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174.恋慕

「戦況はどうだ?ユルノ少佐」

 背後から声を掛けられて、男は振り返る。


「ステファノ将軍!」

 驚いて敬礼しようとするメイヒルズに手を振って、スタンは言う。

「よせよせ、ここは簡易兵舎とはいえ、お前の自室だ。他に人もいない、堅苦しいことはやめて、いつものようにスタンと呼んでくれ」

「はい――戦況は、ご存じのように……」

「馬鹿だな、お前は。将軍の俺が、中央パンゲア最前線の戦況を知らんわけがないだろうが――()()()()()()の方だよ」


 歳を得て、少佐となったメイヒルズは、若さゆえの青臭さも消え、落ち着いた表情で微笑んでいたが、スタンの言葉を聞くと、困ったような笑顔を浮かべた。


「はぁ、自分としては、かなり進捗しんちょくが――」

「ほう、どのくらい進んだ」

「前回、王都に戻った時に、一緒に食事をしました」

「なに、本当か!」

 普段は、重厚(じゅうこう)を以て知られる鋼鉄の将軍が、子供のように喜んでメイヒルズの背を叩く。

「そうか、よくやった。えらい、えらいぞ、よくやった」

「まるで、飼い猫がネズミをとったような褒め方をするのはやめてください」


 かつて、アフリカ大陸と呼ばれた、中央パンゲア地域には、まだ野ネズミがたくさんいて、地域住民はそれを駆除するために、いまだに猫を飼っているのだ。


「いやいや、本当に、お前が考えている以上に進んでいるぞ」

「そうなんですか?」

「ああ、お前も、嬢ちゃんにアタックするようになって長いから知っているだろうが、あの娘は人と食事をしない」

「――そうでしたか」

「知らんのか」

「そもそもカイネさんは、仕事以外で、誰かと一緒にいるということがありませんから」

「そういやそうだな――だいたい人嫌いな娘だが、特に食事はいつも独りなんだ。子供のころからな。それはもう徹底してる。まるで、自分が、何かを食べる生き物だということを知られたくないみたいな感じだ」

「そうでしたか」


 メイヒルズは、姿を見かけるたびに、カイネに声を掛け続けた記憶を思い出す。

「戦線から帰ったら、必ず顔を見に行って、食事に誘っていました。まさか、特に食事を嫌いだとは思いませんでした――」

「だが、お前は一緒に飯を食ったんだろう」

「はい」

「何か変わった食べ方をしていなかったか」

「変わった、ですか?」

「手の先に口を出して食べるとか――」

「そんなわけ無いじゃないですか。ごく普通に、静かに食べていましたよ」

 そういって、メイヒルズは視線を空に向ける。

「なに、ポーとしてやがるんだ、お前は。それでも、トルメアが誇る非機械化ナルメカニゼイション部隊の隊長か」

「それは仕方ないですよ――カイネさんは、食事の所作も美しくて、僕はつい食べるのを忘れてしまうほどだったんです」


 スタンは、すっかり白くなった髪に手をやって、やれやれと首を振った。


「すごい奴だなぁ、お前は。もう何年になる」

「18年ですね」

「その間、嬢ちゃんひと筋?」

「もちろんです!」

「お前はやっぱりエクリアの子供だよ」


 メイヒルズは背筋を伸ばし、直立不動でスタンに言う。

「それは、ご自身の惚気のろけでありますか、ステファノ将軍」

 スタンは苦笑する。

「好きにとれ――しかしな、メイヒルズ、確かにゴールは見えたと思うぞ。あとひと押しだ。次に王都に帰った時に決めてしまえよ」

「はい」


 中央パンゲアから王都に帰るラムジェット機の機内で、スタンは独り感慨(かんがい)にふけった。


 メイヒルズには冗談めかして言ったが、カイネが一緒に食事をしたということは、キルス宰相以外の、他の誰よりもメイヒルズが彼女の近くにいるということだ。


 止まった時間はカイネに味方して、いずれキルス宰相を撃ち落とすと考えていたのだが、そうはならなかったらしい。

 カイネも、キルス将軍への気持ちに整理がついたのだろうか。


 王都に着いたスタンは、すぐにキルス宰相の許へ向かった。


 今回は、世界に展開する王国拡大戦線をひと通り視察して帰ってきた。

 まず宰相に会って報告するのは間違っていない。


 しかし、彼の本当の目的は、カイネに会うことだった。

 宰相のいるところ、彼女はいる。




「――以上が、本日の予定です」


 カイネは、手にした書類を読み終えてキルス宰相に渡すと、そのコピーを書類ケース(ポートフォリオ)に入れて脇に抱えた。


 書類に目を落とす宰相の言葉を待ちながら、執務室の壁に映し出される世界地図に目を向ける。


 彼女は、自分自身でも気づかないまま、旧アフリカ大陸、パンゲア地方に目をやっていることに気づいて、少し狼狽(ろうばい)した。


 なぜ、その地域を気にしているかを、自分でわかっているからだ。


 ()()()は、パンゲア戦線で戦っている。


 最初に会った時、彼は茶色の髪(ブラウン・ヘア)の、優しい笑顔をした青年だった。

 特に興味も持てなかったので、カイネは、いつものように、冷たく無視した。


 彼女の()()()()()()()()かれて声をかける男たちは、たいてい、それで消えていって、二度と声をかけることはなかった。


 だが、彼、メイヒルズ・ユルノは違った。

 場所を変え、言葉を変え、彼女に声を掛け続けた。

 1年、2年、5年、10年……18年。

 決して、彼はしつこくはしない。

 ただ、挨拶をし、声をかけるだけだ。

 そして彼女が無視したら、そのまま去っていく。


 しかし、そんな些細(ささい)な行為でも、年月を重ねて続ければ、徐々に重みを増していく。


 いつしか、カイネは彼の挨拶に軽く返事をするようになり、戦役が長引いて彼がしばらく顔を見せない時は、どことなく落ち着かない気持ちになった。


 そして、この間――久しぶりに彼の笑顔を見たカイネは、彼と会うことで自分の気持ちが穏やかになり、落ち着くことに気づいたのだ


 そうして、いつものように、彼女を食事に誘う彼の言葉に応じたのだった。


「よかったわね、カイネ」

 数日前、彼女は、アルメデ女王に声を掛けられた。

「何かありましたか」

「あなた、男性と食事にいったそうですね」

「はい、ですが――」

 それに特に意味はない、と続けようとした彼女より先に、女王が言う。

「わたしは、かねがね、この国の科学が、(したた)り落ちる水滴が石を穿(うがつ)つように地道にたゆまずコツコツと歩み続けることを望んでいます。それが、遠回りに見えても一番着実で速い方法だと信じているからです」

「はい」

 女王の話の意図がわからないまま、カイネは返事する。

「そして、いま、あなたのお相手は、その考えが正しいことを証明してくれました」


 カイネは女王の言葉の意味を理解した。

 つまりアルメデ女王は、石のように固い彼女の心の扉を、メイヒルズが飽きず叩いてこじ開けた、といいたいのだろう。


 そんな話では――と言いかけて、カイネはやめる。

 あながち間違った解釈だとも思えなかったからだ。



 カイネは、地図から目を宰相に向けた。


 彼女は、自分がキルス宰相に()かれているのを自覚している。

 それは、もう数十年に及ぶ想いだ。


 だが、それとは別に、彼女に変わらぬ思いを寄せ続けてくれるメイヒルズも、いつしか彼女にとって大切な人間になっていた。


 その出自(しゅつじ)と生い立ち、そして生まれついての性格もあって、彼女は、見かけ上、冷静で冷たい性格のように思われがちだ。


 もちろん、そういった部分もある。

 それは事実だ。

 彼女は中身のない、ゼロ(ヌル)虚無ヴォイドな人間だったからだ。


 だが、人の性格はそれほど単純ではない。

 根が冷たく冷静であるが故に、彼女は、自分が温かい優しさを欲していることに最近になって気づいたのだ。

 そして、彼は、時間をかけて、彼女に()()()()()()()()()

 初めはまったく意識しなかった。

 だが、気づいた時には、彼女の中には彼が与えてくれたもので――それは愛情であったり、思いやりであったり、優しい眼差しであったり、ひと言でいえるものではなかったが――満たされていた。

 今のカイネは、もう空っぽではないのだ。


 気づくまで、18年かかってしまった。


 紅顔(こうがん)の若者だったメイヒルズも、もう髪に白いものが混じる年になっている。

「あなたが長生きなのは知っています。でも、僕はもっと長く生きて、必ずあなたの最期を看取るつもりですよ」

 何気(なにげ)なく彼にそう言われて、カイネは急に恐ろしくなった。

 自分が死ぬことを思い出して怖くなったのではない。

 メイヒルズが死ぬことを考えて恐ろしくなったのだ。

 ひょっこり現れる、彼の優しい笑顔がなくなるなんて信じられなかった。


 だから、彼女は決意したのだ。

 次の戦役から帰ったら、彼を捕まえて離さないでいようと――


 キルス宰相が書類から顔を上げるのと、執務室の扉がノックされるのが同時だった。

 宰相の合図でカイネが扉を開けると、そこには、すっかり髪が白くなったスタンが立っていた。


「よう、お嬢ちゃん。聞いたぜ、この間――」

 スタンが続けようとした、その時、

「失礼します」

 秘書官が書類を持って入って来て、誰に渡そうか視線をさまよわせる。

「戦況か?」

「そうです」

「なら、俺だ、寄こせ!」


 そう言って、スタンが書類を受け取り目を通す。

 彼の目が大きく見開かれた。

 そのまま、黙ってキルスに近づき書類を渡す。


 書面に目を通した宰相は、スタンに向かって言った。

「あり得るのか?」

「確認します」

 そう言って、足早に歩いて執務室の扉を開けたスタンは、カイネに声を掛けようとして――そのまま出て行った。


「どうしたのです」

 カイネの問いに、キルスは事務的な声で告げた。

「未知の武器が使用され、中央パンゲア最前線の部隊が全滅した」

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