021.踊子
陽が落ちるのと同時に、馬車はシュテラ・ザルスの街門にたどり着いた。
それまでに、2回、魔獣の襲撃を退けている。
もっとも、戦闘の内容と結果を考えたら、どちらが襲撃されているのか分からなかったが――
シュテラ・ザルスの街は、壁も門も黄色いレンガで作られていた。
門に立っている衛士は、通行文を見せると、馬車の荷台を少しだけ見て、何も言わずに通してくれる。
ほとんど空の荷台だけに調べようもないのだろう。
ラピィに声をかけ、広い目抜き通りを行く。
歓楽都市と呼ばれるだけあって、薄暮の街には、早くも様々な色の明かりが灯り始めていた。
(オレンジ色が基調のメナム石でどうやって、緑色や青色を出しているのだろう)
明滅する明かりは、男性としてではなく、工学者としてのアキオの好奇心を刺激する。
宿屋を探しながら馬車を進めていると、わっと前方で人々の騒ぐ声が聞こえてきた。
通りの端で人の輪ができている。
馬車を進停めて高い御者台から見下ろすと、ひとりの男が道端に寝かされていた。
口から少量の血を吐いている。
「医者を呼べ!」
供らしき黒服の男が叫んでいた。
アキオは、ラピィに、じっとしているように囁いて、素早く御者台から人垣を飛び越えて着地した。
吐血よりも、男の顔色と痙攣のぐあいから症状が深刻なことが分かったからだ。
「診せてくれ」
そういうと、彼を医者だと思ったのか、周りを取り囲んでいた男たちが場所を開ける。
アキオは、男の目を診て、胸に耳を当て聴診し、あるいは触診するなどして診察するふりをする。
その合間に、ポーチから取り出したスティック・ケースから、さりげなく少量の粉を男の口に振りかける。偽薬の成分である乳糖に、ナノマシンを仕込んだものだ。
アーム・バンドのディスプレイの視野角を狭くして盗み見られないようにし、素早く情報を読み取った。
口から吐血しているが、それは単に倒れた時に口の内部を切ったからだ。
深刻なのは血管だった。
男は大動脈乖離を起こしていた。心臓の付け根近くから延びる大動脈で、3層あるうちの真ん中の中膜が裂けて、血管が膨れ上がっている。
放っておけば、この世界の医学レベルなら1時間たらずの命だろう。
男は蒼白になった顔色で激痛に耐えている。おそらく背中が爆発するように痛んでいるはずだ。
アキオは少し考え、
「これは冷えからくる腹痛だな」
大きな声でそう言って、水を持ってくるように見物人に声をかけた。
ついで、ポーチからナノ・マシンの材料のひとつであるケイ素の粉末を取り出すと、運ばれた水とともに男に飲ませた。
もちろん、ガラス粉末を飲ませて病気が治るはずがない。
しかし治療したように見せかけるには、『何らかの医療行為』をする必要がある。
「たぶん、これで良くなるはずだ」
自信たっぷりにそう断言して、素早くアーム・パッドを操作した。
その直後、ナノ・マシンによって10秒以内にすべての病巣、患部が修復される。
「ううむう……あ?」
男はうなるのをやめて、身体を起こした。
「なんだか急に楽になった」
少し早く治しすぎたか、とアキオは後悔する。
「たまたま持っていた薬が効いたな」
そう言いつつも、自分の演技の下手さ加減にウンザリする。
「あなたは医者か?」
上半身を起こした男が尋ねた。
高価そうな服を着ている。
中年だが、整った顔をしている。
「傭兵だ。この街には羽を伸ばしに来た。ガブンからさっき着いたところだ」
「そうですか、傭兵――」
男はアキオを上から下まで見て、
「いずれにせよ、あなたはわたしを救ってくれた。恩人ですよ」
「ただの腹痛だったからな」
「そんな痛みじゃなかったんだが……ああ、失礼した。わたしはダンク、ダンク・モイロといいます」
「アキオ・シュッツェ」
言いながら、三つの月をいただくこの世界の夜空には、射手座は存在しないが、とアキオは胸の中でつぶやく。
「変わった名前ですね。とにかく、恩人をこのまま行かせるわけにはいきません。街に到着したばかりなら、ちょうどいい。わたしにこの街を案内させてください。大市のシーズンなので、賑やかですよ」
そういって、先ほど医者を探していた黒服の男に声をかける。
「わたしの知り合いの宿屋に案内させます。馬車も置けますのでご安心を。部屋に荷物を置かれたら、お礼かたがた案内したいところがあるんですよ。食事もしたいですしね」
先ほどまで、文字通り死ぬほどの痛みで七転八倒していたのに現金なものだ。
もっとも、血管治療のついでに、三か所ほどできていた初期ガンも消しておいたので、今後もダンクは長生きするだろう。
一度は断ったが、あまり熱心に誘うので、根負けして誘いにのる。
歓楽都市の案内人として、ダンクは適当だと思えたからだ。
緑岩亭と同じように、目抜き通りから少し入った通り沿いの宿屋に案内される。
建物は門と同じように、黄色いレンガで出来ていた。
黄嵐亭という名だ。
アキオは2階の角の部屋に案内された。
荷をほどいたアキオが階下に降りていくと、ダンクは宿屋の主人と話し込んでいた。
アキオが近づくと、肩を抱くようにして外へ連れ出す。
アキオが連れていかれたのは、街の中心部近くにある大きな建物だった。
「今夜は飲みましょう」
ダンクが、アキオの肩をたたいて嬉しそうに言う。
これが、この街の酒場らしい。
ガブンでは、余計な出費を防ぐためもあって、食事の出るところ以外、ほとんど酒場には行かなかった。
歓楽の街だけあって、シュテラ・ザルスではその規模も大きいらしい。
アキオも少年兵のころは、年上の戦友に連れられて、よく酒保に通ったものだった。兵営にある酒場だ。
人を撃ち、酒を飲む。
友が死に、酒を飲む。
その繰り返しだ。
勝利し、凱旋して酒を飲む。
命からがら敗走して酒を飲む。
酒保は、戦場での数少ない娯楽のひとつだった。
もっとも、この街の酒場は、彼の知るものとはずいぶん違っていた。
密林の中の板張小屋でも、砂漠の中のコンクリート造りでもなく、黄色いレンガ造りだ。
アキオは行ったことがないが、地球の都会の酒場もこういった造りだったのだろうか?
そういえば、宿屋を含め、この街の建物も多くは黄色いレンガ製だった。
「アキオさん、こちらです」
四角いレンガで器用に作られたアーチ形の入り口をくぐり、ダンクは先に立って階段を下りていく。半地下になっているようだ。
突き当りの扉を開けると、むっとする空気とともに熱気が吹き出てきた。
中に入る。
メナム石に照らされた室内は広かった。
三方の壁際にはカウンターがあり、ある者はそれにもたれて酒を飲み、またある者は背の高いスツールらしきものに座ってカウンターの中の男、この世界でもバーテンダーというのだろうか、と軽口を交わしている。
ドアから見て正面には、ステージのようなものがあり、その上で女性が歌っていた。
部屋全体に、ソファとテーブルのようなものが数多く置かれ、身なりの悪くない男女が、あるものは談笑し、あるものは熱心に檀上を見つめている。
席は8割ほどがうまっていた。
ダンクが近づいてきた男に耳打ちすると、アキオたちはステージの近くの席に案内された。
すぐに木のカップが運ばれる。
アキオは中身の液体の匂いを嗅いだ。
甘い香りがする。動物の生乳を使った発酵酒らしい。
ガブンでは見なかった種類の酒だ。
ダンクが乾杯の仕草をし、グラスを掲げる。
アキオもそれにならい、ダンクと同時に液体を飲み干した。
少しクセがあるが、飲めない味ではなかった。かつてモンゴルのアングルスク戦線で飲んだ馬のミルクから作る馬乳酒を彷彿させる味だ。
レスデンという名の酒らしい。
「どうです。わたしの持ち店の一つなんです。自慢じゃありませんが、怪しげな客はひとりもいませんよ。ステージの出し物も厳選してますしね」
ダンクの言葉を聞きながら、アキオは何気なくステージに目をやった。
拍手とともに歌姫が下がり、ひとりの女性が壇上に現れた。歌手だろうか。
小柄で、ほっそりとした体型で手足が長い。
薄い褐色の肌で、切れ上がった巴旦杏のような大きな瞳は青かった。地球の遺伝学的にはめったにない組み合わせだ。
髪は燃えるような赤髪だった。
肌を直接さらしているのではないが、露出の多い服装の上から、薄いヴェールのようなものを緩やかにまとっているだけなので、痩せてはいるが、はっきりとメリハリのある体型であることがわかる。
まばらな拍手が贈られると、音楽が奏でられ始め、女性は踊りだした。
彼女はダンサーだった。
アキオの目は、彼女の踊りにくぎ付けになる。
兵士で研究者のアキオの知識に、ダンスの項目は、ほぼ無い。
だから、それが彼の世界のどんな踊りに近いのかはわからなかったが、彼女の一挙手一投足はアキオの胸に響いた。
赤毛のダンサーは、長い手足を優美に使って軽やかに踊る。
それはまるで空間に身体の軌跡で絵を描くようだった。
飛び、跳ね、そして回転する。
全身を使ってモーメントをコントロールし、回る体に引かれて手足が美しい残像を残す。
時折、絶妙に指先が静止するのが目に鮮やかだ。
動くたびに豊かな赤い髪が炎のように揺れる。
突然、アキオの脳裏に、密林の兵士慰問用仮設ステージで見たダンサーの姿が蘇った。
ついで、幼いころに一度だけ見た母の舞踊の姿が重なる。
「アキオさん?」
ダンクが話しかけるが、アキオは返事ができない。
(ああそうか……)
アキオは合点した。
かつて粗末なステージでみた世界的なダンサー、そして母の舞踊と目の前の踊り子に共通している美点は、優れた身体能力に支えられた大胆でかつ繊細な手足の制御にあるのではなく、見過ごされがちな、指先、足先の美しさにこそあるのだ。
踊るリズムの正確さ、そしてそれをあえて崩して生じさせる微妙な揺らぎ、意外性、それぞれ踊りには大切だろうが、それだけではただの良いダンサーどまりだ。
最後に差がでるのは体の末端である指先と足先への繊細な気遣いだ。
今、舞台で披露される彼女の踊りは、スポーツの延長上にはない。
それ以上のものだ。
赤髪のダンサーが、ぴたりとラストのポーズを決めたのち、優雅に一礼してステージを去っていく。
素晴らしい踊りだった。
しかし、意外なほど拍手は少ない。
「カメリアを気に入られましたか?」
ダンクが声をかけてくる。
赤髪のダンサーはカメリアというらしい。
もちろん偶然だろうが、地球でいう椿だ。
「椿姫か」
アキオはつぶやく。
確か悲恋物語のヒロインだ。一途で純な娼婦の話。彼女が好きな小説だった。
歌劇の方のタイトルは、道を外れた女だったはずだが、この赤髪の踊子は、どちらだろう?
などと愚にもつかぬことを考えながら、ダンクに答える。
「いい踊りだった。しかし、彼女は花形じゃないのか?拍手も少ないような気がしたが」
「何年か前までは大した人気でしたが、もう歳ですから」
「まだ若いだろう?」
ナノ・テクノロジー工学者として、人間の細胞と長く向き合ってきたため、ステージ化粧をしているとはいえ、アキオがヒトの年齢を間違えることはほとんどない。
確かに、少女と呼ぶほど若くはないが、35、6というところだろう。
決して年寄り扱いする年齢ではない。ダンサーとしても女性としても。
「ダンサーは、化粧で歳をごまかしますからね。三十半ばになれば、ほとんどの踊り子は引退しますよ。まあ、カメリアには金を稼がなければならない理由がありますから。それでも、踊れてあと1、2年というところでしょう――おっと、これは余計なことでした。さあ、もう一杯やりましょう」
アキオは、酒を注がれたカップを掲げてつぶやく。
「良いダンサーなのに、残念だ」
「そうですね」
ダンクは意味ありげにうなずいた。
その後、食事をしながら、夕方の治療についてしつこく尋ねるダンクに根負けして、アキオは『ナノクラフト』という新しい医術を用いて彼を治したことを明かした。
さすがに、傭兵で医術を使うというのは怪しすぎると自分でも思ったのだが、この世界では、傭兵兼医者というのはそれほど珍しくないそうで、ダンクはあっさりと納得する。
それとなく聞くと、衛生兵が編成に組み込まれないこの世界の傭兵団では、兵隊自らが医療を行うことが一般的だそうだ。
夜半、宿屋の自室でアーム・バンドを操作して、新しいナノ・マシンのコントロールコードを開発していると、控えめに扉がノックされる。
ドアを開けると、赤毛のダンサーが立っていた。
手にはカップと酒の瓶を持っている。
今は煽情的なステージ衣装ではなく、清楚といってもよい清潔そうでおとなしい服を着ていた。