029.英雄
アキオはユイノを見る。
倒れたままだが、胸の動きから呼吸はしているようだ。
雷撃を受けていない彼女の肉体は、すでにナノ・マシンによって速やかに修復が開始されているはずだ。
「――」
続いて、少女たちをねらって繰り出されるゴランの攻撃を避け、アキオは、2人を抱いて横っ飛びに飛んだ。
怪我はともかく、殺させるわけにはいかない。
それに、なぜかは分からないが、傷だらけの少女たちに、これ以上の苦痛を与えたくなかった。
普段は死ななければいいが、アキオの行動指針のはずなのだが。
空中で体を入れ替えて、自ら下になり地面との衝撃から少女たちを守る。
現時点で、常人の体力しかないアキオの体は激しく悲鳴を上げた。
まだか――
視線を向けるナノ・マシン・コントローラーのアーム・バンドはブラック・アウトしたままだ。
さらに追撃を加えるゴランから逃れ、再びふたりを抱えて飛んだ。
空中で、少女たちの水色と金色の瞳と目があう。アキオを見つめている。
危ない――
背中で着地した瞬間を狙って、もう一体のゴランがパンチを繰り出した。
アキオは、体を入れ替えて、ふたりの上で四つん這いになり、ゴランの拳を背で受け止める。
「ごは!」
複数の骨が折れる音が不気味に響き、盛大に血を吐く。
「汚してすまない」
アキオの血を顔に浴びる少女たちに詫びる。
もう一撃、今度は横腹に足蹴りを食らう。
さすがにこれには耐えられず、再び血を吐きながら少女から引き離され、数メートル吹っ飛んだ。
もう折れていない骨を見つける方が難しい状態だろう。
アキオの目に、2体のゴランが少女を一人ずつ掴んで持ち上げるのが映った。
気を失ったのか、生きる気力を失くしたのか、少女たちは壊れた人形のようになすがままだ。
駄目だ、駄目だ、ダメだ――
アキオは、ゴキゴキと不気味な音を立てながら腕を曲げ、アーム・バンドを見た。
その瞬間、ディスプレイに光が走り、ピンという再起動の音が響く。
画面をタップしようとし、左腕が動かないことに気づいたアキオは、血を吐きながら言った。
「音声入力モード・オン」
気が遠くなりながら続ける。
「NMC起動!」
ディスプレイに『了承』の文字が浮かび、コートの上に装着したエクストラ・パックから数本のパイプが伸びてアキオの背に突き刺さり、灼熱の液体が流し込まれる。
心拍数が毎分500に跳ね上がり、流し込まれた高温の液体金属が瞬時に全身に行き渡った。
コンマ数秒で骨と筋肉が修復され、各部に流れ込んだ合金が浸透する。
加熱された液体金属と生体組織のナノ・マシンによる融合、それがNMCの本質だ。持続時間は短いが、通常の身体強化の10倍近いパフォーマンスを発揮する。
アキオは跳ね起きた。
すさまじい速さで地面に穴を穿ちながら走り、流れるように宙に跳ぶ。
残像の残る速さでゴランの心臓を蹴り抜いて腕に跳ね飛び、すでに金属で銀色にコーティングされた右腕で、少女をつかんだ魔獣の手首を切断した。
手首から離れる少女の胴体をしっかり捕まえ横抱きにし、洞窟の壁を蹴って、もう一体のゴランに向かって跳ねた。轟音とともに壁に爆発したような穴が残る。
銀の糸のような軌跡を残して、アキオは飛ぶ。
魔法を使っての反撃も一切できないまま、魔獣は合金強化した脛で頭を刈り取られた。
目から上をなくしたゴランが、血しぶきをあげながら倒れようとする。
魔獣の巨大な耳をつかんで方向転換したアキオは、もう一人の少女をつかんだ手首を切断して救出に成功した。
少女ふたりを両脇に抱え、柔らかく着地したアキオは、彼女たちをそっと地面に降ろして言う。
「怖がるな、もうすぐ終わる」
怖がるな、というのは、ゴランのことではない。
彼自身のことだ。
今のアキオは、NMC起動中の身だ。
自分が他者からどのように見えるかはわかっている。
おそらく髪の半分が銀色に合金化し、顔も半分以上は金属に覆われていることだろう。
つまるところ、化け物だ。
だが、少女たちは、意外にもはっきりと意志を示してうなずいた。
先ほどまでの死んだような目が嘘のようだ。
最後のゴランが逃げもせず襲い掛かると、アキオは跳ね跳んで全身をつかったパンチを魔獣の巨大な顔に見舞った。
ゴランの頭部は、レイル・ライフルで撃たれたかのように消失する。
すべての敵を倒したアキオは、呼吸を整え残心した。
パキパキと金属音が響き、アキオの体から金属が消えていく。
合金は、選択的に背中のハード・カプセルに戻されているのだ。
すでに電撃でナノ・マシンが死んでいる漆黒のコートは修復されないため、至るところ裂けて破れている。
「アキオ……」
通常の容姿に戻った彼に、ユイノが近づいて声をかけた。
心配そうに、上げた手をアキオに触れるかどうか迷っている。
彼の容貌の変化と殺傷能力が怖くなったのかもしれない。
「大丈夫か?」
先にアキオがたずねた。
手を握ってやる。
「ああ、ちょっと痛かったけど、すぐに治ったよ。もう今は何ともない」
ユイノは、ほっとしたように答える。
「そうか」
アキオは、舞姫の頭を撫で、
「ところで、あいつらはどうする」
彼女のナイフによって昏睡している魔法使い2人を示す。
「そうだねぇ」
「依頼は証人を残すな、だ」
「つまり、どっちにするか、だね。あたしたちがやるか、あの子たちがやるか」
「そうだ」
「聞いてみるよ」
「ユイノ」
アキオは、舞姫を呼び止め、ナノ・マシンの入ったスティック2本を渡す。
「一本ずつ飲ませてやってくれ。液体だから飲みやすいはずだ」
彼の持つすべてのナノ・マシンは再起動を完了している。
「わかったよ」
スティックを受け取ると、ユイノは、半身を起こし、手を取り合っている少女たちに近づいた。
一本ずつ渡し、優しい口調でやりとりをする。
アキオは、眠ったままの魔法使い2人を壁際に並べた。
懐中を探ったが、たいしたものは持っていない。
ユイノが近づいてくる。
「すごいねぇ、ナノクラフト。あっという間に傷が治ったよ。顔や体の汚れも消えるし」
そう言って、
「あとは心だね――やるってさ」
「わかった」
ユイノが探すと、彼女たちの服が見つかった。
ところどころ破れているが、なんとか着ることはできそうだ。
アキオは、魔法使いの体を支配するナノ・マシンに命じて、身体の自由を奪ったまま意識を取り戻させる。痛覚は2倍にした。
「英雄さま」
背後から、声をそろえて話しかけられ、振り返る。
服を身に着けた少女たちが立っていた。
ともに、16歳ぐらいの年頃で、ひとりがブルネット、もう一人がプラチナ・ブロンドの髪をしている。
どちらも整った顔立ちだ。
プラチナ・ブロンドの方がダンクの娘だろう。面影がある。
二人とも、急激なナノ・マシンによる肉体修復の影響を受けているようだった。
気分が少し高揚している。
そのせいか、先ほどまで銀の悪魔のような容姿をしていたはずのアキオを恐れていない。
「わたくしはミストラ・ガラリオと申します」
ブルネットの娘が言い、
「わたくしはヴァイユ・モイロと申します」
プラチナ・ブロンドの娘が言った。
家柄に触れないのは、現状では言いたくないからだろう。
アキオはうなずいて、魔法使いを示し、
「こいつらは、意識はあるが動けない。痛みは2倍にしてあるから好きにしろ」
という。
そのままユイノに任せ、自分は洞窟を出て、ゴランや野盗の危険がないか確認する。
しばらくして洞窟内部に戻ると、血まみれで焼け焦げた死体の前で、座り込んだ少女2人が抱きあって泣いていた。
どちらかは魔法が使えるようだ。
「おわったよ、アキオ」
ユイノが目を赤くして言う。
「では行くか。着く頃には馬車の改造も終わっているはずだ」
そういうと、アキオはナノ・マシンを操作して、少女たちを眠らせた。
ふたりはスイッチを切られたように倒れ込む。
アキオは、ついでに少女たちの脳内のエンドルフィン値を増加させておいた。
「寝かせた方が連れていきやすいからな」
「アキオ、あんたねぇ、一応断ったらどうなんだい?」
「面倒だ。ところで、盗賊は金目のものをもっていたか?」
アキオの言葉に、ため息をついてユイノが言う。
「あの子たちの服を探すときに調べたよ。金の袋がいくつかあったから、あたしのカバンに入れておいた」
「他には?」
「特にないね」
「では、ここを出よう。洞窟は焼く」
そう言って、アキオはゴランの傷口にナノ・マシンを数摘垂らしてアーム・バンドを操作する。
RG70を肩にかけ、P336をホルスターに戻した。
どちらも再起動が終了し、使用可能となっている。
ローブの男の死体に歩み寄り、キイの短剣を胸から抜くと男の服で拭ってからシースに挿した。
「さあ、行こう」
そういうと、身体強化を行い、ふたりの少女を両脇に抱え洞窟の出口へ向かう。
「1人はあたしが連れていくよ」
ユイノが言う。
「いいさ。荷物は両脇に抱えた方がバランスがいい」
「荷物ってねぇ……あの子たち、アキオのことを英雄だと思っているのに」
「誤解だな。迷惑だ」
「あんたって人は……」
走り始めてしばらく経つと、洞窟の方から轟音が響いた。
「あれは?」
ユイノが尋ねる。
「焼くといっただろう?依頼どおり、痕跡を消した」
「どうやったんだい?」
「ナノ・マシンでゴランの体を分解し、可燃性ガスを発生させ、頃合いを見て発火させた」
「魔獣を爆発させたのかい!」
「盗賊の死体より役に立ったな」
平然と言い放つアキオに、ユイノはやれやれ、といった顔になる。