191.疾走
――大丈夫。きっと、カイネが止めてくれるはず。
アルメデは駆けながら考える。
彼女が執務室で発した命令は、すぐにカイネにも届くだろう。
あるいは有能な彼女のことだ、すでに独自に動いているかもしれない。
カイネが発射実験に立ち会ってくれていたのは僥倖だった――
女王は、カイネがスタンの計画に加担していることを、まだ知らないのだ。
アルメデは考える。
有能な元帥が、ただの思いつきでこのような行動をとるとは思えない。
おそらくは、時間をかけて作りあげた計画だろう――
だから、人任せにせず、彼女自身が研究所に赴いて、スタンを止めなければならないのだ。
アルメデは走る。
王女として生まれて11年、そして女王となって106年で初めての全力疾走だ。
間に合わなければアキオは死んでしまう。
それは到底受けいれられない可能性だった。
彼のアルメデになるためだけに、彼女は100年の孤独に耐えてきたのだ。
アキオは強い、本来なら何の心配もいらない人だ。
しかし、どれほど強い人間でも爆縮弾の爆発には耐えられない。
アキオ、アキオ、アキオ――名前を呼びながら走ると、こらえきれずに涙があふれた。
アルメデは泣きながら研究所への通路を駆け続けた。
「わたしです。通ります」
そう叫びながら、常人ではありえない高さのジャンプ力で軍研究所のセキュリティ・チェック・ゲートを飛び越える。
彼女の姿を見て、入口にいた兵士たちは、慌てて女王の前に待ち受ける対人バリア・対人レーザー・高電圧障壁などのセキュリティ装置を解除した。
やっとたどり着いたミサイル制御室の扉の前で、彼女は掌紋と眼紋認証のダブルチェックを受ける。
ライトが赤から緑に変わり、扉が開いた。
中に入る。
「状況報告を」
ざわつく室内に、凛とした美しい声が響いた。
「ステファノ元帥は、先ほど爆縮弾をミサイルに搭載し終わりました」
首から、ミサイル部門研究主任ライノスというネームカードを下げた白髪交じりの男が答える。
「なぜ、サイベリア北東部で開発されている弾頭が王都にあるのです」
「元帥が移動を指示されたようです」
「そんなはずはありません」
いかにスタンが元帥であろうと、彼の一存で国の重要事項は決められない。
アルメデは、自らの暴走をも含めて、長年にわたって、それを阻止するシステムを作り上げてきたのだ。
高度に政治的な軍行動の承認には、アルメデ、キルス、カイネの承認が不可欠だ。
アルメデの脳裏を再び不安がよぎる。
誰かが、承認を偽造したのだ。
キルスは、つい先ほどまで、彼女のためにパン屋を調べてくれていた。
あの優しさは、偽装だったのだろうか?
そうは思えない。
ならば、カイネは――
「カイネはどこにいます」
「観測機に搭乗しておられます」
アルメデは理解した。
スタンの暴走を止めるつもりなら、爆発を観測する機内ではなく、カイネはこの部屋にいなければならない。
彼女が観測機に乗っているのは、アキオの死を確認するためだ。
また、彼女ならアルメデとキルスの承認を偽造することができる。
カイネは、スタンの共犯者だ。
アルメデは、そう判断すると、それ以上、負の感情には拘泥せず、ライノスに尋ねた。
「ここから、ミサイルの発射は阻止できますね」
「それが不可能なのです」
主任が申し訳なさそうに答える。
「ミサイルの遠隔操作を、ここより強力に指示できる場所もシステムもないはずですが――」
「本来ならそうです。しかし、ステファノ元帥は、リモート操作を解除して手動で操縦しようとされているのです」
「なんですって!」
確かに、爆縮ミサイルには制御システムのバックアップとして簡単な操縦装置が搭載されている。
しかし、あくまで試験用のバックアップ・システムで、実際の人間が搭乗する想定ではなかったはずだ。
「酸素もなく衝撃保護もなく椅子すらない――本来、ヒトが乗るようには設計されていないのですが、元帥は――」
「脳以外、完全機械化兵だから搭乗できるわけですね」
「そうです」
アルメデは目の前が暗くなるのを覚えた。
スタンは、アキオと刺し違えて死ぬつもりなのだ。
片道切符の爆縮ミサイルに乗って。
「確認します。外部から爆縮ミサイルを停止させることはできないのですね」
「残念ながら――」
「格納庫ごとミサイルを破壊することはできませんか?」
アルメデの言葉に、ライノスが驚きに目を大きく見開く。
それはつまり元帥を殺害するということだ。
「恐れながら女王さま、現時点で未完成の爆縮弾は、かなり不安定なので、強い衝撃を与えると起爆する可能性があります。それだけは避けなければなりません」
アルメデはうなずく。
帝都で爆縮弾が起爆すれば、世界を統べるトルメア王国は消滅する。
「しかし、元帥はどこを標的に考えておられるのでしょう。まさか、帝都ではないと思いますが――噂のとおり、120歳を超えて、おかしくなってしまわれたのでしょうか」
ライノスも、時折スタンが、かつての恋人エクリアや、メイヒルズの幻覚に話しかけているという噂を耳にしたのだろう。
「確かに、最近の元帥にはおかしな点がありました。しかし――」
アルメデは、ライノスを見つめ、
「彼は、絶対に帝都に害を加えません。それだけは確かです」
宣言するようにそう告げる。
「元帥のミサイルが発射可能になるまでの時間は?概算で結構です」
「手順を飛ばせば5分、正規の手順をとれば20分でしょう」
アルメデは目を閉じ、しばらくして、ゆっくりと目を開けた。
静かに言う。
「メイン・コンピュータを音声入力モードにして」
「はい――切り替えました」
「コンピュータ」
よく通る声でアルメデが続ける。
「わたしはアルメデ・トルメア、個人認証を」
彼女の言葉と共に、壁の一部が開いた。
女王が近づき、掌紋、虹彩認証、DNA認証を終える。
「PN01001アルメデ・トルメア確認――」
無感情なコンピュータの声に応えて、アルメデが告げた。
「コードΩを発動します。権限移譲は今から8時間後。復唱して」
「コードΩ発動。権限移譲は今から8時間後」
「女王さま」
ライノス以下、管制室にいる全員が凍り付く。
「あなた方が証人です。8時間後に、トルメア王のすべての権限はキルス宰相に移譲されます」
「あ、あなたは、どうされるのです」
震える声でライノスが尋ねる。
「わたし?」
アルメデは小さく笑った。
それは、輝くばかりに艶やかで、同時に透明な美しさを感じさせる、不思議な微笑みだった。
「わたしは、愛する人のもとに行きます。100年待ったのですから、もう良いでしょう」
そう言ってから表情を引き締め、
「コンピュータ、観測機の制御をアルメデに制限。発進手順の――1から56までをスキップ。即時発進状態を維持して待機」
「了解しました」
さっと体の向きをかえ、輝く金色の髪をなびかせて部屋を出ていく。
「女王さま」
口々に掛けられる呼びかけに、振り向いた美貌の女王はひと言だけ応えた。
「行ってきます」
管制室を出ると、アルメデは駆けだした。
彼女が近づくと、すべてのドアが次々と開いていく。
最後のドアを通ると、目の前に、観測機が待機していた。
胴体部には雷鳥と書かれている。
アルメデが近づくと、雷鳥の後部ハッチが開いた。
通路を通って研究室を兼ねた広い操縦室に入る。
部屋の中央に、シートベルトのついた座席が並んでいた。
普段は使わないが、急発進、急加速時に使うものだ。
アルメデは、室内にいた7人の白衣の男と1人の少女に命令する。
「全員、ただちに降機しなさい。カイネ、あなたもですよ」
「あなたはどうされるのです。女王さま」
機内にいた科学者たちが、口々に尋ねる。
「わたしは元帥を止めます」
「ならば、わたしたちも行かねばなりますまいな」
一番年かさの科学者が笑顔で言う。
「それは許しません。あなたたちは降機するのです」
「女王さま。失礼ですが、雷鳥の操縦をされたことは?」
「自動操縦で充分でしょう」
「だめです。爆縮弾は、起爆前からかなり強力な電磁波を出します。ですから専用に設計されたミサイル以外、自動操縦は使えないのです。わたしが操縦をいたします。この機で何度もミサイル実験をするうちに、すっかり操縦にもなれて、今回も軍人の世話にはなっておりませんから」
「そうです。女王さま。わたしたちに操縦はお任せください」
7人の科学者全員が搭乗を希望する。
「行けば死ぬかも――いえ、間違いなく死ぬのですよ」
「それは素晴らしい。高い城にいる人間で、あなたさまのために死ぬことを望まぬものはおりますまい」
初老の科学者は穏やかに笑う。
「どのみち、わたしたちが操縦しないと、雷鳥は飛べませんよ」
「あなたたち――」
アルメデは男たちを見渡し――悲し気に微笑むと、最高に優雅なカーテシーを見せた。
「感謝いたします」
再び、少女に向かって言う。
「あなたは降りなさい、カイネ」
「アルメデさま――」
「8時間後に、トルメアの全権がキルスに移ります。あなたは高い城に残って彼を支えなさい。これは命令ではなく、お願いよ。だから降りて――早く」
アルメデの強い口調にうなだれたまま、カイネはハッチへ続く扉へ消えて行った。
「では、いきますか、女王さま。わたしはクロイツと申します」
「わかりました――クロイツ、わたしのことはアルメデと呼んでください」
「では、アルメデさま。あなたさまのご命令で、発射手順のほとんどがスキップされているので、すぐに発進できます」
「では出してください。目的地は――」
アルメデは、アキオの研究所がある座標を告げる。
「了解しました」
ありがたいことに、クロイツは、なぜ彼女がミサイルの目標地点を知っているのか尋ねなかった。
アルメデは続ける。
「元帥のミサイルと、この機の速度差は絶対的なものです。ですから、すぐに出発して目的地近くで、爆縮ミサイルを処置する必要があります」
「撃墜するということですか」
「ええ。できますか?」
「はい。この雷鳥には、各種観測装置が搭載されています。中には、出力を変えるだけで武器になるものも多数ありますから。さあ、お座りください」
そう言ってクロイツは操縦席に座った。
促されて、アルメデは、他の科学者たちと共に部屋中央にある座席に座る。
壁に点灯する表示を見て、シートベルトを着用した。
前方を見る。
雷鳥進行方向の発進扉はすでに開けられていた。
「では――行きます。離陸」
クロイツの言葉と共に、かなりの加速度で雷鳥は発進した。
しばらくすると加速がおさまり、シートベルト着用シグナルが消える。
「アルメデさま、ミサイルとの会敵点を逆算して速度を設定しました」
振り返らずにクロイツが言う。
「時間は?」
「本機は鈍足ですので、32分後です」
「わかりました。それまでに準備を終えましょう」
「アルメデさま、通信が入っています――キルス宰相から」
「繋いでください」
スクリーンにキルスの秀麗な顔が浮かび上がった。
「女王さま、なぜこんなことを」
「説明しなければなりませんか」
「それは――いえ、必要ありません。今回の件は、スタンとカイネの共謀ですね」
「さあ、スタン単独の暴走じゃないかしら」
「カイネの姿が見あたりません」
「研究所にいるでしょう。先ほど降機させましたから」
「いいえ」
背後から声がして、アルメデは振り返る。
後部ドアの前にカイネが立っていた。