019.支援
注文を終わり、何気なく店内を見回しつつ会話を拾っていると、気になる言葉が聞こえてきた。
アーム・バンドを操作して、聴力を強化する。
「しかし、エクハート家の当主が捕縛されるとはね」
エクハート。それはマクスの家名だったはずだ。
会話は、背後の丸テーブルに座った男女のものだった。
さりげなく風体をみると、商人のようだ。この世界は服装で職業がだいたいわかるようになっている。
キイを見ると、もう立ち上がって、彼らに近づいていた。
「失礼。盗み聞きする気はなかったのだが、耳に入ってきたので、確かめたい」
「なんでしょう?」
毅然とした、見たこともないような美人に、いきなり男言葉で話しかけられたので、皆驚いている。
「あなたが、いまおっしゃったのは、青薔薇のエクハート家のことですか?」
「そうです」
「当主のデイル様が捕縛されたとか」
「そうなんですよ。謀反の意思あり、という疑いで今朝早くに。わたしたちも、さっき、このひとから――」
そういって、小太りの男を示し、
「うかがったばかりなんです」
「シュテラ・ナマドから来られたのか?」
キイが男に尋ねる。
「そうです。昼前から街ではその噂で持ち切りでしたよ」
「家族は?家族も捕らえられたのか?」
「お知り合いですか?」
「マクスと知り合いなんだ」
「ああ、あの方なら捕縛はされていませんよ。屋敷におられるはずです」
「そうか――」
キイは、危うく胸元を掴んで締め上げようとしていた男から手を放し、ため息をついた。
話を聞いて、アキオには、いくつか意外なことがあった。
マクスが上流階級であるのにも驚いたが、貴族令嬢でありながら傭兵団で働いていたのが不思議だった。
貴族の娘が、荒くれた傭兵集団で働く。
シュテラ・ナマドが傭兵中心の街だからだろうが、地球世界の基準で考えると考えられない話だ。
「こうしてはいられない」
男に礼を言って、席に戻ったキイは言った。
「シュテラ・ナマドに行くんだな。俺も行こう」
「いや、わたしだけで行く。アキオは、ミーナ姉さんから届く馬車の部品を受けとらなければならないだろう。受け取り場所は、シュテラ・ザルス寄りの荒野だから、シュテラ・ナマドは正反対の方向になる。それに、事態の収拾にどれくらい時間が掛かるかわからないし――」
そこまで言って、キイは、はっとする。
さっと頭を下げ、誓いを立てた時のように美しく伸ばした指を胸にあてて言う。
「申し訳ない主さま。あなたの承諾も得ずに、自分勝手に話を進めてしまった」
アキオはキイのまじめさに苦笑する。
が、同時に、階級のある世界で訓練された人間は、時に上からの明確な指示がなければ動きづらいのを彼は知っていた。
命令が必要なのだ。
彼は、下げられた頭に優しく手を置き、言う。
「キイ・モラミス。お前にこれからマクス・エクハートの支援を申し付ける。方法は自由、期間は支援終了までだ。急ぐなら、緑岩亭でザルドを借りていけばいい。俺は、馬車でシュテラ・ザルスへ向かうから、任務達成、あるいは援助要請の際には、そっちに来てくれ。居場所はわかるようにしておく」
「アキオ!主さま」
キイが恋する乙女のようなキラキラした目でアキオを見る。
アキオはもう一度、キイの頭をポンポン叩き、
「本当に、俺は行かなくていいのか?」
と、尋ねる。
「大丈夫。きっとマクスの力になって、事態を収拾するよ」
「無理はするなよ。困ったら、シュテラ・ザルスへ来るんだ」
「了解した」
そういって、キイは、店を出て行こうとし――
突然、心配そうな表情で振り返る。
「でも、アキオ……わたしがいなくて大丈夫かい」
「俺が?大丈夫か聞いたのはこっちだぞ?」
「いや、そうじゃなくて……独りで寝られるかな、と」
「何を馬鹿なことを言っている。早く行け」
「でも、でもミーナ姉さんとも話はできないし」
「しばらく話さないほうが気が楽さ。さあ、もう行くんだ」
「わかった。行くよ」
キイはそういうと、店を出て行った。
アキオはそれを見送ったが――
「しかし、これはどうするんだ」
そのすぐ後に届けられた、黒蜜果実のラルトと蒸し卵の砂糖掛けのクラウトを前に、途方に暮れることになった。
店内にいた、ちょっとふっくらした少女ふたりに甘味を食べてもらったアキオが緑岩亭に帰ると、キイはすでにシュテラ・ナマドに出発していた。
リースに尋ねると、やはりザルドを借りていったようだ。ここで借りた馬車やザルドは、シュテラ・ナマドにある特定の店に渡せば、わざわざ返しに来る必要はないらしい。
部屋に置かれた袋には、かなりの大金が残されていた。
キイの活動費が足りるか心配になる。
適当に脱いでいった彼の服は丁寧に畳まれていて、テーブルには、部屋備え付けの羽ペンで『ありがとうアキオ、わが主さま』と書かれた紙が置いてあった。
その後に、何か書いてから横線で消した跡がある。
読める部分から判断すると『愛してる』と書いてあるらしい。小さく可愛い字だ。
アキオは苦笑して、紙片をコートのポケットに入れた。
階下に降り、リースを見つけて話しかける。
「ここから、馬車で、シュテラ・ザルスまでどれくらいかかる?」
「今からなら、夜までには着けるでしょう。でも、お勧めはできません」
「なぜだ?」
「街の中間あたりでマーナガルの大群がでるからですよ」
アキオの脳裏に黒く大きな犬の姿が浮かぶ。
(雷球を飛ばしてくるあいつか)
「他には?ゴランは?」
「そんな怪物がでたら、街に警報が鳴りますよ。マーナガルだけです」
どうやら、ゴランはかなり危険度の高い魔獣らしい。
「今から宿を出ても問題ないか?」
「ええ、キイさまから明日の朝までの料金はいただいていますから。いただいた分はお返しできませんが。それでよろしければ」
「では、今から宿を立つ。馬車を用意させてくれ」
「かしこまりました」
荷物をまとめ、来た時のように、ザックを布でくるんで階下に降りると、玄関に馬車が用意されていた。
荷物を高い御者台に着けられた手荷物箱に入れ、ラピィのハーネスの具合を確認する。
キイからしつこく言われたチェック項目だ。
「また来る」
そういって手を振って出発する。
リースが深々と頭を下げて見送ってくれた。
三時間後、ラピィとの息も完全にぴったり合うようになった頃、前方に黒い塊が複数現れた。
マーナガルだ。
見える範囲で6体いる。
ゴランは馬車をひっくり返す怪力を持っているが、マーナガルにそんなことはできない。
何体いようが、牙はケルビの分厚い皮膚には歯が立たないし、雷球もケルビの体毛に散らされて影響はない。
つまり、馬車とラピィには、何の心配もいらないわけだ。
アキオは、ラピィに、道にそって進むように囁いて、やさしく身体をたたいてやる。
そして、荷物箱に入れてあった避雷器を取り出した。
金属の球が先端に着いた長い鉄杭だ。
これを地面に突き刺すと、雷球を大地に吸わせて消すことができる。
少し迷ったが、3本まとめて手につかむ。
今回は、アサルト・レイル・ライフルRG70は使わない。
この世界の傭兵に倣って、避雷器とキイの短剣だけで戦うつもりだ。
前回は、何の予備知識も用意もなく闘って、情けないことにカマラに助けられた。
あのようなことは二度とあってはならない。
実際に闘って、戦闘の勘を取り戻すのだ。
アキオは戦闘状態に精神のスイッチを切り替えた。
本来なら、魔法使いを隊に加え、雷球と火球で魔法を相殺させながら戦うのかもしれないが、前に見たこの魔獣の速さなら、避雷器さえあれば、なんとかなるだろう。
アーム・バンドに触れ、身体をナノ強化する。
今回は疑似コンバット・モードではなく、通常強化だ。
片手に三本の避雷器を握って、アキオはマーナガルの前に飛び出した。
コートの裾が翻る。
アキオの姿を見て、魔獣たちは2体を残して四方へ散った。
マーナガルの前で、すでに輝いていた複数の雷球がアキオに向かって放たれる。
舞うような動作で、アキオは地面に避雷器を突き刺す。雷球は金属球にあたり、霧のように霧散する。
その間にアキオは、前方のマーナガルの鼻先を殴って首を折り、後方の魔獣の心臓に短剣を突き刺し、抉った。
再び背後から襲ってくる雷球に対して、2本目の避雷器を地面に打ち込み、その金属球の上を足掛かりに空中高く飛んだ。
彼の目の前を4体のマーナガルが枝からジャンプして落下していく。
以前に経験したように、マーナガルは群れで行動し、木や崖の上からとびかかる習性がある。
今回も、先発のマーナガルがアキオを足止めしているうちに、左右の木から彼を攻撃するつもりだったようだが、魔獣たちの思惑は外れてしまった。
すでに、素晴らしいジャンプ力で、アキオが、枝から飛び降りた魔獣たちの上空にいたからだ。
マーナガルは、行動しながらでは魔法を発動できない。
静止して集中しないと、雷球を出せないのだ。
アキオは、彼らの上から、手にした最後の一本の避雷器を強烈なスピードで投げつけた。
射角とタイミングを調節したので、二体が同時に心臓を串刺しにされ、悲鳴もあげずに絶命する。
先に着地した一体の頭を上から踏みつぶす。
そのまま、利き足で、近くに降り立ったもう一体の頭を蹴りぬいた。
コートは血にまみれるが、黒基調のため、汚れは、はっきりとはわからない。
さらにアキオは地面に突き立った3本の避雷器を抜きとり、懲りずに襲い来る5体のマーナガルを、それらを使って殲滅した。
全身が血まみれだ。
戦いのスイッチが入ると、アキオは戦闘マシンとなる。
それは、かつて極寒のサイベリア戦線で『悪魔』と呼ばれて敵兵から恐れられた姿だ。
ほかに襲ってくる魔獣がいないことを確認しつつ、アキオは大きく息を吐き、残心する。
手を見ると、魔獣の血で真っ赤に染まっていた。
衝動に任せて殺戮したつもりはないが、胸の奥に固まっていた何かが溶けて流れ、静かに治まっていくのを感じる。
(この姿を見れば、キイも、カマラでさえ、俺を恐れるようになるだろう。しかし、おそらく、これが自分の本性だから、仕方ない)
アキオの脳裏を『愛してる』という小さく可愛い文字がよぎる。
頭を振って、雑念を追い払うと、アキオは避雷器を死体から引き抜いて血を振り払い、先行く馬車を追いかけた。
馬車の御者台に飛び乗る頃には、アキオの髪についた血も、コートを濡らした汚れもすべて消えていた。
ナノ・マシンで物理的な汚れは消える。だが――
アキオは再び手を見る。
今はシミひとつない綺麗な手だ。
しかし――
すでに俺の手は血まみれだ。
魔獣だけでなく、人も数多く殺めてきた。
おそらくこの手には、優しく愛らしい生き物を抱きしめる資格はないのだろう。
そう考えてから自嘲する。
何をいまさら。
300年前から、ずっと自分は戦闘機械、単なる人殺しの悪魔に過ぎないのに。