187.帰港
機銃掃射のような激しい銃声が響き始めると、トナルたちの近くを飛び交っていた銃弾の風切り音が途切れ始めた。
応急処置でアキオが投与してくれた超モルヒネが効いてきて、痛みが緩和されたトナルは苦労しながら体を起こす。
そして彼は、信じられないものを目にした。
樹林の間を、小さな黒い影が凄まじい速さで走り回りながら銃声を響かせている。
そのたびに、目につく敵兵が後方に吹っ飛ばされて倒れていく。
アキオという少年兵が、反撃を開始したのだ。
腕の長さが足りないため肩付けせず、片手で自動小銃を構えながら、地面だけでなく樹の幹を蹴って、残像が残る速さでジグザグに空中を移動しながら、機銃のように射撃を続けている。
信じられない身体能力だ。
魅入られたように、その光景を見つめていたトナルは、あることに気づいて驚愕の表情を浮かべた。
弾の発射音は連続だが、微妙にゆらぎがあるのだ。
つまり、少年兵は、弾を無駄遣いする連射ではなく、正確に一発ずつ撃つ単射を用いながら、機銃のように速く正確に敵を倒しているのだった。
アキオは、時折樹の陰に隠れると予備弾倉に交換し、さらに攻撃を続ける。
無数の敵が、彼を狙って発砲するが、そのどれも彼を捉えることができない。
人は、空中では止まることも向きを変えることもできないので、ジャンプ中は格好の的になるものだが、アキオはロープを結び付けた杭を樹に打ち込んで、空中で向きを変えることができるようだ。
それらを駆使して、彼は、まったく予測のつかない不規則な軌跡を残しつつ樹林を走り回り、着実に敵を倒していく。
しかし――
トナルは、ガルシアがアキオの所持弾薬は200発だと言っていたことを思い出した。
モルヒネの効果で霞む彼の眼にも、敵の数が明らかにそれより多いのはわかる。
すべての弾が命中したとしても敵は全滅しないだろう。
やがてアキオは、樹の陰に隠れて銃撃をやり過ごしながら、手にした小銃を幹に立てかけた。
ついに弾が尽きたのだ。
しかし、まだ敵は100名近く残っている。
「おい」
声をかけようとしたトナルは、少年が無表情なまま、大きすぎる軍用コートのボタンをはずし、内側から小型手斧を取り出すのをみて言葉を呑み込んだ。
アキオは、銃撃が散発になったタイミングで木陰から飛び出すと、怒涛の速さで兵士たちに襲いかかった。
素晴らしいジャンプ力で敵兵の胸元に迫ると、頸動脈を切り裂くと同時に胸を蹴って、毬のように他の敵兵に跳ね返り、同士撃ちを恐れて射撃できない兵士を打ち倒す。
まるで、小鬼が踊るように小さな影が空中を行き交うと、そのたびに身体防護服のカバーしきれない部分を切り裂かれて兵士たちは絶命し、大地が血に染まっていった。
なすすべもなく、敵は数を減らされていく。
アキオの血に染まった姿を見て、味方ながらトナルは背筋が寒くなった。
やがて、目に見える最後の一人を倒し終わると、アキオは呼吸を整えて、残存兵力の気配を感じようとし――誰もいなくなったことを確認すると小型手斧をひと振りして血を飛ばし、シースにしまった。
アキオは、ノイトとトナルを置いた場所に戻ろうとして、樹の幹に抱き着くようにして絶命しているガルシアを見つけた。
応戦している間に、敵の集中射撃を受けたようだ。
少年兵はガルシアの眼を閉じさせると、樹の根元に寝かせ、認識票を取って自分の首にかけた。
自分の銃にも使える弾倉を、ガルシアの弾倉帯から自分のものへと移す。
トナルたちのもとへアキオが戻った時、崖下から敵兵士が近づく音が聞こえ始めた。
先ほど威嚇射撃を加えた小隊がやってきたのだ。
「敵さんが近づいてきたようだな」
トナルが言い、
「わたしは移動できない。足を撃たれたからね。銃弾をわたしに渡して、君たちだけでも逃げてくれ」
ノイトが苦し気に言う。
「あんたが残るなら俺も残るさ。考えてもみろよ、おそらく俺も歩けないぜ。両手を無くしたんだからな。そにれ、俺みたいなデカい男をアキオが担げるわけもないし――」
ちょうどその時、東の空に照明弾が上がった。
アキオは、チラとそれに目をやると、おもむろに小型手斧を取り出すと、手近な樹に向かって一振りした。
直系20センチほどの樹が魔法のように切り倒される。
真っ直ぐな樹だ。
少年は、もう一度、斧を一閃させて、斬り倒した樹を2メートル半ほどの長さにし、枝をはらった。
直径20センチ、長さ2メートル半の丸太が出来上がる。
アキオは、それを切ったばかりの切り株に乗せかけた。
次いで、トナルとノイトのザックから軍用毛布を取り出し、丸太に巻き付け、ロープで括ってほどけないようにする。
「何をしているんだ。早く行かないと敵がやって来るぞ」
トナルが話しかけるが、アキオは無言のままだ。
少年は、毛布の固定を再確認すると、トナルの腰の左側に膝をついて、右足に手をかけ、身体の上で一回転して魔法のように大男を担いだ。
レンジャーロールという人を担ぎ上げるテクニックだ。
そのまま、トナルを毛布の上に置くと、体がずれないようにロープで固定する。
次に、ノイトに近づくが、彼はトナルほど体重がない上、片足をなくしているので、そのままファイアーマンズ・キャリイで担ぎ上げ、トナル同様、丸太に固定した。
「君は――何をするつもりなんだ」
ノイトが尋ねる。
「もうわかってるだろう?こいつは、俺たち二人を担いで、安全地帯まで連れて行こうとしているのさ」
トナルが呆れた口調で言う。
「バカな、そんなことができるわけがない。木とわたしたち二人で、少なくとも250キロはある。やめるんだそんな――」
ノイトの言葉は途中で途切れた。
アキオが、丸太ごとふたりを肩に担ぎ上げたからだ。
小柄な少年の身長でも、かろうじて男たちの身体は地面には当たらなかった。
「黙っていろ、舌を噛む」
抑揚のない声でアキオが警告する。
「大丈夫。彼なら300キロの荷物を担いで、30キロは余裕で行動できるから」
突然、女の声が響いて兵士二人は驚く。
「その肩に乗ってるのは戦闘補助AIだったんですね。T地帯で動いているなんて不思議ですが」
「AI――あんた、よく知ってるな。俺は、大学には行ってたが、ラグビーの特待生だったからな。勉強はからっきしなんだ」
「本当に黙らないと舌を噛み切るわよ。超モルヒネで痛みは感じないでしょうけど、ふたりとも大怪我してるんだから、黙って」
AIにたしなめられて、口を閉じた途端、アキオが風のように走り出した。
「これは――」
もの凄いスピードで流れ去る景色を見てトナルが唸った。
「信じられないですね、これなら本当に――」
「黙りなさい」
再びAIに叱られて、ノイトは黙った。
約1時間後、彼らは、T地帯を抜けた先にある安全地帯で、ザハスたちと合流した。
「あなた」
「あんた」
女たちが、お互いの相手に駆け寄る。
「マルコ、アキオ、木を切って毛布で担架を作れ」
ザハスが命じる。
「あんた、よく生きて戻ったね」
イカルは、汗で顔に張り付いたトナルの髪をかき上げて優しく言った。
「ごめんよ姉さん。帰ったら抱きしめるっていう約束は守れなかった。俺の手は――」
イカルは、無言でトナルを抱きしめる。
「生きてりゃいいんだよ。それに、あんたができなくても構わない。かわりにあたしがあんたを抱きしめるからね」
胸の上でトナルを見あげる赤髪の美女に向かって彼は首を振った。
「でも――この手では、傭兵は続けられない。かといってパン職人にもなれない」
イカルは、しばらくトナルの胸に顔をうずめていたが、やがて、顔を上げると小さな声で言う。
「あんた、あたしにパンの作り方を教えてくれないか。あんたの代わりにあたしがパンを焼く。あたしみたいな汚れた女でよければ、だけど」
「汚れた?姉さんみたいにきれいな人は見たことがない――姉さんこそ、こんな体になった俺でいいのかい」
「あんたがいいんだよ」
「姉さん――」
「いい雰囲気のところ悪いんだが、担架ができたから移したい」
マルコが優しい声でからかうように言う。
イカルが、さっと体を起こした。心なしか頬が赤いように見える。
「もう一人いた金貸しはどうしたんだい」
思いついたようにトナルが尋ねる。
「死んだよ。ついてなかったな」
マルコが事もなげに答えた。何かが起こったのだろう。
軍事行動ではよくあることだ。
「さあ、街に帰ろう。アキオが丁寧に処置をしてるが、あくまで応急だからね。きちんと治療して――街なら使いやすい義手も手に入るよ。パン屋を開いたら俺も買いに行くから」
「ありがとう」
マルコと入れ替わりにアキオがやって来た。
「様子を見に来てくれたのか。大丈夫だ」
あいかわらず無表情なアキオは、トナルに寄り添うイカルを見て尋ねる。
「専用の女になるのか」
一瞬、呆気にとられたふたりだったが、イカルが零れるような笑顔になって答える。
「そうさ。あたしはこの人の専用の女になる」
しばらく、ふたりを見つめていた少年は、軽くうなずくと、ノイトの様子を見るために歩み去った。
「変わった子だねぇ」
トナルの脳裏に、凄まじいアキオの戦闘能力が蘇るが口には出さないでおく。
「そうだ、あんた。ドレスデンの店には、あの歌が張ってあったんだろう」
「あ、ああ。母さんが好きだったからね。もちろん、俺も」
「誰も知らないんだけど、『地球の蒼い空』は、もともと手書きの文字で、地球に送られてきたんだよ」
「手書き?」
「ああ、紙に手書きされた詩の画像データだよ」
「モイロ・ゾルゲンホフ手書きの詩か。そんなの聞いたことがない」
「そうだろうね。だって、うちの家にしかないデータだからね。で、それを店に貼ろうじゃないか。あたしたちの店に」
「俺たちの、店」
陶然とした表情でトナルが言い、
「本当に、俺なんかでいいのかい、姉さん」
「あんたがいい。あんたでなきゃ嫌なんだ。あたしは、あんた専用の女になるんだ」
そう言って、再びイカルは、とナムの胸に頬を当てた。
「店の名前も考えないとね」
「その、実はもう決めてあるんだが、姉さんに任せるよ」
「あんたの考えている名前でいいと思うよ。たぶん、あたしの考えているのと同じだろうから」
「じゃあ、そうしよう」
「というのが、トルメアで一番有名なパン屋『地球の蒼い空』の誕生秘話なのよね、メデ」
「ええ、わたしが好きだったのは6代目のパンだったけど、やっぱり店には『地球の蒼い空』の手書きの詩がかかっていたわ」
そう言って、絶世の美女は、プラスティック・カプセルに入ったまま、彼女を取り囲んだ少女たちに微笑んだ。