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002.戦闘

 ジーナを後にして3時間後、アキオは目標地点近くに到着した。


 進行方向に対して右手の垂直に切り立った崖と、左手のまばらな樹林に囲まれた小ぶりな雪原(せつげん)広場というべき場所だった。


 樹林の端は絶壁となって、はるか下方に切れ込んでいる。

 アキオはゆっくりとあたりを見回した。


「――!」


 遠くで叫び声がした。動物ではない。

 人の声だ。

 アキオは声の方向に反射的に走りだした。


 樹林に入ってしばらく行くと、人影が見えた。


 小柄な人間が、巨大な獣と対峙(たいじ)している。

 そいつは槍のようなものを持ち、毛皮のフードを被って、鋭い声で獣を威嚇していた。


 体の動きから若者のようだ。


 その相手の動物は――


 アキオの目が(わず)かに(けわ)しくなる。


 獣は明らかに、彼の知っている動物ではなかったからだ。


 体長はおそらく5メートル近く、体重は2トンを超えるだろう。

 筋肉の塊のようなその獣は、真っ白な体毛に包まれて、ところどころに紫色の斑点があった。


 どこかの国が軍事用に開発した生物兵器の可能性が高かった。


 体つきはゴリラに似ている。

 それに比べて対峙する若者はあまりにも小さかった。


 アキオは木に身を(ひそ)めた。

 体調が万全なら、()()()()で負けることはないだろうが、今は身体を超回復(ちょうかいふく)させて、雪中(せっちゅう)行軍をした後だ。


 それに何より、今、大切なのはコフだ。

 見たこともない怪物に関わってはいられない。

 若者には悪いが、ここは見て見ぬふりをしてやり過ごそう。


 そう頭ではわかっているが、実際、アキオは若者から目が離せなかった。


 何度となく襲い掛かろうとする怪物を、若者の絶妙な槍の威嚇(いかく)が出鼻をくじいている。

 圧倒的体格差にかかわらず、容易(ようい)に怪物が若者に飛びかかれないのは、威嚇のせいというより、彼の全身から発する気合とフードの下で光る眼光のせいだった。


 もちろん、すぐに均衡(きんこう)は破れ、若者は怪物に殺されるだろう。

 圧倒的に体格差がありすぎる。


 暴力の世界で奇跡は起こらないのだ。


 アキオは腕を見た。

 アーム・バンドに似せた装置の表示から、体調が平時の35パーセントを下っていることがわかる。

 かつて兵士として徹底(てってい)強化され、いまはナノ・マシンを体内に持つ普段の彼の体力からは考えられない数字だった。


 ジーナの加速度で、全身を同時に痛めたことが大きいのだろう。


 アキオはシースからナノ・ナイフを取り出して見つめた。

 長く愛用してきたレイル・ガンのSUGガウエルP336を持ってきていれば、何とかなっただろう。

 だが、現在の体調では、怪物相手では分が悪い。


 ついに均衡(きんこう)が崩れ、怪物が若者に突進した。

 若者は後ろに逃げようとするが、間に合わない。

 巨大な腕が、若者を斜めにいだ。

 決定的な打撃は()()()()()槍で防いだものの、そのために槍の柄はマッチ棒のように折れてしまう。


 勢いを殺しきれずに若者は数メートル吹っ飛ばされた。

 若者は、野生動物のように四本足で地面を滑って体勢を立て直し、身構える。


 そこへ、怪物が圧倒的体力差をもって襲い掛かった。


 若者が、目を閉じようとして、こらえるのが見てとれた。

 アキオの唇が(わず)かに吊り上がる。


 怪物が再び腕を振り上げ、凄まじい勢いで振り下ろした。

 ()()()()が若者の眼前に迫る。


 覚悟した若者は、目の前に黒い影が突然現れたのを見て目を見張った。


 衝撃はやってこない。

 怪物の腕は、影の左手によって受け止められていたからだ。


「俺は馬鹿だな」


 影が、若者の()()()()()()()()()()を紡いだ。

 影は――いや陰ではない。

 そう見えたのは人間だった。


 その人間はつぶやく、

「だが、目の前で()()()()()を見せられたら――」

 一瞬遠くを見る目になり、

「わら人形でも飛び出て踊りだすだろう」

 若者は、その人間が、唇の端を吊り上げるのをみた。

 よくわからないが、それは笑顔だった。



 アキオは、自分自身の行動を呪いながら、右手でアーム・バンドをタップする。

 あらかじめ組んだプログラムに従って、体内のナノ・マシンが活動を開始した。

足の健、筋肉、骨格強化、同時に腕と背骨に補助骨を生成する。


 服の上からはわからないが、アキオの体が微妙に変形していく。


 アキオに腕を止められた怪物は、はじめのうち奇妙な表情をしていたが、力で押し返され始めると明確な敵意をむき出しにして、今度は左の腕でアキオをごうとした。


 その瞬間、アキオは信じられない跳躍(ちょうやく)を見せた。

 膝まで埋まった新雪から飛び出して、振りぬかれる腕に乗るとそのまま怪物の顔めがけて飛んだのだ。

 その勢いのまま左目にナイフを突き刺す。

 同時に(ひたい)を蹴って後方に着地した。

 ここまではいい、計画通りだ。

 だが、これからが大変だ。

 今、怪物の体内にはアドレナリンが過剰に流れ出し、目の痛みなどほとんど感じなくなっているだろう。


 目は(つぶ)したものの、基本的に体力は全く減ってはいないのだ。


 攻撃は、怪物を、さらに危険なモンスターに変えただけだった。


 とりあえずは――

 アキオは考える。

 若者から注意をそらすことはできた。

 この間に彼は逃げ去るだろう。

 俺もこのまま逃げたいが――


「ゴア!」


 怪物は雄叫びを上げると、目から吹き出る血をものともせず、アキオに迫って来た。


 痛みに驚いて逃げてくれればよかったが、そうはいかないようだ。


 アキオは怪物に背を向けると走り出した。


 まばらな樹林を左右に避けながら抜けようとする。

 このスピード差であれば、ギリギリ捕まらないように逃げることができるはずだ。


 しかし、怪物の身体能力は、アキオの想定を上回っていた。

 見たことのない巨大生物は、生き物の筋肉と骨格を持つモノとしては考えられないスピードを発揮したのだ。


 一瞬、怪物が光ったように見えた後、アキオは届かないはずの手に足をつかまれて、近くの樹木に投げつけられた。


 木に激突し、肺から逆流する血を吐き出す。

 かなりの数の骨が折れていた。


 木に巻き付くように打ち付けられたアキオに、怪物は勝利を確信したうなり声をあげながら近づいてくる。


 巨大な手が触れる寸前、アキオは跳ね上がり、1回転して枝の上に立つと同時に怪物の顔に向かって再びジャンプした。

 アキオをつかめず、一瞬、バランスを崩して前のめりになる怪物の残った目にナイフを叩き込む。


悲鳴のような声をあげて、怪物はアキオを払いのけた。


 その衝撃で、さらに骨折が追加される。

 

 だが――これで終わりだ

 アキオは、アーム・バンドに触れて、再び全身のナノ・マシンに命令する。

 他の骨折部位(ぶい)の修復は後回(あとまわ)しにして、すべての修復、機能向上を足に集めたのだ。


 怪物に背を向け走り出す。


 背後から怪物が追いかけてくる音がした。

 目が見えないために、アキオの走る音を追いかけているのだ。


 かかった――


 冷静な相手であれば、この作戦は通用しなかっただろう。

 だが、今や怪物は、怒りに我を忘れた動物に過ぎない。


 アキオはさらに走る速度を上げた。

 打撲の修復が間に合わない上半身は、走るたびに衝撃でどこかの骨が折れていく。

 しかし、アキオの走る速度は落ちない。

 口から血を吐きながら、素晴らしい速さで樹林を駆け抜けていく。


 本来なら、この程度のスピードの怪物に追いつかれることはないはずだが、今は体調が悪かった。

 さらに、いかに身体能力を向上させても、体格差はどうにもならない。

 一歩ごとに怪物の近づく気配がし、とうとう怪物の獣臭いにおいが嗅げるほどになった時、


 間に合ったか――


 アキオは樹林が切れたあたりの崖から飛び降りた。


 落下しつつ、アーム・バンドからワイヤーを射出して崖の縁に生えた木に巻き付ける。

 崖の途中で、落下の止まったアキオの横を怪物が通り過ぎていった。


 下を見ると崖は思ったより高く、150メートルはあるようだ。


 怪物の頑丈さと体力は分からないが、死なないまでも、しばらくは行動不能になるのは間違いないだろう。


 崖の上に戻ったアキオは、ベルトのポーチから回復ジェルを取り出すと立て続けに三本飲み干した。


 だが、この程度で回復は望めないことは、彼自身が一番わかっていることだった。

 何よりも()()()()()()

 先ほどからの、ナノ・マシンの過剰駆動(くどう)で、嫌になるほど身体が冷えているのだ。


 ホット・ジェルを飲んだくらいでは回復は望めないだろう。

 おまけに、周り一面は雪で体温をあげる要素など一つもない。


 まったくついてない――が、こんな日もある。


 そう声に出さずに(ひと)()ちながら、アキオの意識は途切れていった。

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