231.開幕
風呂から上がり、自室に戻ったアキオは、壁際に置かれた書架の上から、書簡筒を取り出した。
明かりをつけず、月明かりの下で蓋を開け、中から文を取り出して読み直す。
そこには、簡潔な地球語で、西の国の東の果てにある王家別邸エルデ荘までカマラとユスラを連れて来いと書いてあった。
日付は、明日の正午だ。
少女たちと交換に、データ・キューブを渡すともある。
アキオはしばらく書面を見つめていたが、くるくると紙を丸めると筒に入れ蓋をした。
ベッドサイドの隠し函にしまって、鍵を掛ける。
ナノ・マシン制御と同じ暗号化を使うキャビネットを、破壊せずに開けることは不可能だ。
これで、ミーナを始め、城内でこの書簡を目にする者はいなくなった。
部屋にノックの音が響き、扉を開けて、ピアノとユスラが入って来る。
「お邪魔します」
未明、ふたりの少女に絡みつかれたアキオは、静かに体を起こした。
彼の胴に腕を回して抱きしめているピアノが、眠ったまま起き上がる。
アキオは微笑んで、頭もとに置いたアームバンドに右手を伸ばそうとし――
ユスラがしっかりと彼の手を胸に抱きこんで離そうとしないのを見て、左手を伸ばした。
バンドの表示を切り替えて、少女たちのバイタルを確認し、彼女たち全員の眠りを強制的に深くして、朝まで目覚めないようにした。
ミーナは、昼に続いて、三か月に一度の、レベルを一段階上げた自己診断を行っているはずなので、朝まで意識は戻らないだろう。
アキオは、ユスラの胸から腕を抜き、苦労して絡められた足から抜け出すと、ピアノの腕をほどいてベッドから降りた。
無意識に追いかけようとするピアノの肩を押さえて頭を撫でてやる。
何か優し気な言葉をつぶやいて、再びベッドに身体を沈める少女たちにシーツをかけた。
アキオは、穏やかな少女たちの美しい寝顔を飽かず眺める――
ついで彼は、窓から月光に照らされる庭園に目をやり、洞窟内を流れる風に揺れる恋月草の淡い紫の光を見た。
シュテラ・ナマドで書簡を渡されたアキオは、複数の街を回って、情報を入手した。
かなりの人数を痛めつけ、建造物を破壊したが、その甲斐あって、敵の概要をつかむことができたのだ。
相手は、サンクトレイカ、西の国そしてニューメアの連合体だった。
サンクトレイカ女王ルミレシアは、ユスラを亡き者にしたがっている。
西の国のメキア女王は、北圏に閉じ込めていたカマラを――おそらく彼女の身体を欲しがっている。
理由はわからないが、痛めつけた複数の西の国の貴族が口にした、王女病という病が関係しているのかもしれない。
そして、ニューメア――一番やっかいな国だ。
ただでさえ地球並の科学力と兵器を持っている上に、支配者が個人的に彼を激しく憎んでいる。
アキオは、冷ややかな目で彼を見ていた少女の顔を思い出した。
アルメデの話では、彼女は、愛する男を次元孔で亡くし、それを彼がやったと思いこんでいるらしい。
爆縮弾の攻撃もそれが遠因のようだった。
憎まれることには慣れているし、誤解にも慣れている。
しかし、だからといって、このまま殺される気は毛頭ない。
敵は、マクス=シジマの身体から内臓を抜き取ってC6爆弾を詰め込んだ奴らだ。
どのみち許すつもりはない。
敵も、彼があっさりと、少女ふたりを連れて来るとは思っていないだろう。
罠であることはわかっている。
口を割らせた貴族の話では、敵は兵力を集結しているようだ。
そうであれば、罠にかかったふりをして、それを噛み破り、反転攻勢に出て、敵に大ダメージを与えるのが彼のやり方だ。
ここ数日、ミーナや少女たちに隠して用意は進めてある。
今夜未明に、城を出て指定の場所まで行く予定だ。
もちろん、単独行で――
少女たちの大部分は、いつ意識が途切れてもおかしくないほど、キラル症候群の症状が進んでいる。
シジマのように、もう数度発作を起こし、次に大きな脳波停止が起こったら、二度と意識が戻らないと思われる少女もいた。
残された時間は少ないのだ。
しかし、希望はある。
かつてカヅマ博士が、彼女のために見つけ出した、あの手法さえわかれば、キラル症候群治療に応用できるはずだ。
――敵は本気で彼を倒す準備をしているようだ。
明日は、厳しい戦いになるだろう。
だが、悲壮な決意も、決死の心持も、彼とは無縁だ。
いつものように散歩にでも出るように戦いに出かけ、お土産のようにデータ・キューブをもって帰るつもりでいる。
彼は己の手を見た。
青白い月明かりに浮かぶのは、過去に万を超える人を殺してきた手だ。
見る者が見れば血にまみれているだろう。
だが――
できるなら殺したくない、などという甘い思考は、戦闘前の彼の頭にはない。
どんな善良で愛らしい人間でも、敵に銃口を向け引き金を引けば、相手を殺すことができるからだ。
初めは衝撃を受け、吐き、後悔にさいなまれるだろう。
だが、やがては、死にたくない、という生存本能がそれらを凌駕し、上官の命令に従って半自動的に敵を撃つようになる。
事実、そうやって歴戦の兵士は作られていくのだ。
その心の動きは理解できないが、アキオは長きにわたってその様子を見てきた。
それが戦争というものだ。
良い敵も悪い敵もいない。
生きている敵と死んだ敵がいるだけだ。
アキオはもう一度、ピアノとユスラの頬に触れると部屋を出た。
なぜか――
ふと、そんな気になって、アキオは、初めて少女たちの部屋を巡って、彼女たちの寝顔に触れて回る。
ミストラとカマラは、同室のそれぞれのベッドで静かに寝ていた。
ミストラの頬に手を当てると、少女は穏やかに微笑んだ。
カマラの髪に指を入れると、少女は無意識にか、彼の手を掴んで胸元に抱きしめようとする。
アキオは少女の胸から手を抜くと、銀色の髪を整えてやった。
彼は、自分がカマラによって守られたことを忘れてはいない。
彼が世界に連れだした少女は必ず自分が守るのだ。
ユイノとシミュラは話をしたまま眠りこんだのか、一つのベッドで絡まるように寝ていた。
枕もとに置かれた恋月草のほのかな光で、ベッドに広がる赤と黒紫色の髪がシーツの上で美しいグラデーションを作っている。
ナノ・マシンを持たないシミュラが、彼が頬に触れると目を覚まそうとしたのでアームバンドから睡眠ガスを出して眠らせた。
ヴァイユとシジマも一つのベッドで寝ている。
それをみてアキオが微笑んだ。
二人が、寝る前にどんな話をしているのか、彼には想像がつかない。
最後の部屋では、アルメデとキィが、やはりひとつのベッドで、頭をつけ合って寝ていた。
アキオは、穏やかな寝息を立てる二人の美少女の寝顔を見つめる。
こうして見ていても、二人が同じ容姿をしているとは、彼には思えない。
キイが、アルメデのデータをもとに作られたことは間違いがない。
彼がそうしたのだ。
だが、こうして、腰まで届く長髪のキィと、顔の輪郭を覆うだけの短髪のアルメデが並んで眠る姿を見ても、どちらも美しい別な生き物としか彼には思えない。
今度――城に帰ったら、ゆっくりとそのことについて二人と話そう、そう考えて彼は額を少女たちの頭に当てると、部屋を出た。
研究室に向かう。
ミーナや少女たちに見つからないように実験台の下に隠した装備を取り出す。
かつてない完全な戦闘装備だ。
よって、あらかじめつけられたセット名は存在しない。
だから、彼は仮にCSOと呼んでいた。
完全装着すると250キロを超える装備を担いで、彼は階段を降り庭に出た。
歩くたびに地中にめり込む足跡をつけながら、洞窟入口横の納屋に入る。
そこには、シジマが少女たちの要望で作ったCB750FOURと、パニガーレ9改のレプリカが収めてあった。
アキオはパニガーレの、生物的な流線型に拡張されたキャリアに装備を積んだ。
しっかり固定する。
乗り心地でいえばCBも捨てがたいが、ガソリンエンジンでは、速度も燃料も、したがって航続距離も限界があるからだ。
さらにパニガーレは、シジマの趣味が大幅に盛り込まれた特別仕様車となっているので、今回のような戦闘には向いてるだろう。
アキオは、二輪を押して洞窟を出た。
セイテンを使わないのは、万が一にもジーナ城の位置を特定されないようにだ。
これから、彼はサンクトレイカ北部の森林地帯を走って西の国に向かうつもりだった。
地表を行く限り、ナノ・コーティングされた二輪は、レーダーで探知されない。
ある程度、城から離れた時点で、街道を走り始めてもよいだろう。
アキオは、パニガーレを押して森林の中を走り始めた。
しばらく走った後で、押しがけの要領で、シートに飛び乗ってスターター・ボタンを押す。
超電導モーターが鋭い唸りを発し、パニガーレは一瞬、悍馬のように前輪を持ちあげ、凄まじい速度で走り始めた。
アキオはナノ・コートのフードを被り、硬化させて、空気抵抗軽減のヘルメット代わりにし、森の中を駆けていく。
だが――
その背後を、ふたつの影が追いかけていることに彼は気づいてはいなかった――




