193.霹靂
「キルス宰相」
カイネが叫んだ。
「いけません。ダメッ、ダメッ、わたしが行きます」
少女は観測窓に走ると、二基のミサイルの絡まった航跡を目で追いかける。
「クロイツ博士」
アルメデが厳しい声を発する。
「はい」
「本機から、爆縮ミサイルへ干渉する方法があるといいましたね」
「その通りです」
「あらゆる方法を用いて、キルスと爆縮ミサイルの接触を妨害しなさい」
「仰せのままに」
クロイツの言葉と共に、他の科学者が、一斉に壁際の装置を操作し始める。
「あともうひとつ、本機も隠密飛行していますね」
「はい」
「全解除しなさい」
一瞬、躊躇した後、クロイツは答える。
「――仰せのままに」
「心配しないで。絶対に、この機は攻撃されません」
ミーナは、無意味な先制攻撃はしない。
「爆縮ミサイル自体を攻撃しないのですか?このままでは目標近くに着弾します。戦略爆縮弾の影響範囲は半径50キロ以上あり――」
「かまいません。今はキルスが近過ぎます」
それに、彼女なら、近づくミサイルを見つけたら、必ず最善手を打つはずだ――アルメデは内心でそうつぶやく。
「では、シートにお座りください。女王さま。少々手荒い操縦をします」
「カイネ、こちらに来て座りなさい」
アルメデは、硬直したように窓外を見つめる少女の手を引いて、椅子に座らせ、シートベルトをつけさせた。
「ミサイルの様子をディスプレイに出せますか」
「電磁波の影響でノイズは多いでしょうが」
「出してください」
ノイズに覆われた画像が前方の巨大ディスプレイに表示される。
そこでは、高速で飛行する二機のミサイルが、絶妙な間合いを保ちながら、主導権争いを繰り広げていた。
「無事に外へ出られたか」
スタン・ステファノは安堵の声を出した。
爆縮弾の搭載作業を始めてから外部射出口を飛び出すまで、幾度となく制御ルームからの妨害を受けていたが、あらかじめ用意しておいた様々な対策が功を奏して、なんとか大空に出られたのだった。
これで、あと数分で悪魔を、あの世に吹きとばしてやることができる。
もうすぐだ、メイヒルズ、エクリアも待っていろ。
お前たちの仇は必ずとってやる。
憑りつかれたような口調でそう言いながらミサイルを操るスタンは、時折意識を持っていかれそうになって頭を振った。
凄まじい速度で飛ぶミサイルは、もはや目視による有視界飛行では操縦できない。
眼前のディスプレイに表示される数値を頼りにコントロールするだけだ。
――あと少しだ。もう少しで、おまえたちに会える。
そう呟きながら、狭い操縦スペースの中で、計器を注視していると、微笑んだエクリアの姿が浮かんでくる。
大人の彼女ではなく、養護施設で共に暮らしていた頃の幼いエクリアだ。
戦争で両親を亡くし、同時期に施設に引き取られたふたりは、先に暮らしていた子供たちから残酷ないじめを受けた。
施設の大人たちは、子供同士のいさかいを見て見ぬふりをする。
当時、トルメアは、先王が結んだ安易な同盟によって不利な戦争に巻き込まれ、次々と孤児が生み出されていたのだった。
養護施設も、薄給の上に人手が足りず、大人たちは常に疲れ切っていた。
当時から負けん気の強かったスタンは、体の大きな年長者を相手に一歩も引かず、やられたら倍返しにやり返して、すぐに院でも一目置かれる存在になったが、エクリアは逆らわず、為すがままにいじめを受けていた。
――馬鹿な奴だ。
そう思って、彼は彼女を無視していた。
戦場であろうと施設であろうと、どの世界でも、弱い奴は強い奴のいいなりになる。
それが嫌なら、強くならねばならない。
俺はそうしてきた。
だが、ある時、彼は、いつも馬鹿にしていたガキ大将の不意打ちを受け袋叩きにあってしまった。
独りでトイレにも行けないほどのダメージを受けた彼を、エクリアだけが看病してくれた。
施設では、決められた時間に食堂に行かなければ、食事も食べられない。
エクリアは、寝たままのスタンに、自分の分の食事を食べさせてくれたのだった。
――こいつは頭がおかしいのではないか。
スタンは、自分に貴重なパンを、こっそり持って来て与える少女の細い手足を見て思った。
施しはいらない。
だが、身体を回復させて自分を痛めつけた奴らに思い知らせるためには、食べなければならないのも事実だった。
だから、横になったままスタンは考え、少女に言った。
「よく聞け、俺はお前と取引する。しばらくは俺に飯を持ってこい。そうすれば、今後ずっと俺が守ってやる」
エクリアは返事をしなかったが、その後も彼が起き上がることができるまで、割り当てられた食事の大部分を彼に与え続けてくれた。
スタンが回復するまで2週間を要した。
「よし」
起き上がって身体を動かし、完全回復したのを確認したスタンは呟いた。
充分に体が復調するのを待ったのは、一気にカタをつけるためだった。
中途半端はいけない。
彼に敵対する奴らに、完全な恐怖心を植え付けて気持ちを折らなかったから、今回のようなことになったのだ。
彼は敵を不意打ちし、冷静に丁寧に処置した。
全治2か月の怪我を負ったガキ大将は、体が動くようになると施設から姿を消す。
それ以降、エクリアは常に彼と共にあり、2度とふたりに手を出す愚か者はいなかった。
スタンが、14歳の時、転機が訪れた。
当時、施設に入ってきた同い年の少年が、珍しくボスの座をかけてスタンに挑戦し、彼は苦しみながらも勝利した。
だが、半年前に変わった施設長は暴力を許さず、彼は2週間の反省房生活を余儀なくされる。
「スタン、退屈か」
鉄格子越しに、彼と比較的仲の良い雑用係のマースが声をかけてくる。
「することがないからな」
彼が答えると、マースは数枚の紙を彼に渡して言った。
「全員にやらせてるテストだ。お前も暇ならやれ」
スタンは暇つぶしに問題を解いた。
それが急激に権力を拡大し、人手不足となって、広く人材を集めていたキルスの目に留まったのだった。
「おまえがスタン・ステファノか」
数日後、黒髪、長身の男が彼の房の前に立って言った。
手にした紙を見て続ける。
「ろくな教育も受けていないはずなのに優秀だな、頭が良い。戦闘能力も高いようだ」
「誰だおまえは」
「そこから出たいか」
「ああ」
「では、わたしと一緒に来い。仕事をやる」
「仕事?」
スタンは考える。
このまま施設にいても、良いことはないだろう。それならば、この身なりの良い男の許で働くのも手だ。
「――条件がある」
「いってみろ」
「ひとり連れていきたい者がいる」
「いいだろう。わたしのことはキルスと呼べ、今後は絶対服従だ。逆らうことは許さない」
「――わかった」
彼が声をかけると、エクリアは黙ってついてきた。
与えられた屋敷で一緒に暮らし始めると、徐々に、ふたりの距離は近づく。
そこでスタンは、彼女の願いが、自分にはなかった、温かい家庭を持つことだと知ったのだった。
大家族だ。
「男の子が3人、女の子が4人――最低よ、少なくとも7人。できるならもっと欲しい。だって、スタンもわたしも家族がいないんだから。たくさんの家族に囲まれて幸せに暮らすの――」
ドン、という振動で、意識が戻る。
危ない、どうやら一瞬、意識が飛んでいたようだ。
計器を見ると、少しだけ目標地点からずれている。
修正しようとして、ミサイルの動きが鈍いことに気づいた。
さっきの振動――
カメラを起動してまわりを調べると、すぐ近くを爆縮ミサイルと同型のミサイルが飛んでいた。
胴体部に牽引磁力が装着されているのが見える。
おそらく、あれで、このミサイルを成層圏へでも、向きを変えさせるつもりだろう。
スタンは出力を上げた。
強い力で上に持ち上げようとするマグネットに逆らう。
まだだめだ、あと少し――
必死に外部からの力に逆らっていると、不意に操縦室内に花の香りがした。
頭を振って意識をはっきりさせようとすると、一面、鮮やかな黄色と緑の菜の花畑の真ん中に、大人になったエクリアが立っていた。
ここは――そうだ、屋敷の近くの菜の花畑だ。
この場所で、彼はエクリアに求愛したのだ。
とうに彼女の心は自分のものであると確信はしていたが、やはり正式に返事をもらうまでは不安だった。
不安――スタンは苦笑する。
乱暴者、狂兵士、怖いもの知らずのスタン・ステファノが不安になるとは。
もちろん、彼女は応じてくれた。
いま、彼の目の前には、昔と変わらぬ笑顔のエクリアが立っている。
スタンは彼女に近づいて、ぎこちなく抱きしめた。
彼の腕が、胸が、彼女の柔らかい体と温もりを感じる――おかしい、これは機械化された体が感じる熱パルスではない。
まるで、本当の生身の身体の感覚だ。
ずっと、こうして抱きしめたいと願っていたその温もりだ。
「スタン。ずっと待っていました」
囁くように言う彼女の、蜜色をした髪に顔を埋める。
エクリアの髪は蜜の香りがした。
スタンの胸が喜びでいっぱいになる。
だが――俺にはやるべきことがあったはずだ。
ここにいたら、それができない。
彼はエクリアから離れようとするが、彼女が細い腕でしっかりと彼を抱きしめて離してくれない。
「どこにもいかないで、スタン。ずっと守ってくれるっていったでしょう」
「だが、俺にはやることが――」
「あなたは、もうすべてやり通しましたよ。お父さん」
顔を上げると、エクリアの背後に、メイヒルズが立っていた。
「お父さん?」
「そうです。これからは家族で一緒に過ごしましょう。100年間、ご苦労様でした」
「ええ、スタン。ずっと一緒に――愛してる」
「俺もだ。エクリア――愛している」
スタンは彼の妻をしっかりと抱きしめた。
操縦室の中のスタン・ステファノの胸に、赤い光が明滅した。
何らかの理由で、残された生体部分が機能停止した時に反応するライトだった。
ほとんどの場合は脳死だ。
スタンは幸せなまま逝った。
彼の無意識による最後の命令によって、腕が操縦桿を持ったまま、何かを抱きしめるかのように動いた。
ミサイルが急激に右旋回する。
「キルス、キルス」
子供のように叫ぶカイネの声を聴きながら、トルメア王国宰相は心穏やかだった。
彼が見出し、育て、共に国を作り、彼のために、生身と恋人を失った男の暴走を止めるのだ。
キルスは、スタンの乗る爆縮ミサイルに近づくと、牽引磁力のスイッチを入れた。
軽い振動があって、2基のミサイルが離れたまま磁力で連結される。
急に動くと連結が外れてしまうので、ゆっくりとキルスは、ミサイルの進行方向を成層圏に向ける。
雷鳥が、何らかの支援をしてくれているのか、比較的操作は容易だ。
「――カイネ」
「ああ、キルス」
「宰相抜きで君に名前を呼ばれるのは初めてだな」
「――ずっと呼んでいました。声に出さずに」
「わたしは、アダムの娘に会えたことを幸せに思う。アダムには、兄さんにはしてもらうばかりで何も返せなかった。ああ、この年になると、思っていることが素直に出る。もっと早く知っていたら、アダムに返せなかった分も、君に何かしてやれたかもしれないが――すまない」
「わたしでは、アルメデさまの代わりになりませんか」
「君は君だ、誰かの代わりではない――」
少し爆縮ミサイルに引っ張られ、キルスは修正した。
「さっき君はアダムの遺伝子に縛られたかのようにわたしを好きだといっていたが――わたしは、わたしなりの偏屈な愛情でアダムが好きだった。わたしも二重螺旋に操られてアダムの遺伝子が好きなのかもしれないな」
「それは――」
「今は何もいえない。事態が落ち着いて、生きて帰られたなら」
「お待ちしています」
「カイネ――」
「マドライネ、それがわたしの本当の名前です」
「良い名だ。ではマドライネ、君と――」
突然、音声が途切れる。
爆縮ミサイルが、いきなり右旋回下降を始めたのだ。
キルスのミサイルは、彼の素晴らしい操船技術でかろうじて追尾していたが、限度を超えたのか、弾かれたように、回転しながら爆縮ミサイルから離れていく。
「キルス――」
カイネ、マドライネは、観測窓に縋りつくようにして叫ぶ。
「いや、キルス、キルス、キルス――駄目ぇ」
スタンの爆縮ミサイルは、アキオの基地を大きくそれて極北に向かって飛んで行った。
それを見て、アルメデは冷静な声で命令する。
「クロイツ、キルスのミサイルを後尾カメラで追尾しつつ、本空域から最大船速で離脱しなさい。方向は任せます」
皆が浮足立つ最大の危機には、冷静な声音こそがもっとも強く、良く響くものだ。
この100年で彼女はそれを学んだ。
「わかりました」
雷鳥は、強烈にバンクしながら進行方向を変えた。
「ダメ、ダメ、彼をおいてはいけない」
カイネが泣きわめく。
「落ち着いてください」
若い科学者が、カイネを落ち着かせようと腕をつかむが、彼女の腕の一振りで吹き飛ばされる。
身体強化が自動的に行われているのだ。
アルメデは素早くカイネに近づくと、しっかりと羽交い絞めした。
カイネは暴れる。
身体強化されたもの同士の力比べだ。
だが、それは、より肉体操作になれたアルメデに軍配が上がった。
彼女はアキオを理解するために、今も定期的に個人的な軍事教練を受けているのだ。
「落ち着きなさい。いま、キルスは音速を超える速さでスタンから離れています」
そう言った時、彼女は目の端に凄まじい速さで銀の矢のように飛び去る一筋の光を見た。
強化された眼で、かろうじてそれが何か識別できる。
ミーナが迎えに来てくれた時に搭乗したジーナだ。
――アキオは脱出している。
アルメデは、カイネを抑えながらも、安堵のあまり脱力しそうになった。
やがて――一瞬、世界がネガポジ反転したように色彩を変えた。
「爆縮弾の起爆を確認」
クロイツが報告する。
音より衝撃波より先に光が変化した。
「衝撃波、来ます」
「逃げられますか」
「残念ですが――」
クロイツが首を振る。
その時、雷鳥の前方で、凄まじい霹靂が発生し、紫色の裂け目が出現した。
アルメデは、なおも泣き叫ぶカイネを抱きしめたまま即断する。
「あの中に入りなさい」
「しかし」
「どうせ、このままでは熱と衝撃波で死ぬでしょう」
「仰せのままに」
雷鳥が、接近する衝撃波を逃れて裂け目に飛び込んだ時、彼女はアキオのジーナも、違う裂け目に飛び込むのを確認していた。