232.階層
単独でデータ・キューブを取り戻す。
ジーナ城で、そのアキオの決意を知っている者が二人だけいた。
一人は、白い壁の通りを覆う鮮やかな青い紙の花の下、しっかりとアキオの胸に抱きしめられ、黒紫色の髪が彼の額に当たった少女。
そして、もう一人は――
――オキロ、オキ、ロ
言葉にならない意思の塊が、幾度も彼女の頬を叩いて少女は目を覚ました。
眼を開けると、暗闇の中に恋月草が暗く明るく明滅しているのが見える。
――オキタ、カ
「なんじゃ」
そういって、シミュラが身体を起こすと、彼女に乗っていたシジマの手がベッドに落ちた。
はっとして時計を見る。
時刻は深夜を少し回っていた。
――コッチ
枕もとの恋月草が明滅すると、言葉と共にイメージが浮かぶ。
「おぬし――」
シミュラは躊躇しなかった。
ベッドから飛び降りると、廊下を走って自室に飛び込み、戸棚の下に用意しておいた装備を取り出し、肩にかける。
そのまま、開けたままの窓から外へ飛び出した。
窓枠をつかんだ腕を伸ばして、4階下の地面に降りて走り出す。
岸壁近くに建つ瀟洒な建物の扉を開けて中に入った。
「おぬしか。わたしを呼んだのは」
彼女は、眼前に立つ巨大なケルビを見つめて尋ねた。
――ソウダ
言葉以前の、意思のイメージが、彼女の前に立つラピィから発せられた。
――オマエイク、ワタシモイク
「知っておったのか」
そのとたん、ラピィから、思考の塊のようなものがシミュラに浴びせられ、同時にシミュラの思考もケルビに流れて、彼女たちはお互いに経緯を理解した。
ケルビは、アキオが連日のように彼女に触れることを通じて、彼の計画を読み取っていたのだった。
いつ意識を失うかわからない少女たちを、戦いに巻き込まないために、アキオは計画を隠している――
彼女は、単独でアキオを助けようと考えた。
だが、ラピィにはひとつ問題があった。
それを解決するために、アキオの少女たちの中で、ただ一人感応能力のある魔女に話しかけることにしたのだ。
シミュラも、紙祭りでアキオに抱きしめられた時に計画を知った。
アキオを手助けできるのは、キラル症候群に罹っていない自分とアルメデだけだが、女王はまだ体調が万全ではない。
だから、彼女は、自分ひとりでアキオについていこうと考え、その用意を整えていた。
しかし――
まさか、アキオが部屋に来て、睡眠ガスを浴びせるとは思っていなかった。
とっさのことで、かろうじて8割がたは防御したが、残り2割ですっかり寝込んでしまった。
よくぞ、ラピィが起こしてくれたものだ。
「それで、わたしを呼んだのは」
再びラピィから思考が発せられ、扉の向こうの庭園が、紫の光で満たされる。
恋月草が思考に呼応して発光しているのだ。
「わかったよ」
そういって、シミュラは、隣に建つ馬車庫にラピィを連れて行くと、庫内にいくつか並んだ馬車のひとつ、製作者のキィとシジマによると、地球語で戦闘馬車と呼ばれる、銀の光沢をした小型の馬車のハーネスをラピィに取り付けた。
ケルビは、自分で馬車を取りつけることはできないからだ。
作業をしながら、少女はラピィを見つめる。
これまでも、ケルビには、人間の考えている以上の知能があるのではないかという意見はあった。
だが、あまりに従順なケルビの姿に、そういった考えは、その都度否定されてきたのだ。
人の思考を読み取れるシェイプ・シフターであるシミュラは、ラピィに知性があることは感じていたが、これほど高い知能を持ち、まして意思疎通ができる存在であるとは思っていなかった。
「さあ、終った。おぬしは、これでアキオを助けるつもりじゃな」
戦闘馬車は、各種武器を装備しているが、それをケルビであるラピィが操作することはできない。
あくまで、乗り手によって操作してもらわなければならないのだ。
彼女は、この武器の塊を、アキオの許に届けようとしている。
ラピイから肯定の思念が届く。
「場所はわかるか」
シミュラが尋ねると、続けてラピィが答えた。
大陸中に散らばったケルビからの情報で、すでに場所はわかっているらしい。
「分かっておると思うが、目的地は遠いぞ。わたしは噴射杖で飛んでいくつもりだが――」
噴射杖は、かつてアキオが、マクスであったシジマを助けるために使った小型ロケットの改良タイプだ。
「ジーナ城の位置を見つけられてはならんからな。城から離れた場所から飛ぼうと思う。しばらくおぬしの馬車に乗せてもらうが構わんか」
彼女の問いに、ラピイは肯定の意思を返してくる。
その後、しばらくして――
ふたりはアキオの後を追って、森を猛スピードで駆けていた。
「ケルビとは、これほどの速さで走ることができる生き物なのか」
高速で流れ去る、深夜の森の景色を見ながら、シミュラは呆れたように言った。
戦闘馬車は、シジマの開発した高速可変ナノ・サスペンションによって、かなりの悪路でも安定した走行を保つことができている。
魔女の言葉を聞きながら、ラピィは、かつてない解放感で気持ちが高揚していた。
自分の命が、それほど長くないことはわかっている。
次に意識を失えば、おそらく、そのまま死んでしまうだろう。
寿命の六分の一しか生きていない身ではあるが、彼女は幸せだった。
共に生きるに足る存在と出会え、そしてその者のために、命を使うことができるのだから。
「わたしは、もうすぐ飛ぶが、おぬしは間に合うのか」
魔女の言葉に、彼女は、ケルビの秘密を明かした。
ケルビは、彼女たちの創造主、ドラッド・ジュノスから解放された際に、彼らなりのルールをひとつ作った。
それは、ケルビの思考を統括する一体を選び、できる限り、そのものの指示に従う、というものだ。
もちろん、それは命令ではない。
独立独歩、卓楽不羈のケルビにとって、命令など意味はないし、出す必要もないのだ。
よって、これまで数千年、ただの一度も発令されたことはなかった。
ラピィは――偶々に過ぎないが、数年前に、その思考統括体の地位を譲り受けていた。
彼女が、選ばれた血統であったからではない。
そんな思考自体、ケルビには存在しない。
単に、持ち回りの役が回ってきただけで、彼女にしても、そんな役には、何の意味も感じていなかった。
おそらく行使しても、誰も彼女には従わないし、使う必要もない。
ケルビとはそういうものなのだ。
しかし――
彼女は、今、初めて――おそらくケルビの長い歴史を通して最初の命令を発令しようとしていた。
何体のケルビが応じてくれるか分からないが、やってみる価値はある。
仲間のケルビに、アキオを助ける手伝いをしてもらうのだ。
「驚いたのう」
彼女の思考を受けて、シェイプ・シフターがつぶやいた。
「おぬしまでが、ケルビの女王であったとは――アキオには、王を惹きつける何かがあるのかもしれぬな」
シミュラの言葉に、わたしは王ではない、とラピィは答え、走るのをやめた。
しばらくの間、心を閉じるように、との思考を送ってくる。
慌てて黒紫色の魔女が、概念上の耳を塞いだ途端――
爆発的な思念が、眼前の巨大なケルビから発せられ、危うく彼女は意識を持っていかれそうになった。
同時に――
馬車を中心として、同心円状に、森の植物、樹々が、爆発したように発光し、その輪が波のように遥か彼方に広がっていく。
おそらく――
その様子を見ながらシミュラは思った。
信じられないことに、ケルビは植物を介した、生体波動を用いて遠距離の仲間と会話を行っているのだろう。
そして、彼らの女王たるラピィの波動は、強すぎて、近くの植物がそれを受けきれずに、爆散、発光しつつも、命にかえて遠方へそれを伝播させているのだ。
正しくこの世界の階層構造の頂点にふさわしい行いだった。
消えていく光の輪を見ながら、シェイプ・シフターは、真の意味での、この星の支配者が誰であるかを思い知ったのだった。
------------------------------------------------------------------
作品掲載途中で作者が顔を見せるのは、無粋以外のなにものでもないと分かっていますが、少しだけ書かせてください。
この作品も、あと2章で終章となります。
まあ、章自体が自分の中で勝手に区切っているだけなので、話数としては何話になるでしょうか。
それほど多くはないと思います。
実は、この作品で最初に浮かんだイメージが、これから始まる戦闘シーンでした。
これまで書いて来た230話余のエピソードは、すべて、そこに至るまでの道程です。
つまり、この物語は、最後がどうなるか最初から決まっている話であったわけです。
我々の人生の終焉が、その個体死であるように――
昨年の11月以来、227日間、毎日更新を続けてきましたが、終章に近づくにつれ、そのペースを維持できなくなってきました。
なるべく、連日更新をしようと思っていますが、少し間があいても、どうか見捨てずに最後まで読んでやってください。




