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185.洞窟

()()詩人ゾルゲンホフのお孫さん――」

 マリーネがつぶやく。宇宙で詩を作った男の、吟遊詩人をもじった呼び名だ。

「そうさ。恥ずかしいから人には滅多にいわないけどね」

「恥ずかしいって、どうしてなの」

「あいつが人でなしだからさ。皆が(たた)える銀遊詩人さまは、子供を作るだけ作っておいて、地球から4.2光年離れたプロキシマ・ケンタウリbへ、30年の片道切符の旅にでた無責任な男なのさ。恋人を捨ててね」


「へぇ、あの銀遊詩人モイロ・ゾルゲンホフがねぇ。ま、天才詩人も人間だったということだな」

 ガルシアが笑う。


「そんなはずはない。何かの間違いだ」

 トナルが突然声を上げ、皆が驚く。

「間違いもなにも、あたしは孫なんだ。間違いないよ」

 イカルは言って大男を(にら)みつける。

 場が騒然とする中、銃を抱いた少年兵は無表情にその様子を眺めていた。


「さあ、馬鹿な話はやめて、食事が終わったらしばらく寝ろ。3時間後に出発する」

 ザハスが手を叩いて場を(しず)めた。


 彼の言葉で、それぞれが洞窟内の少しでも快適な場所に移動して横になる。



「それで、本当のところはどうなんだ」

 洞窟の岩壁にもたれて目を閉じたイカルの上から声が降ってきた。

 踊り子(ダンサー)が見上げると、トナルが壁に手をついて彼女を見下ろしている。

「なんだ、腰抜けか。あっちへ行っとくれ。あたしは娼婦じゃないから相手はできないよ」

「いや、そうじゃない。姉さんに聞きたいことがあるんだ」

 そういって、大男は、イカルの前にあった石に()()()と腰を下ろす。

「もちろん、あんたは、今まで見たこともないほどきれいな人だし、魅力的だが――」

「あー、もういいから。あたしは寝たいんだ。()()()()。だから用があるなら早くいっておくれ」

「わかった」


 傭兵はイカルの前で座りなおした。


 髭だらけの顔の中の、綺麗に澄んだ碧い眼が彼女を見つめる。

 その意外に幼く善良そうな光に、なぜかイカルの胸は苦しくなった。


「本当の話なのか――()()詩人ゾルゲンホフがあんたの祖母ばあちゃんを捨てたというのは」

「本当だよ。わかったら、向こうへいっとくれ」

「ダメだ、もっと詳しく教えてくれ」

「なんで、そんなにしつこいんだよ。あたしの身体が目当てなら――」

「違う、もちろん、さっきもいったが、あんたは綺麗だ。でも、俺は、今は本当のことを聞きたいんだ」

「どうしてそんなに知りたいんだい」

「俺の母親が『地球の蒼い空』が好きだったからだよ」

「あんたの――」

「母は、あの詩が大好きで、作業をしながらいつも歌っていたし、店にも歌詞を張り出していた」

「店って、なんの店だい」

「パン屋だ。俺の家は、ドレスデンでも結構有名な店だった」

「へえ、パン屋の息子が、なんで傭兵なんかに」

「俺は、今も昔もパン職人さ。こう見えて、なかなか良い腕なんだぜ。たまたま今傭兵なだけさ」

「えっ」

 イカルが美しい眼を見開いて吹き出した。

「どうやったら、パン職人が、あんたみたいなごっつい筋肉バカになるんだい」

「大学にいたころラグビーの選手だったんだ」

「へえ、大学ね。あんた結構インテリなんだ」

「そんなことより聞かせてくれよ、本当のことを」

「爺さんはあたしの祖母を捨てて惑星ボームへ行った、それだけさ」

「本当なんだな」

「うるっさいねぇ、何でそんなにしつこいんだい」

「うちのパン屋は、もともと親父が始めた店で、そこへ母が嫁いで、ふたりでパンを焼き始めたんだが――父が兵役で死んでからは、母が独りで店を切り盛りするようになった。俺も子供の頃から手伝ってはいたんだが、おそらく苦労も多かったんだろうな。俺が、夜、目を覚ますと、母がひとり店で泣いていることもあった。そんな時、彼女は『地球の蒼い空』を口ずさむんだ。母の口癖は『つらい時、悲しい時は、この歌を歌えば元気になれる』だった。あの歌は、遠い地球を()がれる歌詞だが、母は、これは愛する女性のことを歌った歌でもあると常々いっていた。あるいは、亡くした男性(ひと)を想う歌でもあると――」


 イカルは黙ってトナルを見つめた。

「あんたもそう思うのかい。あの歌が、別れた女を思う歌だと」

「俺は詩人じゃない、パン職人だ」

  踊り子(ダンサー)が、ふと笑う。

「どっちにも見えないけどね」

っといてくれ――だが、あの歌詞が遠く離れた愛しいものをうる詩なのはわかる。それが星であろうと、人であろうと」

「――」

「詩の中にある『頬を撫でる風』は、対象を星にしたら大地を渡る風だろうし、人と考えれば、恋人の甘い吐息になるんだろうな」

「あんた、見かけによらず詩人じゃないか――そうかい。女をうる詩でもあるのかい」

 イカルはしばらく黙り、

「そうだね。あんたには本当のことを教えるよ。あたしの祖母ちゃんは、プロキシマ・ケンタウリbへ片道切符で出かける男に無理をいって抱いてもらったのさ。子供ができたとわかったのは、あいつが出発したあとだった。祖母ちゃんは知らせなかったから、あいつは、最後まで自分に子供がいることも知らないままだったろうよ」

「姉さん、あんた――」

「でも、あたしは納得できなかった。祖母ちゃんは、女ひとりで、その後始まった大戦で苦労して、母さんだって貧乏で苦しんで――なのに、あの男は、快適な宇宙船で30年、たどり着いた星で作った詩が大人気になって銀遊詩人なんて呼ばれて――馬鹿らしいと思わないかい。いつも苦労するのは女なんだ」


 がば、と、トナルがイカルを抱きしめた。

「何するんだい!」

 イカルが暴れてトナルの腕を振りほどこうとするが、歴然とした力の差は如何いかんともしがたい。

「いや、姉さんが、泣き出しそうに見えたから」

 踊り子(ダンサー)は、しばらく、もがいていたが、やがて諦めたようにおとなしくなって言った。

「嫌らしいことするんじゃないよ。あんた、昨日ヤッテきたのに、もう女が欲しくなったのかい」

「違うさ」

 トナルはつぶやくように言い、

「姉さんみたいにきれいな人を、どうかできるとは思っちゃいない。ただ、なんだか寂しそうに見えたから――最近、気がついたんだ。人の体温(ぬくもり)が気持ちを落ち着かせるって」

「どうせ、娼館で教えてもらったんだろ」

 そう言いつつ、トナルの言葉に、ふと疑問がわいてイカルが尋ねる。

「あんた、年はいくつだい」

「二十だ」

 イカルは驚く。髭だらけの大男が、自分より十歳も年下とは思わなかったのだ。

「大学でラグビーをやっていたらもてただろう」

「ダメダメ、俺は顔が悪いし、店の手伝いが忙しかったから、女の子と付き合う時間なんてなかった」

「二十ってことは、あんた大学は――」

 言いかけて、イカルの言葉が止まる。

「ドレスデンって、まさか……」

「ああ、そうだ。大学も店もなくなった。第三期ドレスデン爆撃で――母もそれで死んだ。俺だけが合宿で街を離れていたから()()()()()()


「傭兵になったのは復讐するためかい」

「まさか――金をためてパン屋を始めるためだよ」

 トナルは乾いた声で笑う。

「でもダメだな。姉さんのいうとおり、俺は腰抜けだ。戦闘が怖くて怖くて――暇があれば女の胸に逃げ込んじまう。いや、そうじゃない、たぶん、俺は、ただの女好きなんだろう。でも姉さん、こんな俺でも、もう何人も殺しているんだぜ。この手では、もう、うまいパンは焼けないかもしれないな。自分だけの女を手に入れるのも無理だろう――手についた血は洗っても落ちないから」

 そう言って、大男はイカルの背に回した手をほどいた。


「もう落ち着いたな、姉さん。じゃあ、俺は行くよ、話が聞けて良かった」

 そういって、トナルは立ち上がり、うつむいたままのイカルに言う。

「今のは、抱擁ほうようじゃなく、ハグだぜ姉さん。でも、あんたみたいに暖かくていい匂いのする人をハグしていると、おかしな気分になるから、俺はもう行くよ。ありがとう」


 2時間後、ザハスの声が洞窟に響き、全員が集められた。


「ここから脱出する計画を立てた。知っての通り、ここはテミス地帯だ。他部隊と連絡は取れないし、救援も望めない。自力で脱出するしかないんだ」

 全員が不安な表情になる。

「さっき、アキオを走らせて、敵部隊の配置を見てこさせた。その情報をもとに、脱出ルートを作ったから、無事脱出できる確率は、かなり上がっているはずだ」

 その言葉に、皆がほっと胸をなでおろした。


 だが、男たちに向かってザハスが告げる。

「すまないが、手が足りない。男連中には手伝ってもらうぞ」

「わたしは嫌ですよ、危険なことは。したくもないし、する理由もない」

 即座にフォルスが言う。

「自慢じゃないが、わたしは銃撃が致命的に下手なんだ。わたしに銃を渡せば味方を撃つぞ」


「何をするんだい」

 イカルが尋ねる。

「作ったルートには、2つの敵小隊がいる」

「ちょっと待て。2個小隊ということは、100人ほどの敵兵がいるということじゃないか」

「良く知ってますね、フォルスさん」

 マルコが陽気に笑う。

「その敵小隊のうちの一つを、あなたたちに引き付けてもらいたいんです」

おとりということですか」

 ノイスが穏やかに言う。

「そうです。だが、何も無理に撃ちあうことはない。威嚇(いかく)して、そのまま引いてくれればいい」

 マルコも落ち着いた声で返し、

「では、編成をいうぞ」

 ザハスが手元のメモを見ながら言う。

「ガルシア、トナル、ノイト、それにアキオがおとりになってくれ。残りは直接脱出ルートを進む」


「あなた、危ないことはやめて」

 マリーネに止められながら、ノイトは上着を脱いで、シャツの袖をまくった。

「わたしはやるよ。それで君たちが安全に進めるのなら。それに、妻に勇気のあるところを見せるよい機会だからね」

 不安そうな妻の頭をポンポンと叩いて微笑む。


「あんた」

 トナルが呼ばれて振り向くと、イカルが立っていた。

「ああ、姉さん」

 イカルは強張こわばった顔で大男を見つめていたが、ぱっと彼に抱きついた。

「これは、お守りのハグだからね――あんた、金を稼いでパン屋を開業するんだろ。だったら、生きて戻ってくるんだよ。そして――戻ったら、今度はハグじゃなく、あたしを()()()()()おくれ」

 耳元でそうささやくと、抱きついた時同様ぱっと離れてトナルの背中を勢いよく叩く。


「よし、すぐに二手に分かれて出発する。荷物をもって、再度、ここに集合だ。大急ぎだぞ(オンザダブル)

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