197.去年を待ちながら、
「電磁波、衝撃波および爆炎、接近します」
クロイツの声が遠くに聞こえる。
アルメデは、暴れようとするカイネを押さえつけながら、キルスのミサイルを追尾するディスプレイを見た。
爆心点に、より近いキルスのミサイルは、その半ばまで爆炎に呑み込まれつつ紫の裂け目に吸い込まれて行く。
彼女は、腕の中の少女に向かって言った。
「カイネ、見ましたね。キルスのミサイルは、わたしたちが向かっている紫の空間に飛び込みました。これから、わたしたちに起こる運命と同じことが、彼にも起こるはずです」
彼女の言葉で少女は暴れるのをやめた。
アルメデは、カイネを解放すると、船内によく響く声で告げる。
「全員、シートについてベルトを装着。カイネ、早くしなさい」
アルメデの命令で、全員が席についた瞬間、雷鳥は背後から煽られてキリモミ状態になった。
鷹のように高速の爆炎が、足の遅い雉に追いついたのだ。
座席ごと、凄まじいモーメントで回転させられたアルメデの意識は暗転し、無限の深淵へ落ちて行く。
「……王さま、アルメデさま」
女王は、遠慮がちに肩を揺さぶられて目を覚ました。
目の前に、頭から血を流したクロイツの顔がある。
「良かった、目覚められましたね」
彼女は、一瞬、自分がどこにいるか理解できなかったが、すぐに記憶がよみがえり、クロイツに尋ねた。
「ここは、裂け目の向こう側なのですね」
「おそらく――そうです」
そう言ってクロイツは、アルメデの手を取って、機外へ誘った。
歩きながら言う。
「雷鳥本体はそれほど被害を受けておりません。裂け目に突入する瞬間に、自動操縦に切り替えておいたため、無事着陸してくれたようです」
二人は機密扉から外へ出た。
機外は夜だった。
月明かりに、遠くまで広がる森林が照らされている。
「地球のようですね」
「いいえ違います。女王さま、あれを――」
そういって、クロイツは背後を向き、天空を指さした。
アルメデも振り返り、クロイツの指に従って空を見上げる。
彼の指の先には、巨大な3つの月が浮かんでいた。
「3つの月――」
アキオはつぶやき、アルメデに、自分もあの月を見て、ここが異世界であることを知ったのだ、という。
「それからは、前にあなたに話したとおりです。科学者のクロイツたちが栄養を取れなくなって衰弱していき、ナノ・マシンのおかげで、栄養を摂取できた、わたしとカイネが中心となって、この世界で生きていく方法を模索しました」
「君たちはニューメアに着いたんだな」
「はい、当時はカスバスという、ほとんど金属を用いない牧歌的な国でした」
「ニューメアは金属を産出しない、か」
「そうです――地球に戻る研究を行うために、いえ、科学に金属は不可欠です。研究を進めるためにカスバス王国を手に入れることにしました。トルメアの科学者を失ったわたしたちには、研究を進める術はなかったのですが――」
アルメデは自嘲気味に微笑む。
「国盗り自体は、わたしが100年以上続けてきたことですから難しくはありません。地球の科学力を見たカスバスの人々は、すぐにわたしたちに平伏しました。彼らは、科学を高度な魔法だと思ったようです」
彼女はアキオの手をさぐり、優しく握りしめた。
「魔法の存在する世界で、彼らは科学を魔法と勘違いしたのですね。わたしはあまり乗り気ではなかったのですが、カイネは熱心でした」
アルメデは、アキオを見上げる。
「クロイツたちは死ぬまでにナノ・マシンのキラリティを発見し――時折、空に開く小規模な次元断層の周期から、ミサイルや航空機を呑み込むような巨大な断層が発現する次元変動予測を行ってくれました」
「次元変動予測……」
「はい。それによると、わたしたちがこの世界に辿り着いてから、1年後と19年後に大きな断層が現れるとのことでしたので、わたしは、あなたのジーナが1年後にやってくると思って、楽しみに待っていたのです」
「だが、やって来たのはキルスが先だった」
「そうです――でも、次の19年後でも、なんとかわたしは死なずに待つことができる。1年後に現れたキルスのミサイルを見た時、変な話ですが、わたしは安心したのです。クロイツの予測が正しかったことが証明され、あと18年待ちさえすれば、あなたが現れることがわかったのだから。ほんとうに19年でよかった。もし22年であれば、命が続かなかった」
「ミニョン」
「メデと呼んで」
「待たせたな――メデ」
「ええ、ええ。待ちました。去年にあなたが来ると分かってからずっと――でも一昨年あたりから、体調が悪くなって」
「期限いっぱいまで、体調は維持されるはずだが――次元転移の影響かもしれない」
「わたしもそう思います――軟禁状態にされて、ここ数年のニューメアが何をしていたかをわたしはよく知らないのです」
「その間、キルスが国を仕切っていたのか」
「ああ、その話もしなければなりませんね」
そう言って、アルメデは、アキオの胸元に落としていた視線をふと上げた。
「あ」
アキオと目が合い、思わず声を上げてしまう。
そこで初めて彼女は、想い人がずっと彼女の顔を見て話を聞いていたことに気づいたのだ
一度合わせた視線を逸らすことができず、彼女はアキオの目をじっと覗き込む。
300年を生き、おそらく信じられないほどの悲しみと苦しみを見てきたに違いないその黒い瞳は穏やかで、かつてサイベリアのアイルミット博物館で見た世界最大のブラック・ダイアモンドを彷彿させる硬質な美しさを秘めていた。
アルメデは、自分の手がいつの間にかアキオの胸の上にあることに気づき、ちょっとした悪戯を思いつく。
「アキオ――」
「どうした」
「ちょっと疲れました。わたしに元気をくれませんか」
そういって、アキオの胸を、指でトントンと叩き始める。
一瞬、怪訝そうに眉を顰めかけたアキオは、珍しく柔らかい微笑みを顔に浮かべた。
アルメデは、モールス・コードでこう伝えたのだ。
〈カツテノ タカイシロノヘイシニ モウイチド チウシテ クレマセンカ〉
アキオは、眼を閉じて薔薇色の唇を上に向けるアルメデに顔を近づけようとし――以前、シジマやシミュラが望んだように、アルメデの身体を軽々と引き上げて、その首筋に口づけをした。
「ひ、ひゃあ」
100年の人生で二度目の情けない声を上げたアルメデは首筋まで真っ赤になって、目を開ける。
「君だったのか」
愛しい人に問われ、ガクガクと何度もうなずく。
アキオは、彼の目の高さまで引き上げた少女の頬を両手で包むと、さっきよりしっかりとした口づけを交わした。
「あの時は世話になった」
「アキオ」
アルメデはアキオの首筋に抱きついた。
涙が彼の首を濡らす。
彼女は、アキオが100年前の些細な出来事を覚えていてくれたのが嬉しかったのだ。
頬を伝う涙を感じ、女王であった頃、決して人前で涙を見せなかった彼女は、涙もろくなってしまった自分自身にとまどい、またそんな自分を愛おしく思っていた。
おそらくこれが、常に気を張り毅然とした態度を崩せなかったアルメデ女王ではなく、ひとりの女として、そのままの姿を見せながら愛する人の腕に抱かれるということなのだ。
しばらく、アキオの首に頭をすりつけていたアルメデは、やがて顔を上げ、涙を拭うと話を続ける。