソールを操作する。
機械音が響いて、壁の一部が回転し、垂直に立った侵行艇が姿を現した。
棺桶に似たその乗り物は、セイテンに先駆けて作られたプロトタイプの回天だった。
サイズはセイテンの2倍はある。
本来、その名が冠されるべき量産型は、縁起でもないとミーナが反対したために晴天と名付けられた。
プロトタイプであるカイテンには、シジマの理想と仕掛けが、ふんだんに詰め込まれている。
最も特徴的なのは、カイテンが、その強大な推進力によって、成層圏を超えて宇宙に飛び出せるという点だ。
そう、カイテンは小型の宇宙ロケットなのだ。
カマラは、カイテンの赤いビロード張りの内部に収まると、手にしていた白い魔法使いの帽子を胸の上に置いた。
顔の横のパネルに触れると、上蓋がしまり、内部に柔らかな照明がついた。
さっき、ラボのコンソールで調べた、目標の位置座標を手入力する。
不意に意識が飛びそうになった。
彼女は、さっき昏睡から目覚めたばかりなのだ。
カマラは、頭を強くふって、目の前にかかる霧を振り払おうとする。
アキオは強い、そしてジーナ城の少女たちも。
その上で、シジマがミーナを武装させて送り込むというのなら、ほぼ勝利は間違いないだろう。
だが――
敵は小さいとはいえ100億を超えているという。
その数は危険だ。
かつて彼女は、アキオとふたりでジーナ城の崖上の東屋にいた時、尋ねたことがあった。
彼がもっとも危険視する、敵の形態について。
それは何気ない世間話の延長だったが、ふだん極端に口数の少ないアキオが、なぜか珍しく細かい例をあげて彼女に説明してくれたのだ。
もっとも恐れるべきは、極端に数の多い敵である、と。
たとえ、その個体は小さくとも、それが数万、数百万、数億集まったら、勝つことは難しくなる。
爆弾を使ったらどうなの、とカマラは言った。
爆縮弾とはいわないまでも、戦術核で攻撃すれば、何億いても殲滅することができるでしょう。
それに対してアキオは言った。
すべてを一度に破壊できれば効果はあるが、それをすると、味方にも多大な被害がでるだろう。
戦闘に勝って戦場を不毛の地にするのは、負けるのと同じことだ。
膨大な数に勝てるのは、さらにそれより膨大な数だけなのだ、と。
いま、アキオは、100億の機械兵器に囲まれているのだという。
まさしく、彼の言う危険な敵と戦っているのだ。
ならば、わたしが――このカマラ・シュッツェが、アキオに、さらに多くの数の援軍を送り届けるまでだ。
再び、嫌な眠気に襲われそうになりながら、カマラは思う。
さっき倒れた昏睡は、おそらく彼女にとって最後の脳波停止であったに違いない。
何とかアリスバンドによって目覚めることはできたが、もう次はない、のだ。
ならば、生きているうちに、自分の命は使いたい人のために使う――
成層圏には、何らかの異常で機能停止したアイギスミサイルが浮かんだままだ。
それは、もともと宇宙菌類ネットワークを調べるために、大量のナノ・マシンを積んで打ち上げたものだった。
しかも、なんという偶然か、地球への帰還地点は、無人で被害が出ず分かりやすいという観点から、広大な平原の中に存在する窪み、ドッホエーベ荒野、つまりアキオの戦場だったのだ。
ピン、と音がなって、発射前のオートチェックが終了する。
「行きます」
そういうとカマラは、躊躇せず離陸のボタンを押した。
東屋の横に空いた四角い穴から垂直に飛び出したカイテンは、宇宙を目指して駆け上っていく。
かなり強い加速度がかかり、数値をみると20Gだった。
その程度なら、ナノ強化で、何とか耐えられる。
かつてアキオは、爆縮弾の爆発から逃れるために出した、30Gを上回る加速度で内臓をいくつも破壊したと聞いているが、それほど酷くはない。
それでも、内臓が下に引っ張られ、食いしばった歯の間から思わずうめき声が漏れる。
だが、苦しかったのは、数分のことだった。
すぐに、Gは弱まり、カマラはコンソールでカイテンの位置を確認した。
予定通りのコースを進んでいる。
ピピ、とディスプレイに赤い文字が表示された。
このまま飛び続けると、帰還のための燃料が足りなくなる、という警告だ。
カマラはそれを無視する。
片道切符なのは最初から覚悟の上だ。
アキオに、数千億の援軍を送り届けるために、彼女は命をかけたのだ。
それに――カマラは可愛く微笑む。
ミーナは言っていた、恋はいつでも片道切符だと……
待つほどもなく、眼前に太陽の光に銀色に輝くアイギスミサイルが見えてきた。
カマラは、残り少ない燃料を使って、丁寧にミサイルに近づく。
「見た感じ、ひどく損傷はしていないようね」
カイテンを、アイギスのすぐ近くに寄せると、そういって魔女の帽子を被って、全身にナノ・コクーンを展開した。
コフィンの蓋を開ける。
一瞬で内部の空気が抜け、カマラはその勢いに乗ってアイギスミサイルにとりついた。
その間、少女は完全に無呼吸だ。
彼女は、一切の予備酸素を持って来ていない。
生還を考えないカマラは、カイテンを出たあと、アイギスを押し出して、荒野に帰還させるきっかけを与える間だけ、行動できればよいのだ。
もちろん、ナノ・マシンが体内にいる彼女は、数分で窒息することはない。
全身をぴったりと取り囲むナノ・コクーンは透明なため、外からは純白の帽子とコートだけを身に着けて作業しているように見える。
ミサイルの胴体部を開け、パネルに触れて、その表示を見たカマラの表情が曇った。
とりあえず、内部のナノ・マシンは無事だった。
調査のために、なるべく多くのナノ・マシンの散布が必要だと考えたので、最大増殖に設定してあった結果、タンク内には予想以上のナノ・マシンが存在している。
だが、アイギスの自動姿勢制御回路は、小型の隕石が当たって、完全に破壊されていた。
すぐに修理はできそうもないし、その時間もない。
いいわ――
カマラは、心のなかでそう呟くと、指をそろえて左腕をミサイルの胴体に突き刺し、身体を固定した。
空いた方の彼女の手がコンソールで踊り、アイギスはゆっくりと地球に向かって降下し始める。
こうやって手動で操作してやればいい。
姿勢制御自体は使えるから、できるかぎり長く操作をして、帰還ポイントであるドッホエーベ荒野へ向けて降下させればよいだろう。
もちろん、大気圏との摩擦熱があるから、彼女は最後までミサイルと共にいることはできない。
その前に燃え尽きてしまうだろう。
それは仕方ない――
徐々に落下速度が上がり、カマラの身体が熱を持ち始めた。
――わたしの身体は、コクーンで包まれているから、なかなか燃え尽きないでしょうね。
アイギスを操作しながら、少女は、ぼんやりと考える。
――地上から見たら、長く光る流れ星に見えるのかしら。
カマラの脳裏に、不意にみんなで入った風呂での会話が蘇った。
「この世界でも、流れ星には願いをかけるものなのですか」
アルメデが皆に聞いていた。
カマラは知らなかったが、流れ星には願い事をするものだという。
少女の顔に微笑みが広がる。
――だったら、長く光るわたしの流れ星に、ひとりでも多くの人が願い事をしてくれればいいな……
やがて、速度が上がり、全身が高熱を帯びて光りだした。
カマラは、強い気持ちで、祈るように叫ぶ。
「アキオ、アキオ、アキオ。世界をくれてありがとう。あなたに友軍を届けるわ。受け取って!そしてあなたは――生きて、幸せになって……わたしの――」
少女の言葉はそこで途切れ、あとには眩いばかりの光だけが残った――