170.月日
時間は、時に早く、時に緩やかに過ぎていく。
それは、その時間を過ごす者の感覚によって左右されるからだ。
アルメデが、アウストラリス帝国を併合してから21年が経った。
その間も、トルメアは世界を侵食し続け、大きくなり続けている。
「ステファノ少佐」
背後から声を掛けられ、男が振り返る。
「おう、お嬢ちゃんかい」
彼の視線の先には、碧い眼の少女が立っていた。
昔とまったく変わらない17歳の初々しい姿に、赤い髪に白いものが混じったスタンは目を細める。
「お久しぶりです。マディーナ戦線での活躍――」
スタンは手を振って止めさせた。
「よせよせ、そんな堅苦しい挨拶は聞きたくない。久しぶりにあったんだからな」
「そうですね」
そう言って、カイネは整った顔に笑顔を浮かべる。
「でも、あなたほどの人が、なぜ、いまさら少佐に」
「キルス宰相から聞いただろう。俺は、もともと上でふんぞり返るのは好きじゃないんだ。こんな体だしな。局長のまま城の椅子に座っているより戦っていた方がいい。少佐ってのは、中隊を率いる攻撃的な役回りだから、俺向きなんだ」
機械化中隊を率いて、中東の各地で戦功をあげてきた男は、精悍な表情を見せて笑う。
「それで、どうなんだ」
「何がです?」
「宰相との仲は進んだか」
スタンが問う。
会うたびに尋ねるのが癖になっているのだ。
「変なことをいわないでください。わたしと宰相はそのような関係ではありません」
これも、決まった返答が返ってきて、星一つの階級章をつけた男が笑った。
「お嬢ちゃんも大変だな……」
「何も大変ではありません。あなたは昔から変なことばかりおっしゃいますね」
怒った顔になった美少女から、冷たい言葉を浴びせかけられるが、スタンは全く動じない。
しかしなぁ――
スタンは胸の中で呟いて、あらためてカイネを見つめる。
彼女は、怒ると、美しさがさらに際立つのだ。
碧い眼が鋭い光を帯び、厳しさを増した口元と相まって、絶世といってよい美貌になる。
ほれぼれとその顔を見ながら、スタンは思う。
まったく、宰相の気が知れない。
俺が、宰相の立場なら、すぐさま抱きしめて掴んで離さないだろう。
自分は、そうしなかったおかげで生涯の伴侶を捕まえそこなったのだから――
しかし、俺も見立て違いをしたものだ。
いくら宰相が、女王にご執心といっても、いつも傍にいる美少女の方に分があると思っていたのだが……
カイネにとって女王は、なかなか強敵のようだった。
3人とも歳をとらないというのが、良いことなのか悪いことなのか――
「では、失礼します」
そう言い残して、タイトなスカートから、形のよい脹脛を閃かせながらカイネが去ると、代わりに茶色の髪の青年が近づいて来る。
彼の補佐をさせているメイヒルズだ。
彼と初めて会ったのは、マティーナ戦線における、シルス国との戦いが終盤に近付いた時だった。
その時、スタンは、小高い丘の上に陣取って機械化兵同士の戦いを指揮していた。
大国トルメアの豊富な物量と、高い科学力の後押しで、彼の率いる機械化歩兵第3中隊は、敵を圧倒している。
戦いを長引かせてはいけない。
アルメデ女王は、味方の損失はもちろんだが、無駄に敵を消耗させるのも嫌いなのだ。
打ち負かした敵軍を、後に自軍に取りこむためには、恨みを抱かせないように敵を攻撃し、降伏させなければならない。
そのためには、一瞬で敵を圧倒し、憎しみではなく恐怖を抱かせて制圧することが肝要だ。
ステファノ中佐が率いる精鋭部隊は、敵に倍するレイルガン装備で、一気に敵の機械化兵の手足を吹き飛ばしていく。
前衛の同胞が次々と倒されていくのをみて、兵士たちの多くは逃げ出すこともできずに、空を仰いで祈り始めた。
シルス国は宗教国家なのだ。
神の奇跡にすがろうというのだろうか。
スタンは口元をゆがめる。
あるいは、魔法のように自分を助ける何かが現れるのを祈って待つのか――
魔法などない。
それを見ながらスタンは呟く。
呪文を唱えるだけで、人が生き返り、強大な天変地異が起こって、絶対的な形勢不利をひっくり返すような現象は、この世には存在しない。
これが現実だ。
戦いは、トルメアの圧勝で終わった。
スタンは、歩いて各部隊を回り、兵士たちをねぎらう。
「ステファノ隊長」
名を呼ばれて、彼は振り返る。
そこには、茶色の髪の青年が立っていた。
機械化兵ではない。
階級は上等兵だ。
「素晴らしい指揮でした」
彼の柔和な笑顔を、なぜか懐かしく感じて、スタンは尋ねる。
「君は?」
「はい、第二非機械化小隊のメイヒルズ・ユルノです」
「メイヒルズ?」
スタンの脳裏に、彼女の言葉がよみがえる。
男の子が3人、女の子が4人――名前は、メイヒルズ、タイトス、メラヌス――
「君はエクリアの――」
「はい。少佐のことは、母からよく伺っておりました」
「軍に入ったのか」
「はっ、弟のタイトスと――」
「メラヌスもか」
「なぜ、ご存じなのですか」
「それは、まあ、いずれ話そう。それで、お母さんは」
青年は目を伏せる。
「2年前に亡くなりました」
「事故か」
「そうです」
スタンはうなずく。
最近は、病気で死ぬものは少ないのだ。
「妹もいるのか」
「2人います」
エクリアが考えていた人数には、ふたり足りないが、彼女は充分に満足だったろう。
「そうか、君がエクリアの……」
スタンは、もしかしたら、自分の息子だったかもしれない青年を見て微笑む。
そして、あらためて月日の流れを感じるのだった。
我々は、生き、成長し、老いる。
時間が凍り付いた、あの3人とは違うのだ。
どちらが良い、悪いということではない。
彼らがそれを選び、スタンが選ばなかったというだけだ。
それに、時を止めるには、悪魔に頼らねばならない。
それは我慢できなかった。
「美しい人ですね」
青年が、カイネの後ろ姿を目で追いながら、うっとりと言う。
「惚れるなよ」
たくましく若々しい体つきながら、首から上だけが初老のスタンが俗な言い方で警告した。
「惚れたら、お前のライバルはキルス宰相になるぞ」
「そうなんですか」
メイヒルズは、すでに知っていたのか、さほど驚いた様子は見せない。
「でも、宰相と競うだけの価値はあります」
青年の熱に浮かされたような目の色をみて、一応、スタンは釘を刺しておく。
「だが、お前もたぶん知っているだろうが、あの娘の時間は凍っているんだ」
「それが、いいんですよ」
「なに?」
「僕が年をとっても、彼女は若く美しいまま――必ず妻に死を看取ってもらえるなんて、男冥利に尽きますよ」
スタンの目がわずかに怒りの色を宿す。
「お前が俺の息子だったら殴り倒しているな」
驚いたように青年は彼を見る。
「愛する者に自分の死を見せてどうする?石に噛りついてでも長生きして、自分でその女性を看取ってやるってのが本筋だろうが――お前もエクリアが死んだあとの親父を見てるんだろう」
青年は、スタンの話を聞くうちに、笑顔を消して、痛みに耐えるような顔になって答える。
「父がどうだったのかは知りません」
「なぜだ」
「1番下の妹が生まれてすぐに、ふたりは別れたからです」
スタンは驚きに目を見開く。
「知らなかった……」
「その後、僕たち男は母に引き取られ、妹たちは父に引き取られました。父はすぐに再婚したので、おそらく母の死んだことも知っているかどうか……」
何かが鋼鉄の胸の中で膨らむのを感じて、スタンが尋ねる。
「お前たちの親父に、女ができて別れたのか」
「違います」
青年が即答する。
「違う?」
「どうか、父を憎まないでやってください。彼は精いっぱい母を愛したんです」
「なら、なぜ――誰が悪い。誰のせいだ」
メイヒルズは、形容できない微笑みを口元に浮かべて言う。
「誰のせいかといえば、あなたのせいです」
「なに」
「父と暮らし、僕たちが生まれても、母が見ていたのはあなただけでした。高い城でのあなたの活躍や昇進が発表されるたびに、子供のように喜んで――彼女の携帯端末の中身は、常にあなたのデータファイルで一杯でした」
「で、お前たちの父親はそんな生活に疲れて他に女を――」
「というより、父は母を自由にしてやりたかったのだと思います。つまり、あなたの許へ――」
「エクリアは来ない。連絡もなかった!」
スタンは声が大きくなるのを抑えられなかった。
「それについては、長男の僕だけが知っています。薄々事情は知っていたので、母に聞いたんです――そうしたら」
青年は優しい笑顔を見せる。
「わたしは自分の都合で、あの人を裏切った。そしてお前たちを授かった。それだけで充分幸せだと。でも、あの人は、今もひとり孤独に暮らしている。とても合わせる顔がない。だから、もし、あなたさえよければ、わたしの代わりにあの人の許へ行って、助けてあげて、と」
「それで、エクリアの願いをかなえるために、お前は軍に入ったのか」
そこで、初めて青年は晴れやかな笑顔を見せる。
「いいえ、違います」
「違うのか」
「僕は、母と一緒に、あなたの記事をずっと追いかけていたんですよ。つまり、子供のころから、あなたは僕の英雄だったんです」
スタンは、一瞬、呆気にとられ、頭をかいて腹立たし気に言う。
「真顔で、そんな恥ずかしいことをいうな」
「下の弟ふたりもそうです」
「わかったわかった。この話はここまでだ」
「はい――でもこれだけは、いっておかないと」
「なんだ」
「さっきの言葉は撤回します。たとえ、彼女が若いまま100年生きようとも、石に噛りついてでも、一分でも長生きして、その最後を看取りますよ、僕は」
スタンは、ゆっくりと首を振る。
エクリアの最期を看取ってやれなかった自分に、どうこう言える話ではない。
ただ――
鋼鉄の身体を持つ男は静かに言った。
「今度、エクリアの墓を教えてくれ、メイヒルズ」
「わかりました」
青年は、元気に返事を返す。