186.負傷
「お前ら、用意はできてるな」
ザハスに見送られて洞窟を出たガルシアが、トナルたちに声をかける。
「先に、これからやることを教えといてやる。まず、向こうに見える崖のふもとまで進む。あそこに行けば敵の小隊が見えるからな。俺たちは、そこで敵に向けて銃をぶっ放すわけだ。別に当たらなくてもいい。要は、でかい音を立てて敵を引きつければいいってことだ。わかるな」
「は、はい」
トナルがうなずく。
「有利な点がいくつかある。まず敵は攻撃されるとは思っちゃいない。俺たちは、敵を見下ろして攻撃することになるから安全だし、奴らは、すぐには崖を登ってはこられないから、あわてず時間をかせぐことができるというわけだ」
「どのくらいの時間、耐えればよいのですか」
ノイトが尋ねる。
相変わらず落ち着いた表情だ。
「伍長たちが安全地帯まで移動したら、信号弾を打ち上げてくれる。ま、俺の見立てでは30分ほどだな。それが見えたら、俺たちは攻撃を続けながら脱出だ。ああ、それとな――」
ガルシアはにやりと笑い、
「俺やトナル、それにアキオは死んでもいいが、ノイトは殺すな、とのことだ。生きていれば20万の金になるからな、わかったか」
「りょ、了解です」
「わたしのことは気にしないでください」
ノイトが申し訳なさそうにする。
「そういうわけにはいかねぇんだよ。あんたは金づるだからな――一応確認しておくが、銃は撃てるな」
「はい2年間、兵役についたことがあるので」
「よし、では進むぞ」
ガルシア一行は、音を立てないように気をつけながら樹林帯を進んでいく。
思った以上に時間がかかった。
一般的にT地帯では、植物の発育が良くなり、獣道すらない事が多いのだ。
ノイトは、喘ぎながら振り返って、最後尾を歩く少年兵を見た。
改めて、こんな小さな子供を戦場に連れていくことに、どんな意味があるのだろう、と疑問に思う。
少年は、身長を超える長さの銃を抱え、頭に合わないヘルメットを揺らしながら、黙々と歩いている。
肩につけた大きなカメラの重さを感じさせない足取りだった。
「君は怖くないのかい」
ノイトに話しかけられても、少年は無表情だ。
「わたしは怖いよ、妻のもとへ無事に帰りたいからね」
「俺だって怖いさ」
ノイトの言葉に反応してトナルも口を開く。
「姉さんが、無事に帰って抱きしめてくれといったんだ。何とか生きて約束を守りたいよ」
「うるせえぞ、お前ら」
ガルシアが不機嫌な声で言い、ニヤリと笑う。
「いいことを教えてやろう。戦場では女々しいことをいった奴から死んでいくもんなんだ」
ノイトとトナルは顔を見合わせて黙り込む。
一行は、40分ほどで目的の場所に到着した。
「思ったより時間がかかったが、想定内の時間で到着したな」
機械式の腕時計に目を落としたガルシアがつぶやく。
「おいトナル、向こうに敵が見えるか?」
「はい、聞かされていたとおり、敵は一個小隊です」
「よし、十分後に攻撃を開始しようぜ」
そう言ってから、思いついたように、ガルシアは少年兵に尋ねる。
「おい、悪魔小僧。お前が受けた命令をいってみろ」
ガルシアに命じられ、少年が抑揚のない声で答えた。
「信号弾が上がるまで、攻撃には参加せず弾薬を温存、撤退時に殿をつとめて脱出せよ」
「やっぱりか――」
ガルシアは、近くの樹を殴りつける。
「確認だ。お前に俺の命令はどこまで通る」
「命令は受け付けない」
「お前の弾薬は」
「20連の予備弾倉を10本」
「くそっ」
「どういうことです」
トナルが尋ねる。
「俺たちは、お前のような新兵とド素人の集団だ。だから計画通りに行けば問題はないだろうが、もし計画が狂えば、俺たちは全滅するってことだよ」
「全滅……」
「本来なら大丈夫なんだ。悪魔小僧がいるからな」
「いったいこの子は何なんだね」
「前にいったろう、これは俺たちの武器なんだよ。夜間や密林なら二個中隊に匹敵する化け物だ。だが、それも弾薬が充分にある場合だ。いま、こいつは200発しか弾丸を持っていないといいやがった。つまり、ザハス伍長は、屋敷で別れた時に、ほとんど弾薬を持たされていなかったということだ」
「おまけに、伍長権限で俺の命令はきかないようになっているらしい、最悪だぜ。信用がないにもほどがある」
「あなたの命令を聞かない?」
「そうだ、もし、想定外の敵が俺たちを襲ったとしても、こいつは信号弾が上がるまでは戦わないということさ――まあ、悩んでいても仕方ねぇ。そろそろ時間だ。悪いことは考えずにぶっ放すか」
ガルシアは、言葉の最後を、独り言のようにつぶやくと、
「俺の合図で始めるぞ」
時計をにらみ、短く叫んだ
「射撃開始」
トナルたちは銃を撃ち始める。
上方から銃撃されて、敵は一気に隊列を乱した。
面白いように逃げ惑う。
しかし、新兵と素人の撃つ弾は、実際には、ほとんど敵に当たっていなかった。
唯一、ガルシアのみが着実に敵を倒していく。
少年は、銃を抱えたまま、じっと戦況を見つめていた。
時が流れ――
敵は散開して木陰に身を潜めていた。
散発的に銃を撃ってくるが、撃ち上げで命中させるのは至難の業なので危険はない。
「だいたい20分は経ちましたね、この調子だと、無事帰られそうです」
額から汗を流しながら、ノイトが叫ぶ。
「気を抜いちゃいけません。突然、戦況が変わるなんてことは――」
トナルは言葉を最後まで言えなかった。
突然、背後から始まった銃撃で、銃ごと両腕を吹っ飛ばされ、きりもみしながら地面に倒れる。
「トナルさん」
駆け寄ろうとしたノイトも、足に銃弾を受けて右膝から下を吹き飛ばされて地面に突っ伏す。
「畜生。どこかに隠れてやがったのか――アキオ、お前、索敵で見落としたな」
罵りながら、ガルシアが木陰から銃だけを突き出して反撃する。
少年は――アキオは、元の場所にはいなかった。
銃撃を受けると同時に、木陰に飛び込み、敵集団の規模を把握する。
一個中隊、およそ250人の武装兵だった。
使用火器は、オーソドックスな自動小銃だ。
身体の大部分を身体防護服で覆っている。
ガルシアは、叫びながら銃を撃ち続けていた。
彼我の戦力差を考えたら絶望的な状況だ。
「アキオ!」
弾倉を交換しつつ悪魔小僧を探すと、アキオは、木陰に引き込んだ、トナルとノイトの止血処理を終えたところだった。
「やれ、戦え、何をしてやがる」
だが、少年兵は、負傷したふたりの傍に膝をつき、じっと彼らの顔を見つめている。
徐々に発砲音と着弾が近づいてくる。
敵が迫ってきているのだ。
「アキオ。戦え!」
絶望的な気持ちでガルシアは叫ぶ。
悪魔小僧が、彼の命令を聞かないことはわかっている。
奴は、発令すべき人間の命令にだけ従う。
自分で何かを判断して戦うということはできないのだ。
アキオは、なおも負傷したトナルとノイトを見つめていた。
発砲後、すぐに止血処置をしたので、しばらくの間、失血死は免れるだろう。
彼がふたりを応急手当したのは、受けた命令に反しないからだ。
命令は、信号弾が上がるまで戦闘せずに待て、だった。
よって、戦うことはできないが救急処置はできるのだ。
徐々に着弾が近づくのを感じながら、アキオはトナルの腕を見た。
両腕とも肘から先を失った腕だ。
彼の脳裏にイカルという女がトナルを抱きしめた姿がよみがえる。
「帰ったら抱きしめておくれ」
そうイカルは言っていた。
人を抱き、抱かれるということが、どういうことか彼には分らない。
軍に入る前の幼い記憶が曖昧になっている彼には、人に抱かれた記憶がないからだ。
だが――アキオは、抱き合った時のイカルとトナルの顔を思い出し、胸に奇妙な違和感を感じていた。
再び、トナルの、止血帯に血がにじんだ腕を見る。
もう、この男は自分の手であの女を抱きしめることはできないだろう。
そして、足を失って倒れているノイト――マリーネという若い妻が、安心したように柔らかく微笑んで、彼の胸に頬を寄せる姿も彼にとっては不思議な光景だった。
人の胸というのは、それほど精神を落ち着かせるものなのだろうか。
わからない。
――おそらく、このままなら、自分もこのふたりも死んでしまうだろう。
だが、命令は命令だ。
信号弾が上がるまで闘うことはできない。
軍で、もっとも恐れるべきは規律の乱れだ。
命令には従わねばならない。
アキオは、銃弾の飛び去る音を聞きながら、負傷した二人を静かに見つめていた。
その時、ガルシアの叫ぶ声が少年の耳に飛び込んできたのだった。
「クソッ、クソッ」
何度も罵り声をあげながら、ガルシアは3点バーストで銃を撃ち続ける。
「何か、何か方法はないのかよ――考えろ、考えろ」
その時、僥倖のように、ハマヌジャン少尉の言葉が彼の脳裏によみがえったのだった。
〈ガルシア、お前、コッカスは知ってるか?知らないな。確か、あいつが死んですぐにお前が入ったはずだ。コッカスの奴は死んで重要なキィ・ワードを残してくれた。お前はアキオが嫌いだから使うこともないだろうが、もし、アキオをどうしても動かしたければそれを使え、必ず効くという保証はないが――〉
ガルシアは、その言葉を思い出し、アキオに伝わるように、ゆっくりと叫んだ。
「アキオ、このままでは俺たちは全滅する。俺たちは味方だ。友軍を救え!」
トナルは、横になったまま、痛みにぼんやりとした意識で少年兵が自分を見つめるのを感じていた。
そして――銃声に交じって、ガルシアの声が響くと同時にアキオの姿は彼の視界から消えたのだった。