276.月鬼
「は、離して――」
高い城の、本物のキルス宰相の眠る部屋に向かおうとして、エレベーターに乗ったとたんに左腕をつかまれたクルアハルカは、苦し気に叫んだ。
右手で、腕に食い込む指先をほどこうとする。
その拍子に、医師によって、正しい位置に嵌められた骨がずれたのか、激痛に襲われた。
うめき声をあげる。
「おい、そんなに暴れるな。せっかく治してやった骨がずれるだろう」
聞いたことのある声が耳元でして、ハルカは、あがくのを止め、声の主を見た。
「あ、なたは」
彼女を治療し、先ほど部屋を出て行った医者だった。
「どう、して」
激痛のために、言葉がうまく出てこない。
「あとを追われたくなければ、血を流しながら歩かないことだ」
軽い口調でそういって、医者は表情を引き締める。
「その身体でどこに行く。命じられた破壊工作を続けるつもりか」
「ち、がう。わた、しは、キル、ス宰相に命じられて、病気、になられたアル、メデさまの、身代わ、りを勤めていた――」
ハルカは途切れ途切れにいって、少量の血を吐いた。
「もういい、はやく病室に帰ろう。このままでは命にかかわる」
「だ、め。本物の、宰相、を助け、ないと……」
そういって、膝が崩れ、倒れこもうとするハルカを医者が支える。
「手伝って、宰相……が眠る、部屋へ連れて、行って。全て、は説明で……きない」
「君の話は嘘ばかりだな。宰相とはさっき会ったところだ」
「知ってる。話を……しているのを聞いた。でも……あれ、は偽物、カイネ、という少女。たぶ……ん、わたしの顔、を変えた、枯れ枝のように細い医者が、やった……手術」
初めて医者の顔色が変わった。
「枯れ枝のような医者――名前は、その医者の」
「知らない……」
「コラドといわなかったか」
激痛に耐えるハルカの脳裏に、顔を変える手術の直前に、宰相の言った言葉が蘇った。
(心配しなくてもいい、コラド・ドミニスは、性格は悪いが腕はいい――)
「あ、あ……そう。コラド、コラド・ドミニス」
医者はうなずいた。
「そうか。一応、君のいうことは信じよう。でも、一度病室に戻って、体調が回復してから――」
「だめ、時間……ない。キルス……死ぬ」
クルアハルカは、必死に男の切れ長の目を見つめた。
「わかった。行こう。何階だ?」
「125……階」
男が操作し、エレベーターは上昇し始める。
「コラド・ドミニスは、わたしの従兄弟だ。わたしは、ルイス・ドミニスという」
「わた、しは、クルア……ハルカ。クルアハルカ・フロッサール」
「フロッサール?フロッサール王の……」
「む、娘。婚外子だ、けど。母は、月鬼姫――」
少しでも男の信用を勝ち取ろうと、ハルカは、苦しい息にあえぎながら身の上を明かす。
「月鬼姫――3月傭兵団の」
「そう、だ」
「彼女には、わが一族が助けられたことがある。君は彼女の娘なのか」
男は複雑な表情で彼女を見た。
ハルカはうなずく。
ポン、と軽い音が響いて扉が開く。
「125階だ。急ごう」
男は、彼女を抱きかかえるようにして、通路を歩きだす。
何人か衛士らしき男とすれ違ったが、入院服を来たハルカを抱える、白衣に身を包むルイスに疑惑の眼を向ける者はいなかった。
「ここか」
ハルカの予想どおり、すでに死亡したと思われているキルスの部屋は無人だった。
扉にロックも掛かっていない。
ルイスがパネルに手を触れると、あっさりと扉が開いた。
「あ、れ」
ハルカが指をさす。
前に見たとおり、巨大な窓から差し込む明かりが逆行となって、その前の半分破壊されたカプセル・ケースが黒く浮かび上がっていた。
壁には彼女が撃たれた時に放たれた流れ弾の痕が、生々しく残っている。
「あの、中に、宰相が……」
ルイスが、カプセルに近づき、中を覗き込む。
「キルス宰相」
そこには両手と腹部から下を無くした宰相が静かに眠っていた。
「ああ、ここ、まで、再生されて……いた、のね」
おそらく、カイネはバイタル・サインでキルスの死を確信して、身体の下に敷かれたバッテリー・パックに気づかなかったのだろう。
ハルカはカプセルにもたれるように床に崩れ落ちた。
「しっかりしろ」
「信……じた?」
「ああ、君を信じる」
「よか……た」
そういって、一度目を閉じたクルアハルカは、途切れ途切れに、キルスの再生方法を医者に伝える。
「わかった、すぐにやる。君は、病室へ――」
「ダ……メ。意識が戻った宰相に、すぐに、伝え、ることが……ある、の」
「ああ、仕方がない」
ルイスは軽くカールした髪の毛を掻くと、
「君への点滴と宰相のための道具を持ってくる。君はここにいるんだ」
かろうじてうなずくと、ハルカは気を失った。
次に彼女が目覚めたのは、顔にかかった髪を、指先でのけて整えられるのを感じたからだ。
目を開けると、ルイスが顔を覗き込んでいた。
「目が覚めたかい」
彼女は部屋に置かれた移動寝台に寝かされていた。
腕には点滴の針が刺さっている。
「キルス宰相は?」
声を出すと激痛が走るが、気絶する前より話しやすくなっている。
「無理はするな。もう一度、骨の位置を戻して、仮固定して、開いた傷口を縫い合わせたんだ――宰相は、順調に……いや、どういったらいいのか、欠損した体が、栄養と熱でどんどん再生するなんて、医者としては信じられないんだが……とにかく、宰相の身体は治りつつある」
「どれぐらい、時間が経ったの」
「12時間半だ」
壁の時計を見たルイスが答える。
ハルカの心臓が高鳴った。
もう少しで、宰相が意識を回復されるはず。
そうしたら、本当はカイネに話すはずだった事情説明を宰相自身に行うのだ。
ハルカの脳裏に、投げやりなカイネの言葉が蘇る。
(何もかも終わった――)
そして、アルメデ女王は、こうも言っていた。
あの子は、とんでもない暴走をするかもしれない、と
クルアハルカは、嫌な胸騒ぎを覚える。
「宰相……カイネはまだ帰ってこない?」
「それが、調べてみると、まだこの国に居られるらしい。西の国で行われている演習の視察に行くといっておられたが、宰相専用機がデッキに停まったままだから、まだ出発はされていないはずだ」
その時、部屋の明かりが落ちて、天井付近に着けられた非常用警告灯が点滅し始めた。
「何が始まったの」
「わからない。だが、この状態が普通でないのは確かだな」
ルイスは明滅するライトを見ながら陰気な声で答える。




