194.胎動
「女王の様子はどうだ」
黒髪、長身の男が尋ねる。
「不安になっておられますな」
マイス・フィン・ノアスは、奇妙な形の髭を撫でながら答えた。
顔には出さないようにしているが、彼はこの異国の高官が苦手だった。
マイスは男を見る。
これまでも、定期的に、文による連絡はとっていたが、今のタイミングで17年ぶりに直接やってくるとは思っていなかったのだ。
男は、まったく変わっていなかった。
年をとった気配もない。
秀麗な顔に、時折浮かぶ酷薄な笑いも、17年前、初めて接触した時と変わっていない。
「不安か――」
「せっかく、長い時間をかけて育ててきたソタイが、突然いなくなってしまったのですから」
「それについては、我が国が手助けできると思う」
「新しいソタイをもらえるのですか」
「それは無理だ。あれは、作るのはともかく、育てるのには時間がかかる。今から作ったとしても、メキア女王の王女病の治療には間に合わないだろう
「では、何をしてくれるというのですか」
「我々が、ソタイを連れ出した者を知っている、といったら?」
「どこにいるかわかるのですか」
「それはわからない。だが、どうすれば、ソタイを取り戻せるかは知っている」
前のめりになっていたマイスは、少し冷静になって言った。
「情報の代償は。いま以上の金属は提供できません」
「さすがだな、マイス。西の国も、お前がいれば安心だ――いや、年間の金属取引量は今のままでいい」
男は、美しく微笑むと続ける。
「ソタイを連れ出した男を捕まえるか、それができなければ殺して欲しいだけだ」
「どうやって、連れ出した男を特定したのですか」
「君から連絡を受けて、洞窟とその周辺を調査させたところ、その男を特定する証拠が大量に見つかった」
「証拠など何も残っていなかったはずですがねぇ」
男は首を横に振る。
「ああ、それは、君たちの捜査が杜撰だからじゃない。だから、部下を責めてやらないでくれ。ただ、わたしたちが、相手をよく知っているだけだ」
「よろしければ、証拠というのを教えてくれませんかね」
「洞窟近くの樹林についた奇妙な傷跡、崖下で半死半生で倒れていたゴランの目の傷。なにより崖上の木に巻き付いていた単分子ワイヤー」
「たんぶんし?」
「いや、それ以前に、わたしたちは、その男がこの世界にやって来たのを知っていた。場所までは特定できなかったが――」
「この世界、ですか」
「ああ、君のような利口な男に、あまり事情を知られるのはよくないな。どこで足をすくわれるかわからない」
「ご冗談を――」
「それで、どうするかね」
「拒絶はできませんな」
「よい判断だ――では、まず、エストラから、データ・キューブを手に入れてくれ」
「データ……」
「彼らは立方体と呼んでいる。方法は君にまかせる。それを使えば、容易に奴をおびき出せるだろう」
「エストラに対してなら、色々方法はあります」
「わたしたちは、あの国とだけは、親交がないからね」
「そして、立方体を手に入れ次第、その男を捕まえればよいということですな」
マイスの言葉に、男が破顔した。
男に興味などないマイスも、その甘い笑顔にはつい見惚れてしまう。
「いや、それは、またあとで考えよう。まずは立方体を手に入れることに専念して欲しい」
「なぜでしょうか」
「それは――こういっては失礼だが、君の国の全兵力を使っても、その男は殺すことはおろか、捕まえることもできないだろうから」
「化け物ですか」
「化け物だ」
男たちの間に沈黙が落ちる。
「では、まずは立方体のほうを頼む」
そう言って、背を向けた男にノアスが声を掛けた。
いつものふざけた調子が影を潜めている。
「立方体は全力で手に入れましょう。ですから、その後の計画も早めに教えてくださいね。メキアさまが不安になっておられますから――キルス宰相」
「わかっている」
そう言って、男は、西の国王都のとある建物の地下室を上がっていくと、外に待たせた場所に乗りこんで街門を抜けた。
馬車に揺られながら、彼は考える。
マイス・フィン・ノアス――食えない男だが、こと王女病に関しては真剣になる。
あんな男でも、女王を大切に思っているのだろうか。
だが、マイスは、西の国を動かすための最良の駒だ。
奴をうまく使い続けるためにも、女王には遺伝子上の問題がなく、王女病とは、外部から取り入れられた珍しいアレルゲンが引き起こす強烈なアレルギー反応に過ぎないことを知られてはならない。
この世界に来てから20年。
金属がほとんど産出されないカスバスに辿り着き、金属を手に入れるために、国を奪ってニューメアを輿し、ここまで来た。
「宰相、到着しました」
「ご苦労」
車外の声に応えて扉を開け、外に出ると、眼前には、鳥が翼を広げたような美しい機体が、羽を休めるかのように待機していた。
部下の最敬礼に迎えられて機体に乗り込むと、すぐに操縦士が発進させた。
窓外を飛び去る雲を見ていると、ずしりとした疲労が身体にのしかかるのを感じて苦笑する。
ナノ・マシンによって一切の疲労は除去され、体調は常にベスト・コンディションに保たれているのだ。
おそらく、どうしようもない暗い気持ちが、体調の異常を感じさせるのだろう。
一時間あまりで、機はニューメア王都の基地に到着した。
搭乗員と整備員を労って、王宮に向かう。
自走路を乗りついで王宮についた。
エレベーター・ホールに進み、個人認証を終えて、20基あるエレベーターの一番端の0番に乗り込む。
高速エレベーター0番は、最上階直通だ。
彼がエレベーターを下りると、薄暗かった広い室内が柔らかい光で満たされた。
そのまま、中央に作られた壇に向かう。
壇上には、細長い銀色の箱が置かれていた。
彼は、一瞬、躊躇したのち、階段を使って壇上に登り、箱に触れた。
箱の上部が透明になり、内部に横たえられた人影が浮かび上がる。
彼は、じっとその人を見つめ、ひと筋涙を流すと、箱にすがりついた。
「今日、彼に仕掛ける罠の準備を始めました。だから――あと少し、死なないで。キルス、キルス・ノオト。あなた」