184.逃避
「ああ、ついてねぇ。俺は、なんでこんなところに来ちまったんだ」
大柄な男が、銃を抱いたまま肩を震わせて怯えていた。
情けない声が、逃げ込んだ洞窟内に反響する。
「今さら何いってんだ。お前、傭兵だろうが――危険は覚悟の上だろ」
男を罵った後で、ザハスは辺りを見回し、舌打ちした。
壁の窪みに置いたライトの明かりに浮かび上がった人影は9人。
その中に民間人が4人いる。
うち2人は若い女だ。
こいつらは、まったく戦力にならない。
おまけに、兵隊の一人は臆病者ときている。
彼は、面倒な任務を押し付けたハマヌジャン少尉を、声に出さずに呪った。
今回は容易な任務のはずだった。
中央アジア高原に位置するカルギス国の首都、T地帯に囲まれたキメク市に潜入し、ある屋敷の隠し部屋に放置されている機密書類を持ち帰るか、それが無理なら屋敷ごと破壊する、隠密行動を得意とする彼らにとっては、容易く達成できる任務だ。
首都キメクは敵国トメルクに占領されているが、屋敷は首都の端に位置しているため、潜入もそれほど難しくはない。
T地帯では、200年前の戦争形態に戻って、ほぼ目視のみの索敵になる。
よって、敵に見つからないように、徒歩で首都周辺まで伸びているT地帯を進み、そのまま屋敷に入って、任務を遂行し脱出するはずだった。
予想外だったのは、屋敷に、カルギス国の民間人が隠れ潜んでいたことだ。
皆がそれぞれの事情で逃げ遅れたらしい。
「ザハス」
書類を探し出し、いざ屋敷を出るにあたって、分隊長であるハマヌジャンに名を呼ばれた時、彼は嫌な感じがしたのだった。
その予感は的中した。
「俺は資料を持って脱出する。お前は民間人を連れて行け」
「少尉、それはないでしょう」
ザハスは、部屋の隅で震えている民間人を見た。
親子ほどに年の離れた夫婦、妙に露出の多い服を着た女、そして服装も顔つきも詐欺師丸出しの痩せた男――こんなやつらを連れて、徒歩でT地帯を抜けられるはずがない。
「そういうな。今回の契約項目の一番下に書いてあるんだ。カルギス国民を見つけたら、できる限り脱出させるように、とな」
そして、小声で続けたのだった。
「一人当たり、20万アジアドルになるんだ。20万だぞ。というわけで任せた」
「しかし――」
「トナル、マルコとガルシアを連れて行け。トナルはまだ新兵だが、マルコとガルシアは歴戦の兵だ。これで安心だろう」
「4人ですか」
ザハスは呟く。
トナルは使えないだろうから、実質3人だ。
不服そうなザハスを見て、ハマヌジャン少尉は、彼の肩を叩いて続ける。
「安心しろ、お前には秘密兵器をつけてやる――」
そして、彼らは夜陰にまぎれて屋敷を出て、T地帯の森林を歩いていたのだが、いくつか不運も重なって敵に追われ、やっと見つけたこの洞窟に何とか逃げ込んだのだった。
「ザハス伍長」
赤髪のマルコが声を掛けてくる。
「いまのうちに食事にしましょう」
イタリア系の陽気なマルコは、腕も立ち、分隊のムードメーカーでもある。
「そうだな。おい、トナル、震えてないで、お前が運んでいるレーションを皆に配れ」
「り、了解しました」
ザハスは少し考えて、言う。
「そうだな――食料を受け取る時に、それぞれ自己紹介をしてくれ。屋敷では、そんな時間もなかったからな」
「わたしはノイト・ダニス、会計士でした」
最初にレーションを渡された夫婦の、髪に白いものが混じった亭主が、まず口を開いた。
「こちらが妻の――」
「マリーネです」
「えらく年が離れてるじゃねえか」
噛み麻薬の唾を吐きながら、ガルシアが尋ねる。
「ええ、わたしはこの年になるまで独り者でして……彼女は下宿の大家さんの娘だったんです」
「け、結婚して長いのかい」
トナルが羨ましそうな顔で聞く。
「式を挙げたのは1週間前です。彼女の父親が病気だったので、安心させるために急いで結婚したのですが――その直後に首都が占領されて……」
「父親は死んだのか」
マルコが問い、マリーネはうなずいた。
「それは気の毒にな」
次に、トナルは夫婦の隣に座る女にレーションを渡した。
整った顔立ちと妖艶な体つきをした赤髪の女だ。
年の頃は30前後だろう。
「あんたは?」
「メシをもらったら、話さないと駄目なんだろうね」
「当たり前だろう」
ガルシアが言い、
「いや、強制じゃない。いいたくなければ、黙っていればいいさ」
マルコが言葉を継ぐ。
女は小粋に肩をすくめ、
「あたしはイカル。踊り子さ」
「踊り子って、裸で踊る方か」
ガルシアの軽口に踊り子が吐き捨てるように言う。
「うるさいね、黙ってな、チンピラ」
「なんだと!」
「静かにしろ、ガルシア」
立ち上がった部下をザハスが叱りつける。
「で、あんたは」
マルコが、最後の男に尋ねる。
痩せて気障な顎髭を生やした男が答える。
「わたしは、フォルス――金融業をしていました」
「へっ、金貸しか」
ガルシアが鼻で笑う。
「正確にいうと違います、が、まあ、今はそうしておきましょう」
「持って回ったいいかたしやがって」
「これで、あなた方のことはわかりました。俺たちも名乗っておきましょう。まず、この人が――」
マルコがザハスを手で示す。
「この班のリーダー、ザハス伍長、そして俺がマルコ、食料を配ったこいつがトナル、そして彼がガルシア、以上だ」
「あ、あの――」
マリーネが小さく声を上げる。
「もう一人いる、あの子は?」
「ああ、あれは気にしなくていい。名前を呼んでも答えはしないから、覚える必要もない」
「彼も兵士なのですか。大きな銃とヘルメットをかぶっているが――子供でしょう」
ノイトが首をかしげる。
「そうだ」
「名前を知っておいたほうがいいんじゃないかね」
「こいつは、銃と同じ、俺たちの武器だ。お前らが、銃の名前を憶えても仕方がねぇだろう?それと同じだ」
ガルシアが笑う。
「武器って――まだほんの子供じゃないですか。役に立ちますかね」
フォルスが疑わし気な声を出す。
「すぐにわかるさ。こいつがどれほどの悪魔小僧なのか」
「でも、気になるねぇ。教えなよ、なんて名前だい?」
イカルに尋ねられ、ザハスは答えた。
「アキオ、こいつはアキオだ」
少年は、自分が話題にされていても、まったく意に介さない。
表情を変えないまま、胸に抱いた銃に頬をあて、遠くを見ている。
肩には不格好で、大きな監視カメラのようなものを乗せていた。
ハマヌジャンが作った簡易型戦闘補助AIだ。
T地帯では、電子機器は使えないはずだが、ハマヌジャンの工夫で、このAIはT粒子の影響を受けずに動いているらしい。
無口無表情な少年兵の姿を見て、ザハスは、彼らの疑問はもっともだと思った。
彼自身も、この、アキオという名の兵器の性能に疑問を抱いていたからだ。
ザハスは、数年ぶりに会ったハマヌジャンに引き抜かれて、この傭兵部隊に来た。
今回が、この部隊での初任務だ。
噂では、幾度となくハマンジャンの悪魔小僧の話は聞いていたが、実際にそれが機能する姿を見たことはないのだ。
「しかし、羨ましい」
トナルがレーションをかじりつつ、夫婦を見てため息をついた。
「俺もあんたみたいに俺専用の女が欲しいよ」
大男の言葉にイカルが反応する。
「はい無理だね。女を道具扱いしている時点で、あんた専用の女なんて生涯やってこないさ」
「なんだと!」
「よせよせ、決まった女なんて面倒なだけだぜ。流れ者には女はいらねぇよ」
「お前、一昨日、任務の前に女を買いに行ってきたんじゃないのか」
マルコが指摘する。
「ああ、行ってきたよ。俺みたいな男でも優しくしてくれる、天使みたいな女だった」
「ケッ、場末の娼館で天使たぁ笑わせるぜ」
ガルシアが鼻で笑った時、
「黙りやがれっ」
洞窟に響くザハスの怒号に、皆が縮みあがった。
「なりたくて娼婦になる女、いたくて娼館にいる女はいない――それに、彼女たちは、ある意味俺たちの戦友だ。友軍を馬鹿にする奴は俺が許さない」
「いったい、どうしたんだ、伍長さん」
マルコが心配そうに声をかける。
「男が、娼婦に同情する理由はふたつだけさ。馴染みの女に惚れるか、家族か幼なじみが売られて働かされ――」
「黙れ」
イカルの言葉を遮ってザハスはもう一度怒鳴ったが、今度は前より元気のない声だった。
それで、その場にいる全員がイカルの言葉が正鵠を射たことを知ったのだった。
しばしの沈黙の後、静かな歌声が洞窟内に響き始めた。
トナルが歌を歌いだしたのだ。
外部に漏れないよう、小さな歌声だったが、容姿に似合わぬ、落ち着いた美しいバリトンだった。
それに、マリーネが合わせて歌い始める。
「地球の蒼い空」は、兵士、民間人の区別なく、人気のある歌なのだ。
やがて、ひとり、またひとりと声が重なり、洞窟内に静かな歌声が溢れていき――
「やめておくれ!」
女の叫びで歌声は止まった。
「どうしたの?」
マリーネが、イカルの肩を抱く。
「その歌は嫌いなんだよ」
「嫌な思い出でもあるの」
ぷいと横を向いて腕を組んだイカルに穏やかに声を掛ける。
「きれいな歌詞の、良い歌なのに」
「なにがきれいな歌詞なもんか――クズが作った詩さ」
「振られた男が好きな歌だって、ってか」
ガルシアが、からかい口調でいう。
イカルは、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「あたしの名は――イカル・ゾルゲンホフ」
「ゾルゲンホフ?聞いたことがあるな」
マルコがつぶやき、
「あんたまさか――」
「そう、地球の蒼い空というクズ詩を書いたのは、モイロ・ゾルゲンホフ、あたしの爺さんなのさ」