017.交流
その日、2人は夜までガブンの街を散策した。
キイによると、シュテラ・ナマドほどではないらしいが、ガブンの夜市も負けず劣らず賑やかだという。
夕飯がわりに屋台の食べ物を食べ歩きする。
「ああ、お客さん。お待ちしてました。部屋が空きましたよ!」
緑岩亭に帰ると、受付の男が声をかけてきた。
確かリースという名前だ。
「一人部屋が空いたので、どちら様かお移りいただけます。昨夜は狭い思いをさせて申し訳ありませんでした」
「そうか、良かったな、キイ、これでゆったり――」
「不要だ!」
言下にキイが断った。
「なぜだ?」
「金に余裕がないのだ。主さま」
「しかし、昼には大丈夫だと――」
「とにかくだめだ。リース。せっかく声をかけてくれたのに申し訳ないが、わたしたちは今夜もあの部屋で寝るよ。ありがとう」
「わ、わかりました」
キイの意外なほどの剣幕に、リースは目を白黒させながらうなずく。
「そんなに金がないのか?」
部屋に帰ってアキオが尋ねる。
「だとすると、早めに金策をしなければならない」
「いや、実際は、無いことはないんだ……だが、これから何が起きるかわからないから、節約をしないといけないだろ」
「しかし。ゴランとの闘い以来、君はずっと独りで寝てない。せっかくだから、一人部屋でゆっくり過ごせばいい。それに、今更だが、君は、もう、逞しく大柄な戦士じゃない。19歳の若く綺麗な娘だ。だったら、その年頃の娘らしく、男と一緒に眠らずに独りで寝るべきだ」
「あんたと寝ちゃダメなのかい」
「お勧めはしないな」
「だけど、だけど、わたしたちは一緒に寝ないといけないんだ!」
「どうして?」
アキオの問いに、キイは言葉に詰まり、
「とにかく、わたしはあんたと寝る。少なくとも同じ部屋で寝るんだ。もし、邪魔なら、今夜から床で寝るから問題ないよ」
「それこそが問題だろう」
アキオはため息をつき、
「君もいつか、一緒に寝起きする男を見つけるだろう。君の『ツガイ』の相手を――」
アキオの脳裏に銀の髪の少女が浮かび、微笑むと、
「それまでは、独りで寝た方がいい。もう寒くはないだろう?」
「寒くはないさ。わたしはね」
「よくわからないな」
キイは困ったような顔になって、
「いいじゃないか。とにかく、わたしは、まだしばらくあんたにくっついて寝たいんだよ。いいだろ、もう少しの間はさ」
結局、アキオはキイに押し切られてしまう。
しばらくして定時連絡の時間になった。
音声通話を開始するに当たって、アキオは、キイにミーナを紹介する。
これまでも、彼女との会話の中にミナクシの名前は出していたのだが、本人とは話をさせていなかった。
「キイ、紹介が遅れたが、ミナクシだ。一緒にこの世界にやって来た仲間さ。今は、離れた場所で俺を手伝ってくれている」
「初めまして、キイさん。お話はうかがってるわ。よろしくね」
スピーカー・フォンから、くだけた調子のミーナの声が響いた。
カマラのために作った言語プログラムで学習しているため、違和感なくこの世界の言葉で会話ができている。
「あなたがミナクシか?」
返事をするキイの声は、なぜか固い。
「女だったのだな。しかも若い――」
「え、声が若い?いやぁ、うれしいなぁ。アキオに言わせたら、もうおばあちゃんだっていうけどね――あなたにはミーナって呼んでもらいたいな。アキオはそう呼ぶから」
アキオは眉を顰める。
おかしい。
これは、いつものミーナの口調ではない。
「ちょっと、やきもち焼いちゃった?」
「やきもちなど……わたしは主に仕える傭兵だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「その割には、毎晩、一緒に寝てるじゃない」
「そ、それは――」
アキオは、口を開きかけ、閉じた。
AIとして、280年の長きにわたって人間心理を研究し、ボトムアップしてきたミーナは、アキオよりはるかに感情の機微に通じている。
ミーナがこういう話し方をするには、きっと理由があるのだ。
「いいのいいの」
ミーナはそこでひと呼吸おき、
「分かってるから」
「あなたに何が分かるのだ!」
キイの語調に怒気が混じる。
「分かるわ――だって」
ミーナはくだけた口調から一転してまじめな声になり、
「わたしは、たぶん、あなたが何を見て何を聞いたか知っているから」
「――!」
キイが、はっとした顔になる。
「アキオ!」
ミーナが呼ぶ。
「なんだ?」
「確か、この宿は一階でお酒を飲めるんでしょ」
「らしいな」
「30分間行ってきて。わたしは彼女と話があるから」
「わかった」
アキオは部屋を出ていった。
何を話し合うかは知らないが、こんな時はミーナに任せておくに限る。
階下に降りたアキオは、最初に目についたテーブルの席についた。
この宿には酒場もカウンターもない。
ただ、受付の近くに、テーブルがあり、頼めばそこで酒が飲めるのだ。
「すまない」
声をかけると、リースがやってきた。
「酒をくれ、銘柄はなんでもいい」
ナノ・マシンのせいで、どうせろくに酔えないのだ。
ほどなく、リースが陶器製の瓶とカップをを持ってやってる。
金を渡して受け取る。
「ちょっといいか」
「なんでしょう」
「この街の向こうに、二つのシュテラがあるな」
「はい、シュテラ・ナマドとシュテラ・ザルスですね」
「シュテラ・ザルスというのはどんな街だ」
「賑やかな街ですね」
「というと」
「シュテラ・ナマドは傭兵の街で、どちらかというと堅苦しいんですが、シュテラ・ザルスは、歌、酒、踊りが楽しめる大きな歓楽街がいくつもあって、まあ、男の楽園ですね」
リースの話によると、各シュテラは、その統べる領主の意向によって、大きく街の様子が違うらしい。
「そういった娯楽タイプのシュテラはいくつかあるんですが、シュテラ・ザルドはその中でも一、二を争う規模です。もちろん、そういった歓楽街を牛耳るグループも複数いて、よく抗争も起こりますがね」
「なるほど」
アキオはうなずく。
世界は変わっても、ギャングのやることは変わらないらしい。
だが、酒と女を目当てに男が群がる街には、情報も集まる。
シュテラ・ザルスに行けば、空から落ちてきたキューブの噂話を聞けるかもしれない。
「領主の名は?」
「ファルストッフ――、ジェシール・ファルストッフ――ですね」
分からない単語だ。
おそらくは身分を表す単語だと考え、リースに尋ねて、ファルストッフが伯爵に位置する貴族であることを知る。
「ファルストッフ伯爵か。噂は?」
「伯爵個人の悪い噂は聞きませんね。よくも悪くも、街の自治に任せています。もちろん、ああいう街ですから、犯罪は多いんですが、だいたいは組織のにらみ合いでうまく回っているようです」
領主が放任して、街がうまく機能するわけがない。おそらく、街の底辺では、目に余る行為が行われているだろう。
世界の紛争地やスラムでアキオが見てきた状況だ。
アーム・バンドで時間を確認しようとして、部屋に置いてきたことを思いだした。
だが、今で30分たったはずだった。
アキオの体内時計は正確だ。
目の端に、階段からキイが下りてくるのを捉えて、アキオは立ち上がった。
カップをリースに渡す。
「ありがとう。よくわかったよ」
「どういたしまして」
そう言いながらカップを持って行くリースに声をかけ、ニック硬貨をはじく。
リースは片手で器用にチップを受けると、頭を下げて去って行った。
「どうだ、仲良くしてたか?」
アキオの問いに、彼の前に立ったキイが落ち着いた透明な微笑みを返す。
暖かさと寂しさが混ざったような笑顔だ。
「あたりまえだよ。姉さんといろいろ話せてよかった。素敵な人だね」
いつの間にか、ミーナはキイの姉になったらしい。
「さあ、アキオ、今度はあんたの番だ。ミーナ姉さんが待ってるから行ってくれ。その間、わたしはここで飲んでるから、話が終わったら呼びに来て欲しい」
「わかった」
部屋に帰るとアキオは、メナム石解析の進展度をミーナに尋ねる。
キイについては触れない。
ミーナの返事は、装置の用意ができないので、メナム石解析の進展はなかったものの、アキオたちが手に入れた馬車を改装するためのパーツをガブン近くに届ける用意をしているとのことだった。
「2、3日で届けられると思うわ」
「どうやって運ぶんだ?」
「現在、調査、解析を優先させて、ジーナの補修が遅れているわ。だから、こちらから出向いて届けるわけにはいかないの。アイギス・ミサイルに搭載して、そっちに打ち込むしかないわね」
「ミサイル?派手だな」
アイギス・ミサイルとは、かつてイージスと呼ばれたミサイル迎撃システムの発展形で使用された防御ロケットだ。
原始的で大がかりだったシステムがスリム化され、ジーナのような中小型艇での単体運用が可能になっている。
イージス・システムを開発した米国が、ユーラシアのトルメア共和国に吸収されたのに伴って、名称が英語発音のイージスから本来の発音であるアイギスに変更されていた。
「小さいミサイルだけど、爆薬を抜いて、積み荷にナノ圧縮をかけるから、相当量が積載可能になるでしょう。この世界には、レーダーもミサイル迎撃システムもないから、ロフテッド軌道で静かに着弾させれば大丈夫なはず。たぶんね」
(確かに、『ロケット』を『ロフテッド軌道』で『静かに』着弾させることができれば大丈夫なのだろうが――)
無理に無理を重ね掛けする考えだが、アキオはそれを口には出さず、
「それしかないのか?」
「それが一番確実な方法ね。この世界なら、目撃されても隕石程度だと思ってくれるでしょう。被害を出さないために、着弾点は、アキオの今いるガブンと、そこから南西の街の中間にある荒野を予定してるわ」
南西の街というとザルスだ。
「わかった」
「ただ、ひとつ問題があるの」
「まだあるのか?」
「ジーナの宇宙観測ユニットが、大規模な太陽フレアを予想しているのよ」
太陽フレアが発生すると通信障害が起きる。
「いつだ?」
「明日から5日ほどね」
「しばらく連絡が取れないか――時間を決めよう。アイギスは3日後の午後1時に到着するようにしてくれ」
「了解。じゃ座標を送るわ」
「ミーナ、分かっていると思うが」
「着弾といっても、不時着状態でおとなしく着陸させるようにプログラムするから。目的地に人がいたとしても安全なようにね。信用して」
「わかった」
アキオが言う。
「あとは何かあるか?」
「ア、キ、オ、さん。フフフ」
突然、ミーナが含みのある声で笑う。
「なんだ」
「いい娘ね、キイちゃん」
「ちゃん?」
「育ちと経験から男っぽい言動をするけど、女の子らしさに対する憧れが、ひと一倍あったから内面はすごく乙女だし、気もよく回る。いざという時の行動はハンサムだし――」
「なるほど」
アキオは感心した。ミーナはアキオよりキイのことに詳しいようだ。
「おまけに身体が変わったばかりで、自分が美しいということに、本当の意味での自覚がない」
「だろうな」
「『自分が綺麗という自覚のない美人さん』っていうのが、いかに貴重かわからないの、アキオ」
「ミーナが言うならそうなんだろう」
「だから、離しちゃだめよ」
「何の話だ?」
「あなたには、ああいった女性が必要なのよ」
「いらないな、必要ない。何を言ってるんだ。彼女に研究を手伝えると思っているのか?」
「即答ね。キイが聞いたら泣いちゃうだろうな。アキオに感謝して、何かしたいと思っているのに」
「彼女は勇敢だ。生死の覚悟も見事に美しい。好きか嫌いかでいうと、たぶん好きなんだろう」
「だったら――」
「いいか、ミーナ、よく聞け!」
珍しくアキオが強い口調になる。
「この世界にとって俺たちは台風のようなものだ。何かアクションを起こすだけで多大な影響を与えてしまう。彼女は、その暴風に巻き込まれただけだ」
アキオは続ける。
「彼女は、本来、あの時あの場所で死ぬはずだった。だが、俺は救ってしまった。なぜか?単に救いたかったからだ。気まぐれなんだ。だから彼女は俺に感謝する必要はない。容姿にしても、結果的に今の姿になっただけだ――」
「アキオ」
「そんな一過性の猛威に、キイのような普通の女性が付き合う必要はないし、俺たちが巻き込む権利もない。俺のそばにいたら、いつか暴風の猛威で彼女を傷つけてしまうかもしれない。だから、彼女は、感謝などせずに、世間でよく言われる『奇跡』が、たまたま自分に舞い降りたと考えて、それを享受するだけでいい。そして俺から離れて生きていくべきなんだ」
アキオは、ひと息に言う。
「俺はお前のように、ヒトの心を研究していない。だから、いまだ『人の気持ち』ってやつがよくわからない。これからも、自分のわがままで人と関わるだろう」
そして、話し過ぎたことを恥じるように続ける。
「俺は、彼女に会うまで、心すらなかったブリキの兵隊だからな」
そう言って、黙り込む。
ミーナは、しばらくたってから尋ねた。
「アキオ、あなた奇跡を信じるの?」
「信じてはいないし、見たこともないな」
アキオは、ふと笑い、
「だから、俺は、一刻も早くキューブを見つけて、地道に研究をやり続けたいんだ」
「ずっと長い間、集中してやってきたんだから、少しぐらい休んだっていいじゃない」
「駄目だよ」
ミーナは思う。
アキオは愛を知って恋を知らない。真剣に恋してしまえば、その人の暴風雨に巻き込まれて、傷つき、死んでしまうことすら喜びになる恋を――
「本当に素晴らしいものは、無くして初めてその価値がわかるものよ。アキオ」
ミーナの言葉に、アキオは少し黙り、ぽつりと答えた。
「知っているさ」
通信を終わってアキオは気づく。
相変わらず、ミーナはカマラの話題に触れない。
アキオもあえて尋ねようとはしなかった。
言うべき事柄があれば、彼女は伝えてくれるだろう。
基本的に定時連絡で世間話はしない。
必要最小限の情報の交換をするだけだ。
それは長らく戦いを共にしてきた彼らの習い性なのだった。
相談がないなら、それは各自が対処できる事柄ということだ。
そうすることで、お互いの任務に集中できる。
キイを迎えに行くと、彼女はかなり酔っていた。
リースの話によると、安易にキイに声をかけた男たちの何人かが宿の外に放り出されたようだ。
アキオに気づき、嬉しそうに声をかける。
「ミーナ姉さんってすごいね。あんなに頭がよくて素敵な人、会ったことがないよ」
(頭はともかく、素敵かどうかは疑問だし、そもそも人でもないんだが――)
そう思いながら、ナノ強化した体でキイを支えて部屋に戻る。
今日買った服には寝間着もあったと思うが、着せかえるわけにもいかないので、そのまま寝かせた。
横になりながら、キイはつぶやく。
「アキオ、姉さんは、たぶん誰よりもあんたのことを考えてるよ。きっとあんたのことが……」
言葉を途中に、そのまま寝てしまう。
その姿をしばらく眺めていたが、アキオも軽装に着替えてベッドに横になる。
もう少ししたら、彼女のナノ・マシンが活動して血中アルコール濃度を下げ、アセトアルデヒドを分解して二日酔いを防ぐだろう。