022.椿姫
「中に入れてもらえるかい?」
アキオを見上げながら踊子が言った。
小麦色の肌に、切れ上がった青い目が際立つ美しい生き物だ。
「ダンクがあんたの相手をしろってさ」
単刀直入にそう続ける。
彼女の言葉で、アキオはダンクの意味ありげな表情を思い出した。
おそらく彼はアキオが女を欲しがっていると思ったのだろう。
「必要ないから帰ってくれ」
「そんなことをしたら仕事を干されちまう。踊れなくなったら困るんだよ。お願いだよ」
必死に言いつのる。
赤い髪が揺れて、吸い込まれそうに大きな青い目がアキオをにらんだ。
「君はダンサーだろう。娼婦じゃない」
「ダンクが、あんたがずっと踊るあたしのことを見てたって。だから、あたしが指名されたんだよ」
となりの部屋の扉が薄く開いて、こちらを見る。
「とにかく、中に入れておくれ。恥ずかしいよ」
仕方なく、アキオは彼女を部屋に招きいれた。
備え付けの椅子に座らせ、自分はベッドに腰掛ける。
ただ椅子に座るという動作だけでも、彼女の動きにはリズムがあった。
長い脚を綺麗にそろえ、その上に形の良い手を乗せてアキオを見る。
「ありがとう、これで明日も踊れるよ。ああ、言い忘れたけど、あたしはカメリア」
「知っている。俺はアキオだ」
「ありがとう、アキオさん」
「アキオでいい」
カメリアはうなずくと、酒を机において立ち上がり、服を脱ぎ始めた。
そこに踊り子らしい、男の目を意識した仕草はない。
水浴びでもするかのようなあっさりした脱ぎ方だ。
アキオはそれを手で制止する。
「それはいい」
「でも……困るんだよ」
「明日、ダンクには、君が最高だったと言っておくさ」
「そう……ならいいけど。やっぱりこんなオバさんじゃ嫌だよね、年上すぎるもんね」
いや、君が生まれた頃には、俺は研究所で光子実験を始めていたよ、とも言えず、アキオはかぶりを振った。
「君は若いさ。それに年上でもない」
「あはは、何言ってんだい」
カメリアは吹き出した。
「あんたは、見たところ、まだ25、6だろ。あたしの方が10は上さ。ダンクが、あんたがあたしの踊りをじっと見てたっていうから、てっきり……」
「それは本当だ。君のダンスは美しい。素晴らしい。動きが妖艶でいて清潔感がある。他のダンサーのように媚を売っていない。おそらく、踊りに対する意識が違うんだな」
アキオは言った。
途中から独り言のようになったのだが、それを聞いたカメリアは喜ぶ。
「ありがとう、なんか難しいけど、とにかくほめてくれてるのはわかったよ」
「それに、本当に君はまだ若いんだ、カメリア」
「ユイノ。あたしの本名さ。ユイノって呼んどくれ」
彼女には家名がないらしい。地方の貧しい村では、家名がないのが一般的だとキイがいっていたのを思い出す。
「わかったよ、ユイノ」
「嬉しいね、アキオ」
この時になって、ユイノは初めてニッコリ微笑んだ。
その表情に、彼は胸を衝かれる。
今のユイノが、ステージ上の舞姫と別人に見えたからだ。
目の前のユイノが美しくない、というわけではない。
小柄ながら健やかに伸びた小麦色の手足とメリハリのある体、大きな目と形の良い唇――歯切れのいい、少し蓮っ葉な話し方も、顔に威勢のよい言葉がポンポン当たるようで心地よい。
そう、今のユイノは母の故郷でいう、可愛く美しい「おきゃん」な女性だった。
だが、アキオの目撃した舞台上の彼女は、優しく荒々しく神々しい『何か』だった。
(つまり、それがダンサーという生き物なのだ、舞台の上で別の生き物になる――)
アキオが感慨にふけっていると、自分の服を見て、あちこちを整え、引っ張っていたユイノが言った。
「野暮ったい恰好でごめんね。ステージ衣装以外、あたしはこんな服しかもってないんだ」
そう言って、再び服のボタンをはずし始める。
「やめてくれ、それはいい、それはいいんだ。そうだ、話をしよう。君が持ってきてくれた酒を飲みながら」
繰り返すやりとりが面倒になってきたアキオは、早めにユイノを酔いつぶそうと考えて、そう言った。
「すると西の国では、魔獣が増えて困っているんだな」
テーブルに置かれたユイノのカップに酒を注ぎながらアキオは言う。
「ああ、西から来たダンサー仲間がそう言ってたよ。だから、新しく傭兵を雇う話もあるらしいんだ」
カップを傾けながら、ユイノが話す。
様々な街を流れながら、物を売って回る商人やダンスを披露して回るダンサーたちは、この情報網不備の世界では得難いニュースソースだ。
「あそこは立派な軍隊があるはずだから、魔獣ぐらいで人手が足りないなんてことはないはずなんだがね。若いころは、よく踊りにいったけど、15年前の騒ぎ以来、あの国も堅苦しい国になっちまったから、今のあの国の様子は、あたしはよく知らないんだよ」
アキオはキイの言葉を思い出す。
「世継ぎ問題でおかしくなったんだな」
「そうそう、あれで王様も殺されたんだよね。こう見えても、わたしは前の王様たちには気に入られてね。王の弟からは夜伽の相手をしろと申し付けられたりしたもんだよ。もちろん仮病を使って断ったけどね。その頃の西の国は、今と違って何もかもが穏やかだったから、そんな逃げ方も通用したのさ」
「今の王は厳しいんだろう」
「今は、女王だよ。さっき言った前王の弟の娘さ」
「若いのか」
「17とか18じゃないかな。大変だろうね。13歳の頃から女王なんだよ。父親が摂政をやってるから問題はないそうだけど」
「そうか」
アキオは、酒瓶を振って半分以上ユイノが飲んだことを確かめる。
さっき、アキオも少し飲んでみて度数を確認した。何という名前かは知らないが果実由来の強い酒だ。蒸留酒並みにアルコール度数は50%以上ある。
「他に何かあるか?」
さらに彼女のカップに酒を注ぎながら、アキオは言う。
「どんな話が聞きたい?」
「そうだな――」
何気なくアキオが尋ねる。
「例えば、空から落ちてきた何か、の話とかだな」
「ああ――」
ユイノが、ぱん、と手を叩いた。
ダンサーのクラップ・ハンズだけに、やたらと部屋に響く。
「それなら聞いたよ。一昨日、エストラからやってきた娘から。いや、逃げてきたっていうのが正解かな。あそこはあたしたちダンサーでも滅多に入り込めないし、入ったら入ったで、中はひどいっていうからね。よっぽど怖かったのか、その子はもう大陸の反対側の、西の国へ行っちゃたけどさ」
「本当に聞いたのか?」
肩をつかんで、顔を近づけるアキオに、ユイノは酒で赤くなった頬をさらに染める。
アキオはユイノの瞳をのぞき込むようにした。
巴旦杏型の目の瞳は揺れておらず、酔ってはいるが、酩酊して適当なことを言っているのではないらしい。
「続けてくれ」
「2週間ほど前に、国境のマソノ村の端の森に空から火の玉が降って来たって。地面にあいた穴から四角い箱が見つかって、それを何とかいう領主がエストラの王様に献上したって話さ」
(落下した時期もほぼ合っている。おそらくそれはキューブだ)
「ありがとう!」
アキオは興奮してユイノの手を握った。
ついにキューブ回収の糸口を見つけたのだ。
王様への献上品なら、エストラの王城に行けば見つかるはずだ。
入国が面倒そうだが、入り込む方法は何かあるだろう。俺にはナノクラフトがある。
森の中を闇雲に探し回るより遥かに楽なはずだ。
そして……
キューブさえ見つかれば、また研究が続けられる。
さらに、この世界にある『魔法』が、アキオの研究の限界突破のきっかけになるかもしれない。
「い、痛いよ」
困ったようなユイノの声にアキオは我に返った。
知らぬ間に、彼女の手を締め上げていたようだ。
「ああ、すまない。今、君はすごく大切なことを教えてくれた――感謝する」
「本当に?」
ユイノが嬉しそうに言う。
「本当だ」
エストアは出入国がむつかしく、情報の出入りの少ない国らしい。
ダンサーだからこそ、そういった国に入り込み、結果的にキューブの情報をもたらしてくれたのだ。ユイノはそれを教えてくれた。おそらく、アキオがこの街でいくら調べても手に入らなかっただろう。
「じゃあ、お礼が欲しい!」
「いいとも」
「じゃあね――」
ユイノは、ふらつきながら立ち上がると、上着を抜いで薄布一枚になる。
(このくだりを何度繰り返すんだ?)
アキオは内心つぶやく。
すでに酒瓶は空になっていた。
ほとんどを彼女に飲ませたのだが、ユイノは酒に強いようで、まだ意識を失うところまではいっていない。
ベッドに腰掛けたアキオの隣に座ると抱きついてくる。
「アキオ……」
彼の耳に、果実の甘い香りの吐息が吹きかけられる。
アキオは体をかわすと、倒れ込むユイノをそのままベッドに寝かせた。
(さすがに、もうそろそろだろう)
思った通りに、ユイノは横になったとたんにスヤスヤと寝息を立て始めた。
ユイノの服の乱れを直し、上からシーツをかけてやる。
(やっと静かになってくれたな)
アキオは、メナム石のランタンを操作して明かりを落とし、開けた窓枠に横向きに腰を下ろして、枠木にもたれた。
巨大な3つの月を見上げ、キューブのことを考える。
また謎の国エストア王国への入国方法、情報入手方法なども模索する。
(結局は、まだデータ不足だな)
考えにふけっていると、いつの間にかベッドのユイノの寝息が止まっているのに気付いた。
意識を取り戻したようだ。
本当に酒に強い。まるでナノ・マシンが体内にいるみたいだ。
「ダンサーになって長いのか?」
ユイノが体を起こす前にアキオは尋ねた。
「もう20年近くになるね」
目を閉じたまま彼女が答える。
「家族は?いないのか?」
「気ままな独り暮らしさ。旅から旅への、ね。舞踊団と一緒に、いろんな街を渡りながら踊ってきた。ここ半年はこの街にいるけどさ」
「誰かと暮らそうとは思わなかったのか?」
今日の自分は何かおかしい。ユイノに尋ねながら、アキオは自分自身をそう感じていた。いつもの彼なら、滅多に他人の事情には踏み込まない。
「……」
ユイノは何も言わない。
アキオは月を見ている。
やがて、
「幼馴染がいたんだ」
ユイノがぽつんという。
「あたしたちの村は貧乏でね。もう村の名前も忘れたけど、その人は、子供のころから魔法使いになりたがっていた――」
「魔法使いになるには、イニシエーションを受けなければならないんだろう」
「そう、代々魔法使いの家系でないなら、都の魔法専門所に入って優秀な成績をおさめなけりゃならない。優秀ならば、そこでイニシエーションが受けられる」
なんとなくアキオは事情を察する。
「だが、専門所に入るには金がいる、か」
ユイノはうなずいた。
「その通りさ。だから15の歳にあたしはダンサーになった。20年契約で借りた金をその人に渡すために。その頃から、踊るのだけは上手かったんだ。あたしが売れるのは、ダンスか身体しかなかったからね。でも、身体を売るのは嫌だった。ヨヒムのためにとっときたかったんだ」
幼馴染はヨヒムというらしい。
なんとなく話の先が見えたアキオはユイノを遮る。
「詮索して悪かった。それ以上は無理に話さなくてもいい」
「いや、聞いてほしい。それに、あたしの話は、この街ではみんな知っている。しばらく街にいたら、どうせアキオの耳にも入る。ゆがんだ噂を耳にいれるくらいなら、あたしが直接アキオに話したい」
「続けてくれ」
「やがてヨヒムは魔法使いになり、王都の二等傭兵団に加入した。初めは手紙にまめに返事をくれてたけど、ある時期からまったく返事がなくなって――」
ユイノは手で顔をおおった。
「三か月前に借金を返し終わって自由契約になったあたしは、初めて都に会いにいったんだ。旅費がなかったから少し借金してね。そしたら――ヨヒムにはもう家族がいた……よくある話さ」
確かによくある話だ。アキオは思う。彼でさえ似たような話は兵隊仲間から聞いたことがある。
だが、世間にはよくあっても、彼女にとっては唯一無二の経験だ。
「文句をいってやったか?」
ユイノが、ばっと上半身を起こした。
「なんでいえる?あたしたちの間には何も約束がなかった。ただ、あの人がなりたい、やりたいことをあたしは助けたかっただけ。それに、二等傭兵団で偉くなったヨヒムには、ダンサーじゃ釣り合わない。あたしはもう若くもないしね――」
アキオは黙っていた。
どんな言葉も彼女をなぐさめることはできないだろう。
愚かな女だ、と人はいうかもしれない。
だが、美しく輝く愚かさもある。
昔、ある戦友が身をもってアキオに教えてくれたことだ。
「ユイノ――」
「なんだい、『君』じゃなくて、名前で呼んでくれるなんてうれしいね」
「ユイノは、俺にとって本当に大事なことを教えてくれた。だから、そのお礼がしたい」
「やっと抱いてくれるのかい。ひと目見てあんたが気に入ったから、あたしの本名を教えたんだ。誰にも教えたことはないんだけど――芸名で抱かれたくはないからね。本当をいうと、踊りながら、あんたがあたしを見ているのはわかってた」
「だろうな」
熟練した狙撃手は、乗り物で高速移動する標的の表情すら判別する。
同様に、良いダンサーは、踊りながら観客一人ひとりを識別することができるのだろう。
「あの、あのさ」
ユイノが目を合わせないように言う。
「なんだ」
「いい年をした、しかも、あたしみたいなダンサーが言うのもおかしいし、信じられないかもしれないけど、あたしは……あたしは……」
ユイノはシーツの端をぎゅっと握りしめる。
「まだ、男を知らないんだ……アキオ、あんたはいい人だ。ダンサーだといって人を見下さないし、あたしの踊りをほめてくれた。だから、あんたに抱いてもらいたいんだ――よければ、だけど」
そう言って、ユイノはきつく目を閉じた。
そんな彼女をアキオは見つめる。
彼女は、いいダンサーだ、アキオは彼女の踊りに酔い、陶然となった。
いま彼女は人生の支えであった恋人を失い、自棄になっている。
なんとかしてやりたい。
できれば苦しみを忘れさせてやりたい。
だが、残念ながら、ナノ・マシンで記憶の操作はできない。
シナプスはナノ・マシンの干渉を拒絶する。
心の痛みはナノクラフトでは治せないのだ。
しかし、できることはある。
「君を抱くことはできない。自棄になって自分を傷つけようとする女を抱きたくないんだ。だが――」
アキオは一呼吸おいて続ける。
「君への感謝のしるしとして、君にあるものをあげたい。使い方次第で素晴らしい結果を得ることができるものだ。だが、もしそうしたら、君は、この街にいられなくなるだろう。おそらく、今まで付き合った人たちとも会いにくくなる」
「どういうことだい?」
「君を若返らせるのさ。ダンクが言っていたかもしれないが、俺はナノクラフトが使えるんだ」
「ナノ、なに?」
「魔法医術とでもいうものかな」
(沙法でしょ、という内なるミーナの声は無視する)
「信じられないかもしれないが、本当だ」
「ダンクがそんなことを言っていた。でも、そんなものはこの世にはないよ。魔法使いは炎を出したり雷を起こすけど、それだけさ」
「できるんだ、ユイノ。俺のナノクラフトなら。信じてくれ、それで、よく考えて答えてほしい。君は若くなりたいか?」
ユイノはアキオを真剣な目で見つめる。
美しく切れ上がった巴旦杏のような瞳に月明かりのアキオが映る。
「君の踊りを見た。ダンスについては素人の俺にもわかる。才能と、気が遠くなるほどの長い間の努力がなければ、あれほどの動きは習得できないだろう。体術とはそういうものだ。もう一度若くなって、それを磨き上げてみないか?ひとりの男のためでなく、多くの人々のために」
ユイノは、瞬きもせずにアキオを見つめ続け――やがて口を開いた。
「たぶん、これはあたしが酔っ払って見ている夢だろうけどね……戻れるものなら戻りたい。ダンスを始めたあの頃に」
「時間は戻せないんだ」
「分かってるさ。若返るんだろ。ああ、若返りたいね。すぐにでも――」
「そうか!」
だが、ダンサーは彼の言葉をさえぎる。
「――と、思ったけどやめておくよ。今、生きているのがあたしの人生なんだ。だから、あたしはこのまま、この体で、この歳の続きで生きていく、踊り続ける」
「ユイノ――」
「でも……」
ユイノの大きな瞳から涙があふれ、こぼれ落ちる。
「あんたがなんでそんな夢物語をあたしにするのかわからない!いくらバカなダンサーだって、若返りなんてことが、あるはずないってのはわかってるよ。あたしだって、もう何十年も生きてるんだ。奇跡がないことぐらい知ってるさ」
ユイノの言葉がアキオの胸に突き刺さる。それは彼がいつも自身に向かって言う言葉だからだ。
「そんなにあたしを抱くのが嫌なのかい!嫌だったら嫌だっていってくれればいいんだ。どうせ、あたしは、あたしは年を取ってうす汚れたダンサーだ!もう未来もない!」
そう叫んでユイノは部屋を飛び出した。
『俺の体はほとんどが機械で、生身の部分は崩れて死にかけている。もう未来はない……』
かつて、彼女につぶやいた彼自身の言葉が、ユイノの言葉に重なる。
アキオは茫然と、閉じていくドアを見ていた。
しばらくして、のろのろと床に忘れられた上着を拾う。
(なぜ、こうなる?)
彼は、いまだに人の心をうまく把握することができない。おそらく、ミーナが今の様子を見ていたら、ひどく怒ったことだろう。
ユイノの上着をもったまま、アキオは天を仰いだ。