176.乙女
「どうぞ、開いてるわよ」
ドアをノックすると、中から優しい声が応えた。
シジマは、なんとなくほっとして、扉を開けて中に入る。
「どうしたの」
ミーナが笑顔で迎えてくれた。
「さあ、座って」
今日の彼女は、地球のキモノという服を着ている。
「お茶でいい?」
ミーナが尋ねる。
シジマがうなずくと、彼女は湯をポットに注ぎ入れた。
香りから、睡眠の邪魔にならぬよう、モアール茶という茶葉を使っているのがわかる。
モアール茶は、地球のカモミール茶に似た効能のお茶だ。
「また眠れないの?」
テーブルに置かれたティーカップを前に、シジマが答える。
「うーん。そうじゃないんだけど――ミーナに聞いておきたいことがあってね」
「なに?」
「ミーナは、この部屋が好き?」
「ええ、大好き!」
ミーナは、色鮮やかな振袖を軽く振って腰を捻り、かわいらしく、パン、と足を踏み鳴らして喜びを表した。
「この部屋にいると、まるで自分が本当に生きているように思えるんだもの――あの時、みんなが、わたしの反対を押して部屋を作るといった意味が、今になってよくわかるわ。ありがとう、シジマ」
偉大なAIの率直な感謝に、少女は頬を染める。
「喜んでくれてるなら嬉しいよ――でね、ミーナ。本当に聞きたいのは」
「なに?」
「あなた、本物の身体を欲しくない。物に触れて感じる生身の身体を?」
「わたしは機械だし、それは無理でしょう。もしできたとしても、それはやってはいけないことね」
「でも、ミーナ」
「この話はここまでよ。いいわね、シジマ」
珍しくAIが怖い声を出す。
「わかったよ。もうしない」
シジマの返事を聞いて、ミーナは険しい顔を、ぱっと笑顔に変える。
「さあ、今日はどんな話を聞きたいの――」
そう言ってから、ミーナは可愛い顔に悪戯っぽい笑顔を浮かべ、
「いえ、それより、今日は、逆にあなたの話が聞きたいわ、シジマ」
「え、ボクの話?ボクには面白い話なんかないよ」
「それはわたしが判断するわ――というより、ぜひ、あなたから聞きたい話があるのよ」
「ボクから?」
「キイとアキオが抱き合って眠っているのを見て、あなたが怒った時の話よ」
「えー、あー、そんなこともあったかなぁ――」
「聞いてるわよ。もっとも、アキオも、あなたのことを美少女だと思ったらしいから、おあいこだろうけど」
「え、アキオが……」
「ちょ、ちょっと、シジマ?」
ミーナが驚きの声を上げる。
緑の髪の美少女が、真っ赤になった頬に手をあてて、顔を隠してしまったからだ。
「どうしたの?わたし、何かひどいことをいった?」
シジマは首を横に振る。
「ううん――そう、アキオは、男だったボクのことを綺麗だと思ってくれたんだ」
正確には、アキオは、整った顔立ちの少女、と思ったらしいが、ミーナは、そのことは言わないでおく。
「それで――あの時の何が聞きたいの?」
シジマが目の端に涙を滲ませたまま尋ねる。
「緑の筆につける墨は『カスゲの花』」
「あ!」
「ケルビ小屋の柱に掛けるのは?」
ミーナに水を向けられ、シジマが応じる。
「シロネ酒のシミのついた靴下……」
「そうそれ!その話が聞きたいのよ。アキオが尋ねた時、キイは、乙女の秘密だからダメっていったそうだけど、お姉さんは、乙女の秘密に興味があるのよ、知りたいな」
「そう――あの話だね。いいよ。でも、あまり気持ちのいい話じゃないよ」
「かまわないわ」
「ちょっと――かなり残酷かも」
「わたしを誰だと思っているの。平気よ」
「なんだかよくわからない話かも」
「いいから話して!」
業を煮やしたミーナは、腕を振って言った。
「わかったよ。じゃあ話すよ」
シジマは、紫に近い青い瞳でまっすくにミーナを見つめると、話し始めた。