180.必然
「まずは、やつらの武具を使用不能にする」
「そうすれば、弓手の団も入札できなくなるからね」
「で、その方法だけど――」
マキイが、月あかりに照らし出される兵舎を見回し、指さした。
「あれだね」
マクスもうなずく。
「あれは、ケルビの厩舎で、その隣にあるのが武具庫だ」
どこの傭兵団でも武具庫は特徴的な形をしているからすぐわかる。
「見張りがいない。なぜ、あんなに無防備なんだろう」
「伯爵さまの城内にまで、攻撃を仕掛けるものがいるとは思ってないんだろうね」
マキイは、しばらく考えたのち、マクスを見た。
「すまないが、靴下を脱いでくれないか」
「え、靴下?いいよ」
そういって、彼は、スカートの裾を上げて、太ももの半ばまで長さのある靴下を脱いだ。
「あーシジマ、何度も悪いけど、質問よ」
再び、ミーナが声を上げる。
「なに?」
「あなたが履いていた靴下って、ニーハイソックスだったの?」
「え、なにそれ」
「さすがに知らないわね。膝上まで長さのある靴下を、地球ではそう呼ぶのよ。この世界の長いスカートの下で履いても意味がない気がするけど」
「それほど長くないよ。その頃の流行りで、スカート丈は短かったんだ。膝より少し上だったかな」
「そうだったの――」
そういってミーナのホログラムは、椅子の上で座り直し、正座して言う。
「シジマ」
「なに」
「今度、わたしがミニスカートとソックスを作って渡すから、着てくれる?」
「ああ、もちろんいいよ――アキオは喜ぶかな」
「たぶん、おそらく、喜ぶ――かも。アキオはともかく、わたしが見たいのよ。約束したわよ。さ、続けて」
マクスが渡した靴下を手にしたマキイは、ケルビ小屋に近づいた。
扉に鍵はかかっていない。
「見張ってておくれ」
「了解」
振り返って言う彼女にマクスは答えた。
マキイはそのまま小屋に入り、入り口横の柱の釘に靴下を掛けた。
20頭近くいるケルビの留め綱を外していく。
身に寸鉄を帯びない彼女をケルビたちは警戒しなかった。
小屋入り口まで戻った彼女は、マクスに囁く。
「これで準備はできた」
マキイは、懐から燧石を出すと火打ち金と打ち合わせ、手早く火を起こした。
マクスの靴下の太腿部分に火をつけると、扉を締めた。
「さあ、撤収だ。行こう」
そういって、パーティ会場へと戻り始める。
だが、ついていないことに、もう少しで弓手の団の敷地を出るというところで、数人の傭兵と鉢合わせしてしまった。
「誰だ!」
男たちは叫び、一斉に剣に手をかける。
「いやぁ、酔いを醒まそうとパーティ会場を抜け出したら、道に迷ってしまってね」
マキイが、如才なく事情を説明する。
「そうでしたか。しかし、ここは会場からかなり離れていますが――」
リーダーらしき男が、疑わしげにふたりを見る。
「それに、なぜ、あなたは靴下を履いていないのですか?」
「シロネ酒をこぼされてね。脱いでしまったんだよ」
「どうも怪しいですね。少し話を聞かせてもらってから、誰かにパーティ会場にまで送らせましょう」
そういって、マクスの腕をつかもうとする。
マクスは素早く体を返すと、自分より遥かに大きい男の脇をくぐり抜けざま、そいつの剣を抜き取った。
「もう面倒くさいよ。やっちゃっていいんじゃないの」
剣を構えながら不敵に笑う美少女に偉丈夫も苦笑いする。
「そうだね。やろう」
いうなり、マキイは、一番手前にいる男を殴り倒した。
「こいつら、敵だ。敵襲!」
マクスは、叫びながら剣で斬りかかってくる男の腕を薄く薙いで戦闘力を削いだ。
戦時ではないので、誰も鎧は身に着けていない。
つまり、腕力ではなく、純粋に剣の腕だけが勝敗をきめるのだ。
そして、マクスは剣の腕が立つ。
男の叫びに、敷地の至るところから男たちが湧き出てきた。
ふたりを取り囲む。
「何者だ。俺たちが弓手の団――」
最後まで言わさず、ふたりは男たちにとびかかった。
乱戦になる。
マクスは、一人の男の鳩尾を、手にした剣の柄で殴って気絶させ、その男の剣を鞘ごと抜き取った。
抜き身のままだと、簡単に殺してしまうからだ。
そのまま鞘でごと兵士を殴り倒していく。
マキイも、素手で殴り倒した男から剣を抜き取って、蛮族のように鞘ごと剣を振り回して激しい攻防を繰り広げている。
しかし、さすがに多勢に無勢の不利は否めず、時間とともに、徐々にふたりは押され始める。
「こっちだ」
人の少ない樹林に向かってふたりが走り始めた時、待っていた事態が発生した。
マクスの靴下を少しずつ焼いていた火が、シロネ酒の部分に達したのだ。
アルコールの力を得て、一気に炎が燃え上がる。
その火は、建てられてより時が経ち、乾燥していたケルビ小屋の棟木に一気に燃え広かった。
利口な生き物とはいえ、ケルビも動物だ。
火を恐れて、留め綱から逃れようと走り出すが、あらかじめ、マキイが綱をほどいていたため、その勢いのまま小屋の壁を突き破って、20頭のケルビが八方へ走り出した。
燃え上がる炎と小屋が破壊される轟音に男たちが驚く隙に、ふたりは、無事、傭兵たちの目から逃れて、樹林の陰に走り込むことができた。
そのまま、木に登って様子を眺める。
弓手の団の陣地内では、予想以上の混乱が生じていた。
ケルビの一頭が、酒保の裏手の建物に突っ込んだ。
取り乱した、巨大な生物の一撃で木造の建物は全壊し、湯気と共に、中から全裸の男たちが転がるように逃げ出して来た。
気の毒なことに、湯につかって寛いでいるところへ突然の災難が降りかかったのだ。
酒保にもケルビは突入し、酔っぱらった傭兵たちが、事態を理解することもできず宙を舞っている。
今や、ケルビ小屋とそれに連なる武具庫も燃え上がり、その炎に明るく照らされた敷地に、顔に疵のある男が目をまわして倒れているのが見えた。
しばらくその様子を眺めていたマキイがマクスを見た。
「思っていた以上の戦果だ。あの様子じゃ武器も全部だめだろうね」
「僕たち、弓手の団を壊滅させてしまったかも――」
「見る限り、大した怪我をした奴もいないから、いずれは立ち直るんじゃないかね」
ふたりは、樹林を抜けて城に近づき、近くで上がる炎と轟音に驚いて、パーティ会場からバルコニーに出て眺めている人々に紛れ込むことに成功した。
そのまま、野次馬とならずに、いち早く城を出て行く人々に交じって、馬車を使って別邸に戻って来る。
慌てる人々は、マクスが靴下を履いていないことに気づかなかった。
再び分かれて着替えを行い、広間に戻る。
「敵はとったね」
「そうだね」
うなずきあったふたりは、再び鏡に映る自分たちの姿を見る。
「あんたは可愛かったね、マクス。羨ましいよ」
ぽつんとマキイが言う。
「そんなの――見かけだけだよ。何をしても、中身は男だからね」
「でも心の中身は女じゃないか」
「うん。その通り――でも、女になることはできない。もし、このままの僕を好きだといってくれる人が現れたら――そんな人いるわけないよね」
「わたしも、いまさら小柄で可憐な女の子になることなんてできない。でも――もし、このままのわたしでいいって人が現れたら――」
「その人のために死ねるね」
同時に言って、顔を見合わせる。
「まあ、あり得ないことを考えても仕方ないよ」
「そうだね――でも、でも、もし――」
なおも言い募ろうとするマクスをおさえるように、マキイが言った。
「さあ、わたしは帰るよ。服をノランに返さないと」
「わかった。気を付けてね」
言ったあとでマキイは微笑む。
いったい、魔獣以外のどんな人間が、マキイを危険な目に合わせるというのだ。
「ありがとう、おやすみ」
笑顔でマキイは屋敷を出て行った。
「わかったわ。良い話じゃないの。あなたがいっていた、気持ちのいい話じゃないっていうのは?」
「素っ裸の男たちが、叫びながら宙を舞ってるんだよ」
「あ、ああ、なるほどね。かなり残酷っていうのはわかったわ――それで、最後のよくわからない話っていうのは?」
「結局、入札は立ち消えになって、本当は誰からの、どんな依頼だったかがわからないままだったんだ」
「全然わからないの」
「極北で消えた人捜しだったって話だけど」
「え、なんですって」
「魔獣の多い地域での人探しだから、腕利きの傭兵団が必要だったって話だよ」
「いつ頃の話なの」
「一年ちょっと前かな」
「妨害されて、銀の団がその仕事を受けなくて良かったかもしれないわね」
「どうして」
「時期から考えて、たぶん、それはカマラの捜索だからよ」
「あ、そうか」
「もし、銀の団が探索して、アキオと遭遇していたら、彼は敵としてあなたたちを――」
「危なかったなぁ――でも、考えて見ると不思議だね」
「何が」
「後になって、弓手の団を壊滅させたのが、マキイさんだってことがばれてね、あいつら銀の団にねじ込んできたんだよ。それを利用して、彼女を煙たく思っていた奴らが、死刑同様にあの人をゴラン退治に行かせたんだ。彼女は、ボクを庇って、何もわないまま――」
「そこで、彼女はアキオに会ったのね」
「そう。だから、いま、ボクたちがここにいるのは……」
「もともとは、アキオがカマラを連れ去ったから。つまり偶然ではなく必然ね」