183.推理
中央パンゲア事件から28年が過ぎた。
トルメア王国は拡大を続けている。
すでに、南半球の旧オーストラリア大陸を手に入れ、東ユーラシア大陸のすべてと西ユーラシア大陸の大部分、旧アフリカ大陸の北部を手中に収めた。
小国を除いて残っているのは、スカンジナビア半島および地中海沿岸部に拠点を持つ古ノルド王国と、中央・南部アフリカのアンマ共和国のみとなっている。
「それでは、まだ古ノルド王国とは、水資源分割案で折り合いがつかないのですね」
「はい」
アルメデの言葉をキルスが肯定する。
「しかし、それは想定内です。今後は食料関連の関税引き下げを用いて、我々の思惑通りに条約を締結できると思います。そうしないと、また我が国に侵攻しかねませんから」
「面倒ね――」
古ノルド王国は、120年前に、かつてのヨーロッパ連合を併合して建国された君主国家だ。
国家間の問題を、すぐに武力で解決しようとする狂犬のような国なので、トルメアとも局地紛争が絶えない。
「確かに面倒な国です。いっそ、強制的に併合すべきかもしれません」
「でも、あの国の機械化兵は、なかなか手ごわいでしょう」
「そうですね。今、まともに全面戦争をしかけても、負けることはないでしょうが、お互いに経済的な損失が大きすぎます。戦争後に併合しても、国力を立て直すの二十年はかかるでしょう」
「では、しばらく不毛な話し合いを続けなければなりませんね」
「そのようです。そこで、次回の折衝での駆け引きですが――カイネ」
「はい」
宰相に、常に影のように寄り添う美形の少女がファイルをキルスに手渡す。
キルスがファイルに目を通している間、アルメデは、透明さを感じさせる澄んだ美しさが際立つ少女を見つめた。
少女――アルメデは微笑する。
本来、その呼び名は彼女に失礼だろう。
もうカイネは80年以上生きているのだから。
しかし、見た目だけで言えば、まだ幼さの残る17歳の少女なので、ついそう思ってしまう。
そして、彼女は有能だ。
エヴァの助手として王宮に勤め始めたころから頭の回転が速く、秘書としては理想的な女性だったが、年を経るにつれて、さらに能力に磨きがかかっている。
エヴァの養女でもあるカイネを、アルメデは妹のように感じていた。
少し心配なのは、スタンの部下であったメイヒルズが死んでから、カイネが、時折、放心したような表情を見せることだ。
早く彼のことを忘れて、新しい恋を見つけて欲しかった。
そう考えて、アルメデの微笑が苦笑に変わった。
それが容易でないことは、彼女が一番よく知っている。
2回と少ししか会っていない人を100年近く想い続けているのだから。
少しというのは、モールス符号で会話したことを指している。
心配事はもう一つある。
カイネとスタンが、メイヒルズを殺した犯人をアキオだと考えていることだ。
彼女を復活させる研究に没頭するアキオが、そんなことをするはずもなく、ミーナからも、そのような事実はないと断言されているのだが、いくら説明してもふたりは納得しない。
スタンは、初めからアキオを嫌っていたし、カイネも延命措置を受けた時の経験で、彼を信用できない人間だと考えている。
人の相性というのは不思議なものだ。
アルメデは心密かにため息を漏らす。
彼女など、初めてアキオを見た時から惹かれているというのに。
アキオのように、良くも悪くも存在の大きな人間が、愛されること多く、憎まれること多いのは、仕方ないのかもしれない。
思えば、彼と出会って長い年月が過ぎ去った。
ミーナの話では、未だにアキオは彼女のことを知らないらしい。
研究の突破口を見つけられず、精神的に追い詰められているアキオは、言葉の説得を受け付けなくなっているそうだ。
「こうなったら、もう、こっちへやって来て、メデ」
先日のミーナの言葉だった。
「そして、あなたの温かい身体で彼を抱きしめて欲しいの――そうしないと、彼は壊れてしまうわ」
抱きしめる――
そう考えると、彼女の思考は停止してしまう。
子供の頃、抱きしめられて空を飛んだ感触は、今も彼女の記憶に鮮やかだ。
あともう少し――古ノルド王国とアンマ共和国の危険な牙さえ抜いてしまえば、適度に管理された食料、水資源が世界を循環し、地球は適切な緊張感を保ったまま平和な惑星となる。
その道筋さえつけば、自分はトルメアに必要ではなくなる。
彼女の命を救って消えて行ったアダムとその妻エヴァに誓った、平和な世界を作るという約束も果たせるのだ。
後はキルスに任せても大丈夫だろう。
その日まで、あと少し――
「……女王さま」
「あ、ごめんなさい。もう一度いってちょうだい」
キルスが話しかけていることに気づいて、慌ててアルメデは返事をする。
その様子を見ながら、カイネも、先日のスタンとの会話を思い出していた。
「嬢ちゃん、やっと手がかりを手に入れたぜ」
久しぶりに顔を見せたスタンが、カイネの肩をつかむ。
「お久しぶりです元帥」
「その呼び名は好きじゃない。元帥なんてのは名誉階級だからな。仕事は全部、将軍どもが持っていきやがる――まあ、おれも90を超えた、というより、もうすぐ100だからな。機械化のおかげで、身体に不調はないが、最近は、頭にガタがきたのか、物覚えが悪くなっていけない。だが――」
そういって、スタンは、顔に皺こそ増えたものの、生き生きとした目を怪しく輝かせて続ける。
「メイヒルズを奪われた悔しさは覚えているぜ。さっきもいったように、元帥はやることがないんで時間が余ってる。権力もそこそこある。それを使ってずっと調べ続けていたのさ」
「パンゲア事件の手がかりですか」
「ああ」
「こちらへおいでください」
そういって、カイネは、宰相の執務室に隣接している秘書室へスタンを導いた。
「お嬢ちゃんは、次元孔病って知ってるかい」
部屋に入って、椅子に腰かけた少女にスタンが尋ねた。
カイネは黙って首を横に振る。
「だろうな。俺も知らなかった。300年ほど前に発生した奇病だ。突然、人の身体に小さな穴が開き、それがだんだん大きくなって、やがて死に至らしめる。罹患数もそれほど多くなかったし、5年ほどでこの世から消えてしまった、まさしく謎の病気だったらしい」
「その病気が手がかりですか」
「まあ、聞けって。その病気は、名前に孔とついてはいるが、じつは身体が円筒形に削られていく病気なんだよ。実際には無くなったんじゃなく、別の次元に移動してるという説もあったようだが」
「まさか――元帥は、中央パンゲア事件は、それが大規模になったものだと思ってるんですか」
「そう考えるのは少し無理があるよな。300年前の一時期に現れた奇病が大規模になって、軍隊ごと消し去る、なんてな。俺もそう思うよ。だが、もうひとつ、俺は、こんな情報も手に入れたのさ。古い資料でな。300年前の大厄災のおかげで資料が少ないから苦労したぜ」
スタンは、手にした袋から書類を取り出した。
「カヅマ・ヘルマン、300年前の科学者だ。資料の少ない、謎の多い人物だが、どうも、こいつが大厄災の元となったナノ・マシンを発明したらしい。知られざる天才ってやつだ」
「大厄災は、中央パンゲア事件とは関係ないでしょう」
「まあ、慌てるなって。それでな、カヅマ・ヘルマンは、どういうわけか次元孔病に興味をもって、色々調べて研究していたらしいんだ。完全なものではないが、論文もいくつか残ってる。でな、俺は順番が逆じゃないかと考えたんだ」
「逆?」
「ヘルマン博士は、次元孔病を研究していたのではなく、博士が次元孔を作り出した――」
「まさか、あなたは――」
「いやいや、さすがに、ヘルマン博士が300年間生きていて、突然、今では知る者も少ない次元孔を大規模に再現した、なんて思っちゃいないさ。だがな、もうひとつ、他の資料でこんなのを見つけたんだ。ヘルマン博士には助手がいた。その名をアキオ・シュッツェ、大厄災を引き起こした、俺たちも知る悪魔の本名さ」
「なんですって!」
珍しく少女が大きな声を出す。
「あまり大声は出さないでくれよ。今後のこともあるから、あまり他の奴に知られたくない」
「すみません――つまり、あなたは悪魔がヘルマン博士の理論を使って、300年ぶりに次元孔を生み出したというんですか」
「ああ、俺もあいつがトルメアの軍隊を狙って攻撃したとは思っちゃいない。おそらく実験が暴走したんだろう。あるいは狙いが狂ったか。中央パンゲアの、あの付近は、普段、無人だからな。次元孔病のことを考えても、ピンポイントに、狙った対象に孔をあけることができないんだろう。思うに、奴は軍隊を一瞬で消し去る武器を開発しようとしてるのさ」
「全部消滅させるなんて、そんな無駄の多い攻撃方法――狂ってる」
「確たる証拠はない。だが、俺が手に入れた状況証拠は、中央パンゲア事件の犯人が悪魔であることを示している。それに――お嬢ちゃんならわかると思うが、あいつの考えていることは俺たちには理解不能だ」
「そう」
カイネは、黒髪の青年の虚無的な瞳を思い出し、言った。
「そうね、彼の考えていることはわからない。そして彼ならやりかねない」