178.潜入
「4等傭兵団の弓手の団だって――サイラス伯爵の個人傭兵団じゃないか」
「そうだよ。マキイさんは、遠征から帰ったばかりで知らないだろうけど、いま、5等傭兵団の銀の団と次の仕事を取り合ってるんだよ」
「次の仕事?」
マキイが尋ねる。
シュテラ・ナマドのような傭兵街では、仕事の依頼は、直接団名を指定されるか、団の階級を指定した上での入札かのどちからになる。
大まかに言って、団名指定で出される依頼は難易度が高く、入札依頼は簡単なものが多い。
「そう。しかも特別の依頼だよ」
「特別って」
「女王さまの依頼さ」
「そんなバカな。王家の依頼なら1等傭兵団の仕事だろう」
「それが訳ありの仕事のようなんだ。表向きは、王家とは関係のない仕事として階級の低い団に向けて出されている。たぶん、1等傭兵団は、王家の事情に詳しいから避けたんだろうね」
「それをなぜマクスが――ああ、エクハート卿経由だな」
「そう、そしてサイラス伯爵も同じ経緯で知ったんだろうね」
王家からの隠密の依頼というのはたまにあり、それをきっかけに団の階級が上がることが多いのだ。
「つまり、王家の依頼を受けるために、うちの団に毒を蒔いたっていうのかい。だったら経理じゃなくて――ああ」
マキイが自分で言いかけて納得顔になる。
「そう、向こうも、銀の団の主力を削ろうなんて思っていないんだよ。ただ、少し入札の足を引っ張ればいい。そのためには、入札資料を作る経理を少し休ませるのが適当だ、そう考えたんだろうね。入札は明後日だから」
「でも――」
「そう、でも証拠がないんだ。だから、つかみに行くよ、尻尾を」
「尻尾をつかみに行く?マクス、弓手の団がどこにあるか――」
「知ってるさ、サイラス伯爵の巨大邸宅、通称サイラス城の中にある、それがいいんだよ」
マキイが、軽く首を傾げる。
「わからないねぇ」
「貴族のことは貴族に、だよ。マキイさん。エクハート家は、ずっと以前からサイラス伯爵に、パーティへ招待されているんだ。父はサイラス伯が嫌いだし、僕も行きたくなかったから断り続けていたんだけど……明日の夜、サイラス城でパーティがあるから、ボクは出かけるよ」
「でも、エクハートの嫡男は、銀の団の関係者だと知られているだろう」
「辺境に住むエクハート家の末端貴族としていくよ。田舎貴族が伝手を頼って都会で顔を売るのはよくあることだしね」
「あんたひとりじゃ危ない。わたしも行く――って、無理かね、やっぱり」
そう言って、マキイが大きな肩を落とした。
「方法はなくもないけど、問題が――」
「いいよ、やるよ、いっておくれ」
マクスはしばらく躊躇ったあと、計画を口にした。
翌日の日暮れ時、エクハートの別邸で、マクスはマキイを待っていた。
口の堅い別邸執事ロナス以外、人払いしてある。
やがて、扉がノックされ、ロナスにしたがってマキイがやって来た。
「やあ」
「やあ」
言葉は軽いが、挨拶を交わすふたりの表情は硬い。
「それじゃあ、用意をしましょう。マキイさんはその部屋で、僕はこの部屋で着替えるから、終わったら出てきてください」
「わかった」
マクスは、部屋に入ると服を脱ぎだした。
着替え終わって、鏡に映った自分の姿を見てため息をつく。
やがて、マクスは扉を開けて広間に戻ろうとして――ためらう。
ドアの隙間から広間を見ると、まだキイは出てきていないようだ。
意を決して扉を開けて外に出る。
彼と同時に、マキイも外に出ていた。
「マクス――」
「マキイさん――」
ふたりともお互いの姿を見て、絶句した。
が、やがて、おずおずとふたりは歩み寄る。
「なんだか――凄く素敵です、マキイさん」
「あんたも、まるでお姫さまみたいだ」
そういってから、二人は同時に横を向き、ふたつの扉の間に据えつけられた巨大な鏡を見た。
そこには、豪奢な金髪をひとつに束ね、貴族らしい礼服に身を包んだ偉丈夫の青年と、美しいドレスをまとった、栗色の髪をした可憐な美少女が並んで立っていた。
「マキイさん、その服は?」
「ノランという知り合いから借りたんだ。あいつはわたしより少し小さいだけだから――胸にはきつく布を巻いている。おかしいかい?」
「似合っていますよ――あ、ちょっといいですか」
そう言って、マクスは手にしたバッグから細い棒を取り出した。
「顔を近づけてくれますか」
マクスに促されて、マキイが膝をついた。
「そのままじっとしていてくださいね――よし、これでいい」
「どうしたんだい」
「マキイさんは女性ですからね。やっぱり、眉の形が優しいんですよ。だから、これで眉を描いて、少し男っぽくしました」
「そ、そうかい」
「ちょっと待って!」
「何だい、ミーナ」
「これは、ここだけの話なんだけど――」
「うん」
「キイの、もとの顔って、どんなだったの」
「あ、そうか、ミーナは見たことがないんだね」
「ええ」
「えーっとね、顔の輪郭はダンクみたい、ヴァイユの父上だね――鼻はピアノに似てたな、もっと大きいけど。それでね、目は、今のキイの眼をもっとキリっと鋭くした感じで――口元はアキオみたいな感じかな」
「ちょっ、ちょっと待って、それって、すごい美形じゃないの」
「うん、すごくハンサムな顔だよ。なんていうか――男らしい顔。だから本人は嫌っていたね」
「――そうだったの」
ミーナの声のトーンが下がる。
女性の身で、たくましい身体、そして男らしい顔つき――
かつて、キイは、母親が自分を化け物と呼んでいたと言っていた。
「彼女は、男性からも女性からも敬遠されていたのね」
「あ、うーん。男は自分より逞しくて綺麗な人間と一緒にいたがらないし、女性はマキイさんの大きさを怖がったから」
「わかったわ、続けて」
「あんた、その服――夜会服じゃないか。いいねぇ。それに髪も――どうしたんだい、それ」
マキイがマクスを見て上ずった声を出す。
「服はロナスが手に入れてくれたんです。妹のアステラ御用達の店でね。髪は鬘ですよ。暗緑色の髪だとエクハート家直系の人間だとばれますから。ともかく、これでマキイさんにエスコートしてもらって、パーティに出ることができますよ。いきましょう」
そう言って、ふたりが玄関のドアに向かうと、それまで無表情に待っていたロナスが扉を開けてくれた。
「では行ってくるよ」
「馬車を用意してありますので」
「ありがとう」
「お楽しみを――」
「執事にはなんといったんだい」
馬車に乗り込むと、マキイが尋ねた。
「銀の団の仕事で、変装して出かけるといった」
マキイはうなる。
その言葉だけで納得して、用意も手伝ってくれるとは、執事とはなんとすごい生き物なのだろう。
20分ほど馬車に揺られて、サイラス城についた。
サイラス伯爵は、シュテラ・ナマドの西の端に住んでいるのだ。
馬車から降りると、入り口に向かおうとしていた貴族たちが、ザッと一斉にふたりを見た。
金色の髪を月光に光らせ、見上げるばかりの長身を鍛え上げた筋肉で鎧うた偉丈夫に、背中の中ほどまである栗色の髪を艶やかに揺らし、整った目鼻立ちをした小柄な美少女がエスコートされて、しずしずと歩いていくのだ。
人々の眼を引かないわけがない。
老人たちは二人の美を愛で、若者たちはため息をつく――
「マクス」
マキイが小さい声でつぶやく。
「なんです?」
「今日の出来事は、わたしたちだけの秘密として、墓場に持っていこうね」
「了解です」