196.断層
――信じられない。
アキオの胸に身を預けながら、アルメデは思う。
普段の彼の声は、よく通るバリトンだが、胸に耳をつけて直接聞く声音は、より低く心地よい振動を伴って心にしみてくる。
そして、胸から響くゆっくりとした拍動は、彼女の早鐘のように忙しい鼓動を落ち着け、導き、ゆっくりとシンクロさせ、穏やかにしていく――
20年前に、こちらの世界に来た時、クロイツたちが死ぬ間際に見つけた次元変動予測で、同時期に紫の裂け目、次元断層に入った物体が、およそ1年後と19年後に出現する可能性が指摘されていた。
去年は、19年目で、彼女はニューメアの王女としてアキオを待つつもりだったが、延命措置のタイムリミットが近づいたことによる体調不良を理由として、王宮の一室に軟禁状態になってしまったのだ。
予測通り、アキオがこの世界にやってきたことは漏れ聞いていたが、軟禁状態が続いていたので詳しい事情はわからなかった。
アキオ自身について彼女は心配しなかった。
彼は強いし、無事にこの世界にやって来さえすれば、生き延びるのになんの問題もないだろう。
だが、地球最大国家の王として、彼女には責任がある。
極北で爆縮弾が炸裂した地球は、おそらく無事ではないだろう。
また、異世界に無理やり連れてきた挙句、死なせてしまったクロイツたちに対する責任もある。
そういった理由から、彼女自身はもう延命を望んではいなかった。
少なくとも、彼女のアキオは無事なのだ。
それでいい。
ただ、死ぬ前に、せめて彼の声を聞きたくなって部屋を抜け出し、軍用ドローンを操作して、彼と話したのだった。
その時、初めて彼がこの世界の少女と一緒にいることを知った。
「その子は、あなたのなに?」
今となっては顔から火が出るほど恥ずかしいが、咄嗟に怒った声で尋ねてしまった。
「俺の守るべき子供のひとりだ」
彼女の質問にアキオは即答した。
その答えは、彼女を安心させ、同時に不安にさせた。
はっきりいうと、彼女は嫉妬を感じたのだ。
アキオは、言葉遊びをしない。
彼の発言は、そのまま彼の心の中身だ。
だから、あの儚げで美しい少女が、彼の恋愛対象ではなく、保護対象であるのは間違いない。
ただ、彼が美少女を保護しているという事実が、アルメデの気持ちを波立たせたのだ。
その後、情報を知っているはずのカイネを問い詰めて、なんとかアキオの周りにいる8人の少女の名前と特徴を知った。
全員がこちらの世界に来てから知り合った少女たちだということだった。
自分こそが、100年以上前から、アキオ専用の相手なのに――
後から現れて、守ってもらうなんてずるい。
子供のようにそう思いながら、軟禁された部屋のベッドで、時折、途切れる意識の中、せめてもう一度、死ぬ前にアキオと話をしたいと夢うつつに眠っていたところを、彼女自身によって目覚めさせられたのだ。
彼女自身――
その少女は、まさしく彼女と同じ容姿をしていた。
肩にはかつてのアキオと同じように、独立型のミーナを乗せている。
「あなた――キイね。アキオの……」
情報にあった、私そっくりの少女の名前を呼ぶと、彼女は驚いたようだった。
「はい。でも、なぜ」
「肩にミーナが乗ってるもの。懐かしいわ――」
その後、部屋を抜け出て、時に瓜二つの容姿を利用して城内のものを欺き、時に戦って、ふたりは城内からの脱出を試みたのだった。
キィは素晴らしく優秀な戦士だった。
アルメデと同じ体格とは思えないほど、俊敏で力強い――
何度か、危うくつかまりそうになったが、幸運も味方して、ふたりは無事ニューメアを脱出することができた。
ジーナ城に到着するまでの2時間余り、セイテンという狭い箱の中で、ふたりは、いろいろな話をした。
初めは、アルメデが下だったのだが、しばらくして、遠慮がちにキイが言う。
「わたしの方が重いから下になります。アルメデさま」
「わかりました」
そう言って、狭い棺の中で体を入れ替え、キイの上にアルメデは覆いかぶさった。
「でも……みんなアキオが大好きなのね――」
「あ、でも主さまは、ひとりのものじゃない――ありませんから」
「それに、みんな若いのね――後から来た、こんなおばあちゃんは浮いてしまうかも――」
「そんなことはありませんよ!」
キイの思った以上に強い口調にアルメデは目を見張った。
「子供の時に会っただけなのに、100年以上も、ずっと好きでおられることに、わたしたち全員が憧れと敬意を感じているのです」
「子供の時に会っただけ――そういわれると、すごく執念深い女みたいね」
アルメデは苦笑する。
「一途ってことですよ――それに、年でいうなら、同じく100歳を超えている王女さまもいますし」
「ああ、さっき教えてくれたエストラのお姫さまね」
「隙あらば主さまをモノにしようとしていて危険なんです」
「まあ」
アルメデがコロコロと笑う。
「それに、年齢でいうなら、ミーナがいますからね」
「ああ、ミーナ」
頬が触れるほど近い距離で、絶世の美女のため息まじりの吐息を感じたキイは顔を赤らめる。
「どうしたのです」
「じ、女王さまが綺麗で可愛すぎて――」
「何をいいます。同じ顔ではないですか」
「それはそうですが――」
「おかしな子」
アルメデは笑った。
こんな気持ちの良い笑いを発するのは本当に久しぶりだ。
鏡に映したように、自分そっくりな少女のぬくもりを感じ、共通の話題であるアキオについて話していると、違和感より親近感を強く感じてくる――
「うふふ」
我慢できなくなったように、カメラが笑い声をあげた。
「なんだい、姉さん!」
「姉さん?」
「わたしにとっては、彼女は、ミーナ姉さん、なんです」
「そうなの」
「あなたたちの会話は聞いていて飽きないわね」
「ミーナは意地悪ですね。なぜ最初から話しかけてくれないのです。たった今まで、今回のあなたは話せないと思っていました」
「ごめんなさいね。双子のようにきれいで可愛いふたりの会話に、聞き惚れてしまってたのよ」
やがて、アルメデは、ジーナ城に到着して、アキオの少女たちに会った。
彼女たちは、キイの言ったとおり、アルメデの100年の想いに好意と敬意をもって接してくれる。
ナノ・マシンの延命リミットを解除するための処置を受けながら、少女たちと話すうち、彼女の中にあった、わずかな嫉妬心は氷が解けるように消えて行った。
かわりに胸の中が、なにか暖かいもので満たされていく。
なんて、良い子たちなんだろう――
だが、それと同時に不安が首をもたげてくる。
アルメデは感じたのだ
少女たちの根底にある危うさを。
それぞれの出会いで生まれてしまった、アキオに対する感謝の念が強すぎて、それゆえ彼女たちの彼への想いは鋭利すぎるのだ。
100年に渡って、国のために死ぬ兵士を送り出してきた彼女にはわかる。
祖国に対する愛が鋭く、強い者ほど早く逝くものだ。
もっと緩く穏やかに強い愛でないと、妙な表現になるが、愛によってその身が引き裂かれてしまうことになる。
特に、カマラという少女、ピアノ、シジマが危なかった。
キラル症候群のために、余命がわからない危機感からか、とにかく彼女たちは、自分の命をアキオのために使いたがっているように見えるのだ。
そして、シミュラも――
アルメデは、この、一見、陽気で明るく、豪放で沈着、冗談好きな王女の中に潜む、切ないほどに張り詰めたアキオへの想いを感じたのだ。
彼女が一刻も早くアキオを欲しいと願うのも、その気持ちの表れなのだろう。
「で、今宵はおぬしが夜伽をするのだな」
シミュラが、コケティッシュで猫族のような目を光らせていう。
「よ、夜伽――そんなこと」
アルメデが絶句するとシジマが笑顔で教えてくれる。
「心配しなくても、夜、アキオと一緒に寝るだけだよ」
「い、いえ、心配などしていません」
「アルメデさまって、なんだかミーナに似てないかい」
「ああ、似てる」
「わたしも、何かに似ておられる感じがしていましたが、そういうことですね」
「へぇ、そうなんだってメデ。ま、長い付き合いだものね」
ディスプレイ上のミーナが笑う。
「いえ、いえ、とんでもありません」
アルメデは、横になったまま手を振った。
彼女にとって、ミーナという存在は、精神だけが存在する女神、ほんの子供の時に出会って以来、侵すべからざる聖域なのだ。
「でも、アキオと寝るなんて、少し恥ずかしいです」
「そんなことはありませんよ、女王さま」
ピアノが穏やかにいう。
「そうです。なんというか、アキオに体を預けて寝ると、穏やかに眠れるんです」
「そうすることで、アキオも悪夢を見ずに眠られるしね」
アルメデはうなずいた。
その話は、帰りのセイテンの中でキイに教えられている。
「肌寂しさを癒されるからでしょうか」
「うーん。確かに誰かと肌を合わせると心まで温かくなることはある――しかし、アキオの場合は少し違うような気がするの」
「たぶんね、アキオの持つエネルギーが心地良いんだよ。大きな生き物としての」
「大きな生き物、ですか」
「アルメデも今夜、初体験を済ませればわかるであろうな」
「また、シミュラが変なことをいってるー」
「変ではあるまい、事実だ」
さんざん、からかわれた挙句送り出されて、彼女は今、アキオの胸の中にいるのだ。
「何か、してほしいことはあるか」
アキオが尋ねる。
ミーナの指示に従っての発言だ。
アルメデは、アキオの顔を見つめ、うつむき、赤くなって――思い切ったように言った。
「くちっ――口づけをして……欲しい」
アキオは、首を起こすと、鳥がついばむような軽い口づけを彼女にした。
「あ、ありがとう」
赤くなって小さくなるアルメデの頭をポンポン叩く。
しばらくして――アルメデが言う。
「わたしたちが、次元断層に入ってからのことを話しますね」