018.練習
朝、目を覚ますと、アキオはしっかりとキイに抱きしめられていた。
彼女は、いつの間にか、寝間着に着替えている。
ひどく薄手の布なので、透けて見えはしないが、感触は着ていないのと同じだ。
「ん、ああ、起きたのかい、主さま」
アキオが動いた気配を感じてキイが目を覚ます。
「おはよう」
アキオは挨拶し、
「服を着替えたんだな」
と尋ねる。
「夜中に目を覚まして、水浴びをしたんだ。しばらく体を洗ってなかったからね。汚れてたら主さまに悪いだろ」
キイは起き上がり、可愛く横座りする。
アキオは、キイにナノ・マシンの説明をしていなかったことを思い出した。
「君の体には、まだナノ・マシンが残っている。だから、多少の怪我も治るし、何もしなくても体は清潔なままだ」
「そうなのか?どうりで、髪はサラサラだし、汗の感じもしなかった」
「服も汚れない。どちらかというと、体に接している部分がきれいになるな」
「わかったよ。便利だな。ナノクラフトは」
嬉しそうに笑うキイの顔を見ながらアキオは思う。
いずれ、彼女の体からナノ・マシンを抜き取る時も来るだろう。その時に困らないように、水浴びなどの、普通の生活はさせておいたほうが良いかもしれない。
カマラのように――
そうアキオは考える。
その後、二人で相談した結果、午前中は、キイから文字を教えてもらうことになった。
そろそろマクスから通行文が届くころ頃だが、それを使って旅をするにしても、アキオが文字を読めたほうが便利だからだ。
午後は、馬車を手入れしておこうということになる。
2日後に馬車のパーツが届くこともキイに伝えた。
ミーナとしばらく連絡が取れなくなることも――
「ミーナ姐さんと話ができなくなるのか!」
そのことを伝えると、キイが驚いたように言った。
「さっき呼んでみたが、もう通じなかった。しばらく連絡は無理だ」
「そうなの――」
キイが表情をくもらせる。
「ずいぶん、ミーナを気に入ったんだな」
「そうじゃない。いや、もちろん姉さんのことは好きさ、でもそれより――」
「どうした」
「いや、なんでもない。大丈夫だ」
キイは微笑んだ。
「そういえば、剣はどうするつもりだ」
朝食を食べに外出する前に、アキオはキイに尋ねた。
「どうする、とは?」
「君があの大剣を充分扱えるのは分かっているが、今の体格に比べたら、あの剣は見た目も大きすぎるだろう。もう少し小型の剣に変えたらどうだ?」
「それはそうなんだが……」
「あんな大きな剣を持っている者自体が珍しいだろうし。まあ剣から君の素性がばれるとは思わないが、用心するのに越したことはないと思う」
「だが、良い剣は高いんだ」
「そうか」
アキオはうなずく。
馬車の装備が届けば、その装置で加工することもできるだろうが、今は無理だ。
アキオはナノ・ナイフを取り出す。
「だったらこうしよう。このナイフは鞘ごと刀身を伸ばすことができる。今から加工するから、それを君に渡しておこう」
「アキオは?」
「俺は基本的に剣ではなく、銃で戦うからな」
「銃、あの杖だな?」
「そうだ、それに俺の時代の近代戦闘では、白兵戦になれば、槍や剣ではなく銃剣術で戦うことになる」
「はく――何だって?」
「闘うときは、あの杖にナイフをつけて槍のようにして戦うんだ。だから、君が売らずに残しておいた短剣を代わりに貸してくれたら、それをちょっと加工して銃につけることができる」
キイは少し迷ったようだが、あきらめたように言った。
「まあ、アキオがいいというなら、そうするよ」
そう言って短剣を渡す。
アキオは、アーム・バンドで、ナノ・ナイフの刀身を伸ばすよう命令を与える。
金属なので、2,3分でできるというわけにはいかないが、予備の混合金属粉末をかけて、ヒートパッドに包んでおけば、朝食後にはできているだろう。
2人はコートを着込んで、宿屋を出た。
早朝のため、まだ外気は寒い。
吐く息が白かった。
天気は曇りだ。
少し歩いて、昨日とは違う店で朝食をとる。
そこでは、火を通した暖かい卵料理と肉料理を出してくれた。いわゆる、ベーコン・エッグだ。それに、例の固いパンと黄色いフルーツがついている。
それらを笑顔で食べるキイを見て、アキオも微笑む。
楽しく美味しそうに食べることができるのは、ある意味才能だ。
彼自身は、自分にその才能がないとわかっている。
彼にとって食事は単なる栄養補給だからだ。
食事のあと、昨日見つけておいた雑貨屋に寄った。
この街には独立した本屋というのはないようだが、こういった店に、何冊かの本が置かれているのだ。
キイに手伝ってもらって、数冊選んで買って帰る。
驚いたことに、すでにこの世界は活版印刷技術が普及しているようで、本はそれほど高くはなかった。
新聞や雑誌のような定期刊行物はないようだ。
部屋に戻ると、ナノ・マシンで脳を活性化させて、キイに頼んで本を読んでもらう。
予定通り、午前中いっぱいを使って、文字を覚えるつもりだ。
あらかじめ聞いた話だと、サンクトレイカの文字は表音文字らしいので、覚えるのにさほど苦労はしないだろう。
アキオの母国の日本や中国などのように、文字自体が意味を持つ表意文字だともう少し苦労するのだが。
言葉を教えてくれた時と同じように、キイは根気良く文章を読み、アキオの質問に答えてくれた。
面倒で退屈な作業なのに、笑顔で応じてくれる彼女にアキオは深く感謝する。
昼前には、ほぼ問題なく本が読めるようになった。
「相変わらず凄いねぇ」
キイが感心する。
「君だって、同じくらいの早さで外国の言葉を覚えられるはずさ」
「じゃあ、今度、あんたの国の言葉を教えて欲しい!」
「そんな覚える意味のない言葉より、他の国の言葉を覚えた方がいいだろう?」
「意味がないことはないさ。覚えたいんだ」
キイが可愛い口をとがらせる。
「わかった、君が覚えたいなら」
「約束だよ!」
キイが、ぱっと顔を輝かせてそういった時、扉をたたく音がした。
用件を尋ねると、
「早文が届いています」
と、声がする。
扉を開けると、封筒のようなものを手にしたリースが立っていた。
「ありがとう」
キイが、それを受け取って扉を閉める、ミニナイフを取り出して封を切る。
かつてアキオの唇を切ったナイフだ。
「通行文だ」
そういって、中から紙を取り出す。
「こっちがキイ・モラミス、わたしのだな。そして、これがアキオ・シュッツェ、あんたのだ」
一枚をアキオに渡す。
「助かるな。これで、いろいろなシュテラに入ることができる」
「マクスに礼を言わねばな」
「では、次はシュテラ・ナマドに行ってみるか?」
「いや、あそこは知り合いも多いし、行く必要もないと思う。近くまで行って、マクスに礼を言うだけでいい」
「そうか」
アキオはうなずき、
「そうだ、君の剣だ。そろそろできているはずだ」
そういって、布に包まれてベッドの上に置いてあったナノ・ナイフ、今はマキイの剣、を手に取った。
布を開くと、見事に鞘と共に刀身が伸びていた。
アーム・パッドで行った設計どおりに刃も細くなり、いわゆるレイピアのようなスタイルになっている。
かけておいた金属粉は、すべて吸収されている。
「打撃用の刀にできなくてすまない」
アキオは、キイの大剣を思って謝る。
「問題ない、この剣なら、テクニックと体さばきを活かせる。何より、この体に合っているからね。嬉しいよ」
そういって、キイは剣を鞘ごと腰につけてバランスを見る。
「いいね。動きやすい」
何度か抜剣し、素振りする。
「剣自体のバランスもいい。さすがはアキオの剣だ」
昼食は、朝とは違う店で食べた。
その店は、煮込み料理が主体で、寒風で冷えた体を温めてくれる。
「午後はどうする」
食事が終わって、満足そうなキイが尋ねた。
「シュテラ・ナマド経由で荒野に行き、ミーナが送る馬車の部品を手に入れるとして、俺もケルビを操れたほうがいいだろう」
アキオがそう言うと、
「そうだね。アキオに馬車の操車を教えるよ」
キイはうなずいて、笑った。
「頼む」
宿屋に帰って、裏手の馬小屋からケルビを引き出し、広い庭に置かれた馬車につなぐ。
背の高いケルビを操るために、かなり高い位置にある御者台に並んで乗る。
アキオは、前と同じように、ケルビの首に掌を当てる。
「いいかい、アキオ、鞭は――」
「使わない、だろ。分かっているさ」
キイは、時に優しく、時に鋭くケルビに声をかける。
馬車はゆっくり動き出す。
「騒音が激しくて、声が聞こえない時だけ、平手でやさしく叩いてやるんだ。それで言うことをきくはずさ」
まずは広い庭の中で、馬車を操る。
「そうそう、ラピィは耳もいいから、あまり大声をださなくてもいいんだ」
「ラピィ?」
「この娘の名前さ」
「メスだったのか」
「女の子、だよ」
「了解だ」
ふと思いついて、アキオは尋ねる。
「ラピィの餌はどうなってるんだ?」
ゴランとの戦闘からこの街に着くまで、そして、この宿の厩舎でも、ケルビが餌を食べているところを見たことがなかった。実際、餌らしきものも置かれてはいないのだ。
ほかに数頭いるケルビも同様だ。
水だけは細長い桶のようなものに入れられて、いつでも好きに飲めるようになっている。
「ああ、言わなかったね。ケルビは半年に一回食事するだけなんだ。その時にたくさん食べて、体に栄養を蓄えるんだよ。だから、手入れと言っても、定期的にノノシ草で体をこすってやることと、水をやることぐらいなのさ」
はじめは、発進と停止すら難しかったのが、2時間たらずで、かなり高度な操車ができるようになった。
「いいねぇ、ナノクラフトは」
キイがため息交じりに言う。
「わたしなんか、1年ぐらいかかったのに」
「確かに、練習を延々と繰り返さずに済むのはありがたいね」
「さあ、これで、あんたはひとりで馬車を操れるはずだ。どこにでも好きなところにいったらいい」
キイは高らかに言い、
「だが、そのまえに、何か食べないか?」
そういって頬を染める。
「腹が減ったのか?」
「そうはっきり言わないでおくれ、主さま」
馬車とラピィを戻し、キイと並んで屋台をひやかしながら歩いていると、いきなり前に人影が立ちはだかった。
大きな男だ。
身長はアキオと変わらないが、横幅が二倍近くある。
「なんだ?」
アキオはつぶやいた。
男が言う。
「お前が連れてる女に用がある!」
「誰だ?知らない顔だが――」
キイが首をかしげる。
「昨日の夜、お前に怪我をさせられたんだよ。緑岩亭で」
覆いかぶさるように顔をキイに近づけ、目のあたりを指さす。
よく見ると、口の端と目の周りにあざがあるようだ。
どうやら、リースの言っていた、キイにつまみ出された連中の一人らしい。
だが、酔っていたキイは男を覚えていないようだ。
「知らんな。汚い顔を近づけるな」
そういうと、するりと男の前から抜け出して、アキオの背に隠れる。
アキオは男を無視し、キイを背に歩き出した。
彼女はアキオの腕にすがるようにつかまってついてくる。
(わざと乙女らしく振舞っているな)
アキオはおかしくなった。
「待てよ!」
男が背後からキイの腕をつかむ。
(まずいな)
アキオは、キイの瞳に暴力の炎がゆらめき、唇の端が軽く吊り上がるのを見て思った。
華奢な美人が大の男をなぎ倒す、というのは見ていて目に麗しいが、ここでは目立ちすぎる。
哀れな男は、自分が、ゴランに匹敵する力を持つ生き物の腕をつかんでしまったことに気づいていない。
昨夜は、酒のせいでキイに負けたと思っているのだろう。
「やめてくれ」
アキオは、素早くキイから男の腕を払いのける。
金で話をつけるのはキイが嫌がるだろうし、その金には彼女の財産も入っているだろうからアキオも使いたくない。
いっそ謝るか?
そう思案していると、
「何しやがる、このガキ!」
いきなり、男がアキオに殴りかかってきた。
ガキ、と呼ばれたのは270年ぶりだ。
考えるのが面倒になったアキオは、後ろ手で剣を抜こうをするキイの柄を抑えつつ、反対の手で男の顎を殴りつけた。
軍で遺伝子レベルにまで叩き込まれた近接格闘術ではない。格闘技レベルですらない。
ただ殴っただけだ。
もちろん、ナノ強化はしていない。そんなことをすれば、文字通り頭が飛んでしまう。
しかし、殴られた男は臍を中心として、見事に一回転した。
真っ逆さまに落ちようとする男の頭を、足の甲で受け止めて、そっと下ろしてやる。
「さあ、行こう」
気絶した男を残し、アキオは、人の集まりかけた通りを、キイの手を引いて足早に歩き去った。
「銃がなくても強いんだね、アキオ、いや主さま。まあ、分かってたけどさ」
キイが輝くような笑顔でいう。
「剣を抜こうとしていたな、キイ?」
「試してみたかったんだよ。主さまから預かった剣をさ」
「その呼び方はよせ」
アキオの言葉に、キイは陽気にあははと笑った。
「ああ、いいものが見られた。今日は良い日だ――さあ、ついたよ、この店だ」
彼女が指さしたのは、今朝、リースから甘味が美味しい酒場として紹介された店だった。
「この世界は酒場で甘味を売るのか?」
あらためてアキオは驚く。
「数は多くないが、そういう店はあるのさ。疲れて帰った男たちが甘いものを欲しがるんだよ。酒はもちろんだけど」
実際に、店の中には、女性も多かったが男の客も多かった。和やかな雰囲気だ。
甘味を挟んで男女が共に座って話せる空気がよいのかもしれない。
「何にするかな?楽しみだ」
しばらく迷ったあとで、キイは、ラルトという黒蜜のかかった果物に決めた。
アキオはキイに任せる。
彼女が気になるものを選んで、いっしょにそれも食べさせればよいのだ。
少々食べ過ぎたとしても、キイが太ることなどありえないのだから。