177.謎解
「あれは、ボクがまだマクスと呼ばれて、銀の団にいた時のことだった」
シジマが語り始め、ミーナは手を揃えて椅子に腰かけ、耳を傾ける。
マクスの所属する傭兵団、銀の団における経済面を担う経理部は、部長と彼以外は全て女性だった。
他の傭兵団では、男性もいるのだが、考え方が旧弊な銀の団では、戦いは男、後方支援は女という考えが根強く残っていたのだ。
経理部所属の女性たちの平均年齢は比較的高く、三十代後半の者がほとんどで、十代はマクスとシンビーネという娘だけだった。
全員が傭兵一家の娘だ。
マクスは、エクハート伯爵家の嫡男ということで、初めから部の現場統括の役職を与えられていた。
部長は、まったく経理部に来ないので、実質は彼が責任者なのだった。
最初は、小柄で、男でありながら実働部隊ではなく経理部にやって来たマクスを部員たちは小馬鹿にしていた。
エクハート家の家名だけで、統括職についたことも反感を買ったようだった。
だが、実際に仕事を始めて、彼の有能さを知ると陰口はなくなった。
さらに、傭兵のひとりに、シンビーネとの仲をからかわれ、練習試合の名を借りた決闘で、完全勝利を収めると、部下たちの尊敬も勝ち取った。
事務方であっても、傭兵は強さを求められるのだ。
「いやぁ、我ながら鮮やかな勝ち方だったね――本当だよ」
マクスがむきになって言う。
「分かってるわよ。あなたが何でもできて強いのは。さあ、続きを話して」
「うん。それでね――」
そんなある日、遠征から帰ってきたマキイと少し話して、部屋に帰ってきたマクスは驚いた。
部屋にいた全員が、机に突っ伏して倒れていたからだ。
「どうした」
叫んだマクスだったが、彼自身もめまいに襲われ、倒れそうになる。
「誰か来てくれ!」
室外に向かってそう叫ぶと、彼は息をとめて、窓に走った。
全員が倒れていること、そして、部屋に入った彼もめまいを感じたことから、何らかのガスが使われたと考えたのだ。
アラント大陸の戦闘で、毒ガスが使われることは滅多にないが、皆無というわけではないのだ。
窓を全部開け、部下たちをひとりずつ担いで廊下に出していく。
彼より大柄な女性もいるが、日頃の鍛錬がものを言って、なんとか運ぶことができた。
16人いる部下の半数近くを連れ出した時、徐々にひどくなってきためまいに足を取られて、担いでいたシンビーネごと倒れそうになった。
いけない――
そうおもった瞬間、彼は力強い手で身体を支えられると、抱き上げられ、そのまま通路に連れていかれた。
そっと地面に置かれる。
彼の頭上から声が降ってきた。
「大丈夫かい、マクス」
よく通る、美しい声――マキイだった。
「あ、ああ、大丈夫。残りの人は」
「いま、部下が全員運びだしたよ」
「マキイさんは大丈夫?」
「わたしも他のやつも平気さ。あんたが窓を開けてくれたから――ガスだね」
「たぶん、そう」
「立てるか?医務室へ行こう。他の女たちは、部下が、もう運び込んだから」
練習中の怪我も多いため、銀の団本部の医務室は充実している。
「僕は平気だよ。もう気分はよくなった」
「いったい何があったんだい」
マクスの横で膝をついたマキイが尋ねる。
「わからないんだよ。あなたと話して、部屋に帰ったらみんな倒れていた」
「ガスの容器を見たかい」
「わからない」
「調べてみるよ。もうガスは抜けたはずだ」
そう言って、マキイは立ち上がる。
「僕もいくよ」
ふたりは、布で口元を抑えながら、部屋に入った。
探してみるが、不審なものは見つからなかった。
「何もないね」
「何か原因があるはずだよ」
そういって、もう一度辺りを見回したマクスの目は、机に転がった軸が緑の筆に止まった。
「まさか、でも、そう考えたら――」
そう呟いて、机に近づき、筆の匂いを嗅ぐ。
「マキイさん。ガスの原因が分かった」
「なんだい」
「筆、というより、筆につける墨に毒が混ぜてあるんだ。墨の壺が毒なんだよ」
調べてみると、経理部で使われる全ての墨壺に毒が混入されていた。
「面白くなってきたじゃない」
ミーナが笑う。
「まあ、みんな軽いめまいですんだから良かったんだけどね」
「続けて」
この件についての捜査は、経理の実質責任者であるマクスに任されることになった。
衛兵には伝えない。
団内の失態は、団内で決着するのが基本だからだ。
マキイが助手に志願してくれる。
「でも、マキイさんは遠征から帰ったばかりで疲れているでしょう」
「体力にだけは自信があるのさ。今は遠征後の休暇中だから動きやすい。なにより――戦友のマクスのためだからね」
マキイは屈強な女傭兵、マクスは男でありながら、中身は共に女の子らしさにあこがれる少女なのだ。
マクスは。精悍に笑うマキイの顔を美しいと思う。
輝くような金髪と、透き通った宝石のような碧い眼も魅力的だ。
身体が大きいというだけで敬遠する男どもの気が知れない。
「どうしたんだい」
じっと見つめるマクスに向かって、不思議そうに彼女が尋ねる。
「いや、マキイさんは綺麗だと思って」
「馬鹿いうんじゃないよ」
つんと横を向くマキイの頬が仄かに赤くなる。
「男って、ほんどダメ、見る目がないよ。僕が男なら、絶対に放っておかないけどね」
「ありがとう、マクス。お世辞でもうれしいよ」
そんな経緯があって、ふたりで犯人を捜すことになったのだった。
捜査の手はじめとして、まず墨の製造所に向かったが、怪しい点は見つからなかった。
おそらく、団内に運ばれる途中か、運ばれてから毒墨にすり替えられたのだ。
次に、マクスたちは、銀の団に物資を運ぶ業者を調べる。
そこでも不審なものは見つからない。
本部に帰るふたりの足取りは重かった。
消去法で考えたなら、団内の誰かの手によって毒が混入されたことになるからだ。
「あ、マクスさん、マキイさん、毒の種類がわかりましたよ」
本部に戻ったふたりに、衛生部の団員から声がかる。
「あれはカスゲの花から取った毒だそうです」
「なんだって!」
ふたりが同時に声を上げる。
カスゲは、よく見かける野生の花だが、その花に毒素を持っている。
抽出された毒は、その匂いを嗅ぐだけなら気分が悪くなるだけですむが、もし口にすれば即死する劇薬なのだ。
「よく、死人がでなかったね」
マキイが拳を握った。
マクスはやらないが、部の女性たちは、文字を書きながら、よく筆をなめて湿らせる。
つまり、犯人は、死人が出てもよいと考えていたのだ。
「だが、これで捜査範囲を絞ることができるね」
「そうですね」
カスゲの花は、その辺の野原に自生している、どこにでもある花だ。
普通に摘んだり、花の匂いを嗅いだりしても毒性はない。
場合によっては食べてしまっても、腹を壊すだけだ。
カスゲの花から毒を抽出するには、特殊な技術、器具が必要なのだ。
それができる人間は少ない。
さらに、カスゲ毒の寿命は短い。
精製してから3日以内に使わないと毒性が弱まってしまうのだ。
だから、犯人に毒を渡した、毒屋と呼ばれる精製者は、このシュテラ・ナマドにいるはずだ。
マクスはマキイの知人の情報屋から、カスゲ毒の技術を持つ毒屋の名を聞き出した。
6人いる。
「しかし、経理に毒をしかける目的はなんだろう」
最初の毒屋に会うために急ぎながらマキイが言う。
「殺す気は無かったみたいだから、経理の機能を止めるのが目的だろうね」
「そうだね、ただ――」
マキイの眼が怪しく光る。
「死ななかったのは偶然だ。犯人は、死んでもいいと思って毒を使っている」
「その通りだね」
その後、立て続けに3人の毒屋を尋問した。
もちろん、裏家業の毒使いには用心棒がついている。
だが、ただの用心棒ごときが、屈強の現役傭兵であるマキイに敵うはずもなく、その全てが、しばらく寝込むほどのダメージを受けて沈黙した。
4人目が当たりだった。
「ま、待ってくれ、話す、話すから――」
マキイに首をつかまれ、高々と差し上げられた男が喘ぎながら言う。
まだ若い男だ。
「このまま、今すぐいえ」
「そ、それが誰の依頼かは知らないんだ――本当だ。いつも、フードを目深に被った男がやってきて……報酬もすごかったから、つい――まさか銀の団を狙うなんて。そうとわかっていたら、手を貸すはずがない」
さらに、マクスが話を持ち掛けた男の人相を尋ね、毒屋が答えた。
ぱっと、手を離されて地面に落ちて呻く男に向かってマキイが言う。
「普通、報酬が破格なら、ウラがあると考えるだろう」
「次の研究のための資金が欲しかったんだ」
「この、科学の発達が抑えられた世界にも、科学者気質の人はいるのね」
ミーナが興味深そうに呟く。
「いま思うとそうだね」
「それで?」
男の言葉に、マクスとマキイは顔を見合わせる。
「おかしいと思ったんだ。死んでも仕方ないが、できれば揮発したガスを吸った者が、3日寝込むぐらいの毒にしろっていうから」
「3日――」
マクスが何かを思いついたように呟き、
「行こう、マキイさん」
毒屋の屋敷を出て、庭に転がる用心棒の身体を踏まないように、急ぎ足で歩いていくマクスにキイが尋ねる。
「何かわかったのかい」
「たぶん、犯人がわかった――」
「なんだか、スリリングな展開ね――でも、乙女の秘密って感じじゃないわね」
「これからなんだよ、乙女の部分は」
「続けて」