195.月夜
ザルドを駆って、アキオがジーナ城に戻ったのは深夜を過ぎていた。
午前中に、シュテラ・ナマドで、サンドルという西の国の手先らしき男から書簡を渡された彼は、今後の行動のため各地を回って、少々手荒な調査をしてきたのだ。
迷彩を施された門の前で下馬すると、岸壁の一部に手を触れる。
音もなく開いた入り口に通って、洞窟内にはいった。
いつものように洞窟内は月の光にあふれている。
厩舎にザルドをつないで、丁寧に手入れをしてやり、アキオは庭園を通ってジーナ城に向かった。
冴えた月明かりの下、淡く紫色に発光しながら揺れる満開の恋月草を割って作られた通路を歩く。
カマラとピアノが丹精して育てた花畑だ。
城内に入り自室へ向かう。
普段なら、すぐに少女たちが現れるのだが、今日に限って、誰の姿も見かけない。
しかし、特にアキオは気にしなかった。
ミーナは、もう彼が帰城したことを知っているはずだ。
もし、少女たちに異常があれば、何をおいても報告するだろう。
自室に戻ったアキオは、内ポケットから書簡筒を取り出すとテーブルに置き、ナノ・コートを脱いだ。
午後からの荒事で負ったコートのダメージは、もう自動修復されている。
背中のホルスターごとP336を外し、机の上に置く。
肩を少し震わせただけで魔法のように手に現れたナノ・ナイフの刃先を見つめ、刃こぼれが無くなっているのを確認すると、出した時と同様、一挙動でシースに戻した。
ナノ・ナイフと銀針のシースも体から取り外してテーブルに置いた。
身軽になったアキオは、思いついて、キャビネットからホット・ジェルを取り出し、蓋をプッシュしてから飲み干した。
朝から何も食べていなかったことに気づいたのだ。
彼は、未だ、身体が発するシグナルとしての空腹は分かるが、空腹感というものを理解できていないのだ。
ジェル・ボトルをテーブルに置いたアキオは、書簡の筒を見つめて思考に耽る。
やがて、ベランダへ通じる扉を開けて、外へ出た。
彼の眼前には、ジーナ城の庭園が、月明かりに照らされて幻想的に浮かび上がっていた。
部屋の扉が開く気配がした。
今夜、一緒に寝るのは、カマラとシミュラだったはずだ。
彼の帰城を知って、やって来たのだろう。
そう思って、振り返ったアキオの前に、すらりとした金髪の蒼い瞳の少女が立っていた。
短く切られた髪が、優しい夜風に肩口で揺れている。
降り注ぐ月光を全身に浴びて、全身がぼんやりと光に包まれた少女は、現実と幻想の狭間で息づく不思議な生物のようだった。
キィか――
そう言葉にしかけたアキオは、自らその言葉を打ち消す。
そして――
「ミニョン……アルメデか」
「スラマッマラム」
少女が耳に優しい地球語で挨拶する。
直後、ものすごい勢いで抱き着いてきた。
咄嗟に身体強化を発動しなかったら、ベランダの手すりを破壊して地上5階から転落していただろう。
もちろん、落ちてもどうということはないのだが。
「アキオ、アキオ、アキオ、アキオ――」
きつく彼を抱きしめながら、泣くように囁くように、彼の名前を呼び続ける少女の、顎の下で揺れる頭を、ポンポンと叩いてやる。
腕を上げて、アームバンドに目を落とし、少女の体内のナノ・マシンのリミッターが外れていることを確認する。
「来たのか、ミニョン」
「ええ、ええ、ええ、来ました。やっと――」
「君のことは、ミーナから聞いている。よく――」
少女は嫌々をするように頭を振る。
「やめて――優しい言葉はいわないで」
アキオはしばらくアルメデの頭を見つめていたが、少女の背に手をまわし、しっかりと抱きしめてやった。
「あなたに会ったら、来ちゃった、って笑おうと思っていたのに――できなかった。だって、だって、ずっとこうして抱きしめてもらいたかったから。子供の時のように。あなたは100年前と何も変わらないのね」
そういって、彼の胸に顔をうずめる。
「心配せずとも、なるようになったではないか」
声の方角を見ると、ベランダへの戸口でシミュラが笑っていた。
他の少女たちも、微笑んだり泣いたりしている。
「ミーナ」
アキオの呼びかけに、ベランダのディスプレイに和服の少女が映る。
「おまえの仕業か」
「そう。怒ったってだめよ。もうメデの余命を考えたら、一刻の猶予もなかったんだから」
「いや、よくやった――ありがとう」
「駄目だよ、アキオ、またミーナが落ちちゃう」
無表情になったディスプレイの少女を見て、シジマが慌てる。
「でも、本当によかったね。100年越しにアキオに会ったんだから」
「どうやって、君はここに来た」
はっと、アルメデが顔を上げる。
彼を見上げる彼女の潤んだ眼に、月と彼の顔が映っていた。
「アキオ」
ユスラの声が合図のように、彼はアルメデに口づけた。
それは、軽い、鳥がエサをついばむようなささやかな口づけだった。
一瞬で、アルメデの顔が火を持ったように熱く真っ赤に染まる。
「100年生きてても、ああなんだねぇ」
「何年生きたって同じであろう」
ユイノの言葉にシミュラが反論する。
「アキオ」
彼の胸を押して、抱擁から逃れたアルメデが続ける。
「わたしを助け出してくれたのは、キィとミーナです――キィ」
アルメデに呼ばれて、少女たちの一番後ろにいたキィがバルコニーに現れる。
「こちらへ」
彼女に呼びかけられ、少女たちに促されて、キィはアルメデに近づいた。
「でも、主さまの前で、アルメデさまと並ぶのは
もうしわけ――」
「その話は、あなたが助けに来てくれた時に、終わっているでしょう」
「で、でも、わたしみたいな偽物が――」
「おやめなさい。二度と、偽物などといったら許しませんよ」
「だって」
「あなたとわたしはよく似た姉妹みたいなものですよ。元々は同じかもしれませんが、今ではまったく違う存在です。ねぇ、アキオ」
そう話しかけられ、アキオは眉を顰めた。
何を問題にしているのか、よく分からないのだ。
故に、疑問をそのまま口にする。
「何が問題だ」
「ほらぁ、やっぱりこうだよ」
「つまり、キィさんは、アルメデさまの姿を勝手に使ったことを気にしているのですよ」
ヴァイユが説明する。
「分からない。こうしてみても、ふたりはまったく違うのに、何が問題だ」
「いや、似てるだろう、同じだよ。主さま。だからもうしわけないんだ」
「もうよせ、キィ。おぬしがそういい張るから、アルメデは髪を切ってしまったではないか」
共に王族であり、年齢も似ているシミュラは、アルメデを特別扱いしていないようだ。
「もし似ているなら、それはそれでわたしは嬉しいのです。あの空中庭園での戦闘前にいったでしょう。わたしに似ているあなたが、アキオの傍に居てくれてよかった、と」
アルメデは、キィに近づくと手を取った。
「それに――あなたがわたしに似ていたから、今日の作戦がうまくいったのではありませんか」
「アルメデさま」
うつむくキィをアルメデが引き寄せ、抱きしめる。
耳元に口をよせ、小声で囁いた。
〈ジーナ城では、毎晩、ふたりがアキオと添い寝すると聞いています。今度、あなたとふたりでアキオを挟んで、サンドイッチ寝をしましょうね〉
赤くなるキィを見て、言ったアルメデ本人も赤くなっている。
「あの、女王さま、ボクだけじゃなく、みんな耳が良いから全部聞こえちゃってますよ」
シジマの指摘で、キィとアルメデがさらに赤くなった。
――姿だけでなく、やっぱり似てる。
それを見た少女たちは、口に出さずにそう思うのだった。
その夜、カマラとシミュラに譲られて、アルメデがアキオと寝ることになった。
本来は、みんなと一緒に風呂に入ってから、ということだったが、アルメデが恥ずかしがってはいけないと、入浴は後回しにされたのだ。
「がんばってね」
シジマの言葉を最後に、少女たちが出て行った後も、アルメデが動こうとしないので、アキオが先にベッドに横になった。
目を瞑る。
アルメデは、しばらく放心したようにじっとしていたが、やがて意を決したように、ベッドに近づくと、
「お邪魔します」
そういって、シーツを上げて、身を滑り込ませた。
腕の小さなアームバンドを外して枕元に置く。
アキオから離れて、ベッドの一番端に留まっているアルメデを見て、アキオは手を伸ばした。
この、充分予想された事態に対して、ミーナがあらかじめ手を打っていたのだ。
「いい、アキオ。メデは、こんなことに慣れていないから、きっと遠慮すると思うの。だから、最初は、強引でいいから、メデを引き寄せて抱きしめてね」
「ひゃっ」
アキオに手をつかまれた瞬間、アルメデは、自分の口から発せられたとは信じられない言葉を聞いた。
「あ、あ、あっ」
そのまま、軽々と引き寄せられ、気が付くと、アキオの胸の上に半身と頬を乗せて横になっていた。
アキオの体温を感じ、喜びよりも衝撃で体が小刻みに震えている。
うまく頭が回らない。
天才と呼ばれ、鋼鉄の処女とふたつ名を持った100年女王が、子猫のように震えているのだ。
「ミニョン。離れていた間にどんなことがあったか、落ちついたら話してくれ」
アキオが静かに言う。
アルメデはうなずくと、彼の胸に耳を当て、その鼓動をゆっくりと数えた。